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市内寺院堂々巡り(第十六回)都賀三十三薬師巡礼② [堂々巡り]

今回は6番から10番まで巡ります。
6番は川原田町の龍善寺(廃寺)です。川原田町北公民館の北側に隣接して東向きに薬師堂が建っています。
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明治維新後無住の建物を涵養學舎と言って、小学校に代用されていたが明治21年1月、一切取り払われました。
現在は住宅が建ち込む狭い道路の脇に石仏などが昔この地に寺院が有った名残を留めています。
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7番は同じく川原田町の恵性院(廃寺)です。明治維新後無住、建物も明治17年ごろに取り壊され、その後本寺である野中町地福寺へ併合されたと伝えられる。現在、寺がどの辺に有ったのか不明です。
周辺に何カ所か共同墓地が散在しており、その内の何処かで有ったものと考えます。
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(火の見下共同墓地)         (寺林共同墓地)
鹿嶋神社の北側の共同墓地に川原田町東公民館が有り隣接して薬師堂が有りますが、それとは違うということです。
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8番は旭町の蓮池院(廃寺)です。寺院の有った場所は古地図で確認すると、旭町神明宮の南西部、今は栃木幼稚園の所です。

9番は城内町二丁目の圓通寺です。薬師堂は本堂と対面する為北向きに作られた六角形の堂宇になっています。
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圓通寺はその昔天長2年(825)慈覚大師円仁によって太平山中腹に創建されたもので、その後大平町川連の地に移り、天正7年(1761)に現在の地に移転されました。

10番は仲仕上町の持主院(廃寺)です。東向き、二間四面の薬師堂が有ります。
堂宇の前には宝暦11年(1761)の宝篋印塔が立っています。
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