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栃木市皆川城内町傑岑寺の道了堂について [堂々巡り]

昨年(2014)11月26日に皆川城内町に有る傑岑寺を紹介しました。
その中で、本堂に向かって右手奥、庫裏の裏山に当たる方に登る場所に「道了堂石坂寄進」の碑が建っている。坂の上の木立の中に、間口2間、奥行き1間半の堂宇が有った。
その時は、単に「道了堂は了庵禅師を慕う道了を祀ったもの」で済ませた。しかし、その後も「道了」はどんな人なのかな、との疑問も残っていたがそのままとなっていました。
先日、佐野坂東三十三観音霊場の歴史を調べるために「田沼町史」を確認していたら、仏教的民間信仰の中に、「観音信仰」や「薬師信仰」等の項目と一緒に「道了信仰」と言う文字が目に留まった。
≪道了(権現)とは、神奈川県の大雄山最乗寺の守護、妙覚道了大薩埵(だいさった)のことである。彼は聖護院門跡の覚増法親王に仕え、熊野三山などで修業し、明徳年間(1390~1394)了庵慧明禅師が最乗寺を建てるに当たって、三井寺勧学院から飛来し、土木工事を約1年でなしとげたと伝えられている。応永十八年(1411)道了が75歳で死去するとき、「これで、私のこの世の務めは終わった。これからは山中に入って大雄寺を守り、人々の為に尽くしたい。」と言って山中に姿を隠した。その時の姿が、火炎を背負い、右手に利剣、左手に綱、白狐の背に立ち、大音響とともに見えなくなったと言われる。最乗寺では、当寺の守護神、諸願成就の権現と称して信仰し、奥之院には十一面観音として祭られている。≫
(田沼町史 第一巻 自然・民族編より抜粋致しました。)
田沼町では下町と戸奈良の種徳院に道了権現が有ると、書かれておりましたので、今日は天気も良かったので、種徳院に行き確認をして来ました。
道了宮と呼ぶ堂宇が有るのは、現在は佐野市戸奈良町の「萬年山種徳院」と号する、曹洞宗の寺院です。
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杉木立の林の奥に山門、その奥に本堂。本堂に向かって右手に庫裏、左横には「佐野坂東三十三観音霊場、21番札所」の観音堂が有り、目的の「道了宮」は本堂左脇を抜けて、石段を登った上に有りました。
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「道了宮」の左側に松尾芭蕉の句碑が建っています。
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「鐘つかぬ 里は何をか 春の暮」

帰りに、「佐野坂東三十三ヶ所」を作った記念として建てられた、東明庵観音堂前の石塔を見て来ました。
田沼探索2.jpg田沼探索3.jpg
又、田沼町と言えば「一瓶塚稲荷神社」は外せません。寄ってみると、丁度明日3月6日から8日の3日間初午祭が行われる為、その準備の真っ最中でした。
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