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栃木市国府町の宿薬師堂跡 [堂々巡り]

今回は栃木市国府町の宿薬師堂跡を巡ります。
今回訪問した場所には、すでに薬師堂は無く、その跡地には「国府町宿薬師堂跡」と彫られた石碑が建っています。背面に「平成二十二年十二月吉日」となっています。
宿薬師堂跡1.jpg宿薬師堂跡2.jpg
場所は、栃木市立東陽中学校の北東側に有る集落の中、東武宇都宮線野州大塚駅前から南に向かう、県道296号線を南進し、県道2号線の「大塚町南」の交差点を横断、更に南に進んで行く。道路は集落に入ると狭くなってきますが、道なりに進むと道路の左側に、火の見櫓の有る「栃木市消防団第12分団第3部の建物が現れます。ここの奥に昔薬師堂が有りました。
宿薬師堂跡5.jpg
私が1969年に撮影をした薬師堂の写真が有ります。それには、西向き二間四面向拝付瓦葺宝形造りのお堂が写っています。
宿薬師堂跡7.jpg
この薬師堂は、国府の宿ほぼ中央に有り、古くから同じ国府町に有る「勝光寺」に属していました。依って真言宗智山派となります。
昭和58年北隣りに公民館と併用する形で新築されました。地図の上には「国府集落センター」として記載されています。
境内地には、地蔵尊・十九夜様・光明真言供養塔・馬頭観音等の石仏や、八坂様・愛宕神社等の祠が祀られています。
宿薬師堂跡3.jpg
栃木市内には、同様に取り壊された堂宇の跡地に、そこにかって仏堂が建てられていた事を記念する石碑が建てられている所が残っています。
都賀町木、木の北「大師堂跡」や、
宿薬師堂跡8.jpg宿薬師堂跡9.jpg
岩舟町鷲巣「薬師堂跡」です。
宿薬師堂跡10.jpg宿薬師堂跡11.jpg
こうした地域の住民の手によって信仰され守り継がれた堂宇の中には、老朽化に伴い再建継続する事が難しくなっている物も多く有ります。それでもせめてもの証として、記念碑を残す形を採られたものと思われます。
都賀町木の「大師堂」に関しては、元々789年勝道上人によって創建された華厳寺の一宇「観音堂」で、1774年に再建されました。その後明治初期の廃仏毀釈の法難に遭い廃寺に成りましたが、当地の信仰厚い人々によって1873年この地に移築されていました。2000年に都賀町の歴史的文化遺産として、ゆかりの山内である現在の「つがの里」に再移築されています。
宿薬師堂跡12.jpg宿薬師堂跡13.jpg

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