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栃木市藤岡町の猿田彦大神(堂) [堂々巡り]

栃木市藤岡町の堂宇をグーグルマップで探していた所、繁桂寺の南方に「猿田彦神社」の文字に気が付きました。画面を航空写真に切り替えてみると、宝形造りらしき屋根の形で、お堂らしかったので、車で現地確認をしました。
藤岡町の市街地を貫く、県道9号線(佐野古河線)を南進して、藤岡市街地の南で左手から合わさる、県道11号線の合流点の直ぐ南側で、旧道が右方向に分岐しています。この分岐した旧道を少し進むと、道路の右手に目的の「猿田彦神社」が現れます。
猿田彦大神1.jpg
建物は二間四面でしょうか、道路に面した正面は解放されて建物の中が見えています。中央奥に「庚申塔」が祀られています。
庚申塔は青面金剛像が陽刻されています。塔の上部に「猿田彦大神」の扁額が掲げられています。
猿田彦大神2.jpg猿田彦大神3.jpg
神社となっていますが、建物は堂宇の装いで、入口には鰐口が下がっています。
虹梁の上の蟇股になるのでしょうか、龍の彫り物が立派です。
猿田彦大神4.jpg
以前、藤岡町教育委員会が発行した、「ふじおか見てある記」と言う小冊子に、この「猿田彦大神」(庚申塔)についての説明が載っておりました。
≪藤岡下郷4耕地(向高間、原、小出山、南山)の崇神。手足の痛みを代わってくれる庚申様として、遠方からの参拝者、近隣のお年寄りの信仰が厚く、毎日の清掃と献花が絶えない。(中略)町内で最も古い庚申塔で、寛文七年(1667)に建立されたものである。≫
又、持ち物の三股の形が十字で有る為「かくれキリシタン庚申」との説も有ると記されています。
猿田彦大神5.jpg
「庚申」はもともと中国の道教から来たものと有ります。
人間の体内には三尸(さんし)の虫と言うのが住んでいて、いつもその人の悪行を監視している。この虫が庚申の夜、人間の睡眠中を覗って体外に抜け出し、天に昇り、天帝にその人間が行った悪事を告げるとされ、そして人の命を短くするとも云われています。と説明されています。
これをさせない為、その晩は神々をまつり、徹夜で飲み明かすという風習が古くより行われていました。これを「庚申待ち」とか「宵庚申」といわれる行事で、これらを総称して「庚申」という事です。
仏教では、庚申の本尊を「青面金剛」としています。青面金剛は恐ろしい形相をしていますが、これは庚申の夜祭を守護しているからだとも言われています。
神道では「申(さる)」ということで、猿田彦神(さるたひこおかみ)を結び付けています。猿を庚申様のお使いにみたて、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿信仰にもなっていきました。
この猿田彦神社は昔の神仏習合の名残りの様に思えます。
(この記事を投稿する際、寝ぼけていて未完成の状態で投稿してしまいました。その間訪問して下さった皆様には、大変失礼をいたしました)
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