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分からない事ばかりの八雲橋 [栃木市の橋梁]

栃木市箱森町の錦着山の東を風野堀と言う用水掘りが有ります。
栃木環状線の錦着山入口交差点を錦着山に向かう方向に曲がると、正面に錦着山東側登り口に有る石の鳥居が見える。その手前右手に糸きり団子やいも串で有名な「うえき屋」さんが有り、その手前に小さな橋が架かっています。「錦橋」と言いますが、その下を流れているのが「風野堀」になります。
錦橋0.jpg錦橋2.jpg錦橋1.jpg
「風野堀」の源流は昭和の初期までは新井町に有る天満宮脇の湧水池でした。途中で風野と言う集落を抜けて流れるのでこの名が付けられたものと考えます。
今回の話題は、この風野堀に架かる石橋(アーチ橋)です。所在は先ほどの「錦橋」の50m程下流に架かっています。現在この橋の東側は「かっぱ寿司栃木店」の駐車場になっていますが、この橋は通行できません。
八雲橋0.jpg
この橋は栃木県の土木遺産に登録をされています。大正五年に架けられたもので、橋の長さ5.0m、橋の幅員は2.9mと小さな橋ですが、大谷石造りのアーチ橋です。アーチ部中央の要石に橋梁名の「八雲橋」の他施工年と施工者名が記されています。施工者は地元の石工大塚藤吉氏となっています。
八雲橋1.jpg八雲橋2.jpg
なぜこんな所に、何の目的で架けられたのか、以前この橋の東側に一軒の住宅が有りましたが、その家の出入りの為に架けられたものではないかと考えています。
八雲橋(1988年11月).jpg
(私が1988年11月に撮影した八雲橋の写真には見難いですが右手に住宅が見えます)

グーグル地図を元にして、錦着山周辺の道路網をスケッチして、その上に国土地理院大正6年発行2万5千分1「栃木」の地形図に描かれている道路を朱書きした概略図を作成してみました。
錦着山周辺道路変遷図.jpg
概略図の中央左上から右下に斜めに走る道路が、現在の県道75号線(栃木佐野線)です。(明治19年の地図には「至葛生町道」と有ります。)その道路から、左中央に有る「錦着山」に向かう道路が錦着山の東麓に突き当たる所に橋が有ります。北から真直ぐ南流している下を流れる川が「風野堀」で、架かっている橋が「錦橋」です。(明治19年の地図にはすでにこの場所に橋の記号が記されています。)
道路は錦着山を南に回り込んで西側の永野川方面に進みます。
尚、錦着山の西方向から南側を流れ、錦着山の南で風野堀を合わせて南流する川が東郷堀ですが、この頃は現在の流路と大きく異なっています。
大正6年の地図を見ると、主要な道路は変わっていませんが、東郷堀が整備されて、真直ぐに南流する様に変わっています。この流路は現在も同じです。
この東郷堀に風野堀が合わさる東岸に住宅が有ります(概略図にピンク色にて図示しました)が、この住宅が初代栃木県令「鍋島幹」氏の住まわれた家です。(現在は、先にも書いたように「かっぱ寿司栃木店」の駐車場に成っている所です。)
問題の「八雲橋」の位置ですが、この鍋島幹の住居敷地の北西角辺りになりますので、概略図でも明らかなようにこの宅地へ通ずる道はこの風野掘りを渡って行くのが妥当と考えます。
ただ、この石橋の架橋年は大正五年と有りますから、それ以前は別な橋が架けられていた物と考えます。
鍋島幹氏は明治13年(1880)に栃木県令を藤川為親氏に継がせて栃木を離れていますが、その後この住まいがどうなったか、又この「八雲橋」を架橋したのは誰か、調査不足で分かっておりませんが、明治の代はどんどん遠くなっています。
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