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西方史跡探訪で西方城址へ登って来ました。 [自然の恵み]

今日は、栃木市生涯学習課主催の学習講座「西方史跡探訪」に参加して、前から希望していた西方城址に登って来ました。
「西方城址」の存在は、「道の駅にしかた」に行った時に見た案内板で、道の駅の西方に連なる山脈が城跡と知りました。栃木市には皆川城址や栃木城址・川連城址などが有って、関西を中心に繰り広げられる戦国武将の物語とはまた別な、本当に身近な所で起こっていた戦国時代の動きにも興味を持ってきていたから、もっと知りたいと考えていて、これまでも西方城址の登り口となる「長徳寺」までは何度か足を運んでいました。それでも一人では少し不安だった為、登る事を躊躇っていましたので、今回の講座の開催を知った時、早速申し込みを行いました。
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集合場所になっている「西方公民館」まで車で向かって、栃木市のバスに乗り込みました。参加者が多くバスは満席です。見知った顔も多く有りました。皆さん郷土の歴史やお城好きな人達です。

西方城址の登り口となっている長徳寺は「都賀三十三観音札所三十三番、結願のお寺になります。
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西方城址の有る「城山(きやま)」の東麓に有りますが、この城山の東の裾野を東北自動車道が南北に通っている為、西方の街からは遮断された状態になっています。したがって、高速道路の下を抜けた所に長徳寺は有ります。
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お寺の前に大きな「西方城址の縄張り図」が建てられています。
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「にしかた文化財愛護ボランティア」の方の説明と案内で、いよいよ西方城址へ向かいます。長徳寺境内入口の南側(左手方向)の山道を進みます。登り始めると孟宗竹生い茂った中を登って行きます。途中沢水が流れて道がぬかるんで、滑りやすくなっていました。転ばないように注意して登ります。
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又、以前炭焼きをしていたと言う竃も残っています。更に枯草の積もった道を登ります。ここは西方城の楯堀です。
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暫らく上ると「北側の堡塁(ほるい)」に出ました。その場に「西方町文化財愛護ボランティア」の手による「みどころ」の説明板が建てられていました。
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これまでも「城址散策マップ」によるルート案内もところどころに立てられ、私の様な素人でも分かり易くなっていました。
「北の丸」から「土橋」を渡り「二の丸」に向かいます。
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この付近眺望良好と有りましたが、今日は温かい為か曇っている為か、霞んで眺望は良くなかったです。
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「本丸」に出ました。広い平坦なスペースが有り、その端に「謎の巨石」や「八幡宮」と記された小さな神社も有りました。
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「北の丸」「二の丸」「本丸」とこの間は比較的平坦なルートでした。「本丸」を抜けて少し行くと「見どころ⑤屈曲する進入路」から少し下ります。そこに又、城の縄張り図が立っています。この場所がこの城で最も重要な場所です。と説明をされます。ここは「本丸」と「南の丸」そして「東の丸」「西の丸」それぞれに通ずる十字路に当たる場所である為と。
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時間の関係で、ここから「東の丸」の手前を通って戻る事に。途中に「みどころ⑦井戸跡」と湧水の場所の説明を受けて、出発点の長徳寺に戻りました。
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今回見て回った西方城址は、西側部分「西の丸」と南側方向にはゴルフ場が出来ています。説明によるとこの西方城址全てがゴルフ場になる所を、現在の形に保存出来たという事でした。この貴重な史跡を守れた陰には、地元で地道に文化財の保護に尽力して下さっているボランティアの皆さんがいる事を今回改めて知る事が出来ました。
中世の山城「西方城址」その歴史と価値については、今回頂いたガイドマップに詳しく出ていますので、今後良く調べて行きたいと思いました。
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最後に、都賀三十三観音霊場三十三番札所「長徳寺」の御詠歌です。
「わけいりて 登りておがむ観世音 仏の光り 山ぞかがやく」

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