栃木市宮町の石観世音堂 [堂々巡り]
今回巡るお堂は、昨日に続き栃木市吹上地区、宮町に有る石観世音堂です。
お堂の建つ場所は、昨日の大森薬師堂の南西方向、永野川を越えた西側に連なる小高い山の東麓になります。国土地理院発行二万五千分一の地形図「栃木」を見ると、永野川に架かる「宮の橋」を渡る道路を西の山に向かった、宮町の西のドン詰まりに寺院記号「卍」が表示されています。ちなみに昨日の大森薬師堂は、地形図には記載が有りません。
最近は、永野川に架かる「宮の橋」周辺、特に永野川左岸は約1kmの「宮の桜堤」として、桜の時期には大勢の花見客が訪れる様になっています。
「宮の橋」を渡って西の山に向かいます。山沿いには白壁土蔵の並ぶ立派な農家が点在しています。道路は狭く車1台がが通れる程度で、少し登り坂になります。
牛舎の前を過ぎて行くと、道路は行き止まり。左手奥の平らに開けた場所に、入母屋造りの屋根に向拝を付け銅板葺、二間四面のお堂が見えます。
お堂の前に変わった形の石灯篭が、参道の左右に建っています。
左側には「奉納石燈籠一基 安永五丙申天」、右側には「奉納御宝前 嘉永五壬子年九月吉日建之」下側に奉納者指名がぐるり回りに彫られています。安永五年は西暦1776年で江戸時代中期、嘉永五年は西暦1852年で江戸時代後期です。
お堂正面上部には「石観世音堂」の扁額が掲げられ、正面格子窓の奥に大きな石が祀られています。
石に観音像が彫られているのか、この石自体を観音像に見立てているのか、遠目から判断できません。
手を合わせ参拝を致しました。
このお堂の由来等は分かりませんが、地元の方の信仰として守り伝えられて来ているものと思われます
お堂の建つ場所は、昨日の大森薬師堂の南西方向、永野川を越えた西側に連なる小高い山の東麓になります。国土地理院発行二万五千分一の地形図「栃木」を見ると、永野川に架かる「宮の橋」を渡る道路を西の山に向かった、宮町の西のドン詰まりに寺院記号「卍」が表示されています。ちなみに昨日の大森薬師堂は、地形図には記載が有りません。
最近は、永野川に架かる「宮の橋」周辺、特に永野川左岸は約1kmの「宮の桜堤」として、桜の時期には大勢の花見客が訪れる様になっています。
「宮の橋」を渡って西の山に向かいます。山沿いには白壁土蔵の並ぶ立派な農家が点在しています。道路は狭く車1台がが通れる程度で、少し登り坂になります。
牛舎の前を過ぎて行くと、道路は行き止まり。左手奥の平らに開けた場所に、入母屋造りの屋根に向拝を付け銅板葺、二間四面のお堂が見えます。
お堂の前に変わった形の石灯篭が、参道の左右に建っています。
左側には「奉納石燈籠一基 安永五丙申天」、右側には「奉納御宝前 嘉永五壬子年九月吉日建之」下側に奉納者指名がぐるり回りに彫られています。安永五年は西暦1776年で江戸時代中期、嘉永五年は西暦1852年で江戸時代後期です。
お堂正面上部には「石観世音堂」の扁額が掲げられ、正面格子窓の奥に大きな石が祀られています。
石に観音像が彫られているのか、この石自体を観音像に見立てているのか、遠目から判断できません。
手を合わせ参拝を致しました。
このお堂の由来等は分かりませんが、地元の方の信仰として守り伝えられて来ているものと思われます
2015-06-23 23:15
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