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栃木市惣社町の観音堂 [堂々巡り]

今回は、栃木市惣社町に有る観音堂を巡ります。
県道2号線(宇都宮栃木線)を栃木の市街地を抜け、惣社町に来る。道路の左手に「大神神社」の杜が広がっている。杜の南端に一の鳥居が有り、そこから北に参道が伸びている。県道はその鳥居の少し南側を東西に走っているので、神社の入口を過ぎると、又視界が大きく開けます。ここで左手前方奥にコンパクトながらスリムで均整の取れた堂宇が確認できます。それが今回訪問する観音堂に成ります。
荒川観音堂4.jpg
(1988年11月撮影した観音堂の写真)
栃木市老人クラブ連合会が、昭和63年度の伝承活動として、「栃木市の社寺」と言う本を発行しています。栃木市内の寺院や堂宇を巡っている私にとっては、非常にありがたい情報を沢山提供してくれています。
今回の観音堂に付いても記載が有りました。以下引用・抜粋させて頂きます。
荒川観音堂2.jpg荒川観音堂3.jpg
≪名称は荒川家同姓観音堂。宗派は真言宗、本尊は馬頭観音と千手観音。建立年月日は不明≫と有ります。そして、建立の意味について、
≪大化改新により、各国に国府が置かれ、国司が任命され、行政組織の確立を見た。その時、馬の飼育の責任者を「馬の司」(ウマノツカサ)と称した。荒川家がその職に有ったものと思われる。荒川家の守り本尊は千手観音でした。戦が起こると馬が徴発され、国府に集結、それから戦場に向かった事でしょう。馬を飼育していた人々はさぞや可愛い馬を偲び、傷つき、倒れたであろう馬を思い、馬の霊を慰める為に、馬頭観音を建て、観音堂に千手観世音と馬頭観世音をお祀りしたことが始めと思います。≫
荒川観音堂1.jpg
(2013年10月11日撮影したもの)
≪明治35年の台風で観音堂が破壊されたため、暫らく西光寺に預けられました。その後、元の敷地は転々と人手にに渡り、建立する事が出来ませんでしたが、幸いもとの敷地が荒川同姓の所有となったので、昭和23年2月13日目出度く落慶の運びとなりました。その後昭和57年土地改良区域に編入され、今までの敷地に居られなくなったが、土地改良関係者のご厚意により、現在地に新築、昭和59年12月2日落慶の運びになりました。≫という事です。

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