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栃木市の地形図のこと [コレクション]

昨日は2年ぶりに、茨城県つくば市の「国土地理院」に行って来ました。
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(国土地理院、「地図と測量の科学館」の入口)
今回も栃木市に関する旧版地形図を購入する為です。私の様な一般人が郷土の古い地図を入手するのは、国土地理院発行の旧版地図を入手するしか、手段が有りません。
ただ、なかなかこちらが希望する地図が無いのです。一般的な地形図の縮尺は「二万五千分一」ですが、大きくなった現在の栃木市の全体をカバーするには、9枚の地形図が関係をしています。
地図調べ6.jpg
(ピンクに塗った所が栃木市部分、太線の枠が5万分1の地図範囲、細線の枠が2万5千分1の地図範囲)
「栃木」の他に「下野大柿」「壬生」「小金井」「下野藤岡」「古河」そして僅かに係ってくる「仙波」「田沼」「佐野」です。
古い地図と言っても、明治期までは遡る事は出来ません。大正六年に発行されたのが一番古いのですが、該当するのは「栃木」「小金井」「壬生」の三ヵ所だけです。
「古河」は昭和31年、「下野藤岡」・「田沼」・「佐野」は昭和39年、「下野大柿」や「仙波」に至っては、昭和46年の発行が一番古いのです。ですから寺尾地区や都賀町、西方町に付いては、昭和40年代以前の町の姿を地形図からうかがい知る事が出来ないのです。大平町や岩舟町の南部、そして藤岡町に関しては、昭和30年代以前は有りません。
旧版地形図・図歴一覧.jpg
(2万5千分1地形図の栃木市関係の発行年・図暦の一覧、着色した地図は入手済)
不思議なのは「栃木」の地図です。大正6年、昭和8年、昭和22年に発行はされているのですが、地図の左側(西側)半分が空白なのです。幸い栃木の市街地は見られるのですが、皆川城内以西、小野寺地区などは見られないのです。どうしたのでしょうか。
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(昭和22年9月30日発行の「栃木」と昭和40年3月30日発行の「栃木」、共に国土地理院発行・2万5千分1の地形図を写真撮影しました。)
国土地理院の職員の方に伺っても、「測量されなかったのか、戦前で公開をはばかる何かが有ったのか、分からない」という事です。
ちなみに同じ国土地理院発行の「五万分一」の地形図の場合は、栃木市に関するのは「栃木」「壬生」「古河」の3枚になりますが、明治42年発行の地図が有り、今回入手をして来ました。五万分一の地図で有れば、栃木市全域に付いて、明治後期の状況を確認出来る様になりました。
ただし、二万五千分一の地形図で見慣れていると、なじめませんし、国土地理院としても五万分一の地形図を今の所、更新する予定は無いとの事です。
他に「明治前期測量2万分1フランス式彩色地図」が有りますが、それでも栃木市の全域をカバーしておりませんが、明治前期の様子を探るのにとても有効です。
明治前期測量2万分1フランス式彩色地図範囲.jpg
(赤枠部分が、明治前期測量2万分1フランス式彩色地図が発行されている区域)

今回入手した地図を今、時間を忘れて眺めています。
新しい発見や、新たな疑問が続々出てきます。私の楽しいコレクションの一つです。

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