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栃木市高谷町の萬福寺 [堂々巡り]

今回は、栃木市高谷町の萬福寺を巡ります。
正式には、「宝明山円明院萬福寺」と号して、小山市小薬に有る浄土宗称念寺の管理に成っています。本尊は馬頭観世音菩薩で、建立年月日は延宝八年(1680)と言われています。昔は寒川郡鏡の天台宗の僧によって高谷萬福寺開山の折りに移向したものと言われています。昔と言いますんで状況は変わっていると思いますが、寒川の鏡(現在の小山市鏡)には、同じく馬頭観世音菩薩を本尊とする「日鏡山普門院観音寺」と号する寺院が存在しますが、真言宗豊山派の寺院です。
ここ萬福寺は「都賀三十三観音霊場、二十四番札所」でした。ご詠歌が有ります。「よろず世の宝をこめし萬福寺 のちの世までもたのおしきかな」
ちなみに管理を行っている、称念寺も同じく「都賀三十三観音霊場、二十五番札所」となっておりました。こちらの御詠歌は「あけくれに仏の御名を称念寺 二世安楽を小薬の里」となります。
萬福寺の場所は、栃木市城内町の「ヤオハン」の南側の道(県道243号線)を東に進み仲仕上町を出た所で、交差点を右折します。南進して樋ノ口町の「稲荷神社」の角を今度は左折、高谷町に入った所の交差点で、又右折して180m、萬福寺の前に出ます。
高谷満福寺1.jpg
道路の脇に建つ門柱に「寶明山萬福寺」「馬頭観世音菩薩」と刻されています。門扉の前に「庚申塔」の文字塔や、十九夜供養塔、馬頭観世音等、数基の石仏が祀られています。敷石供養塔には「寛政十年」(1798年)の紀年銘が見えます。
高谷満福寺9.jpg高谷満福寺2.jpg
(2013年10月24日激しい雨の中訪れた時、境内の柿の実が多数落ちていました)
門扉から真直ぐ伸びる参道の正面に東向き二間四面、宝形造り向拝付瓦葺観音堂。
高谷満福寺3.jpg高谷満福寺4.jpg
向拝には素朴で荒削りですが、ボリュウム感のある龍の彫刻が有ります。
高谷満福寺10.jpg
堂宇の裏手、境内の南西の竹林に隠れる様に大小数基の無縫塔が祀られています。
高谷満福寺7.jpg
尚、入口門扉の脇に、「大旱魃紀念」と刻した石碑が建てられていました。内容は昭和十五年の初夏に発生した大旱魃に伴い、高谷地区の住民が協力して、その難関を乗り切った「私心を捨て公共精神の成果を記念したものでした。
高谷満福寺6.jpg高谷満福寺8.jpg
(入口脇に建つ「大旱魃記念碑」と碑文を読み写した内容)
最後に私が1969年に撮影をした萬福寺の写真です。
高谷満福寺5.jpg
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阿部治樹

初めまして。私、ゲット・ニュース社の阿部と申します。当社は「https://s-news.jp/」のサイトでセキュリティ・危機管理関連のニュースを配信しております。私はそこの記者で、現在、各地に残る石碑をきっかけとして様々な災禍の教訓を拾おうという連載をしております。今回、「干ばつ」を主題に探していたところ、栃木市・萬福寺の「大旱魃記念」という碑を見つけました。限られた地域の干ばつだったためか、ほとんど資料がない中で「一味」さんの「巴波川日記」での記述に行き当たりました。ややもすると歴史に埋もれてしまいそうな一地区の話かもしれませんが、干ばつという災厄を住民同士の協力で乗り越えたという内容に感動しております。来週10月4日(月)に現地に行ってみるつもりでおりますが、もし、この地区の歴史や碑のことについて当たってみるべき人や施設にお心当たりがおありでしたら教えていただけないでしょうか。突然の連絡でまことに恐縮ですが、お目に留まりましたらご検討下さるようお願いいたします。ご返答を下さる場合は上記のメールか携帯080-4583-4907にお願いいたします。
by 阿部治樹 (2021-09-30 23:42) 

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