SSブログ

火防の獅子について [コレクション]

私の書棚の中には、旅先にて買ってきた土産の人形や置物が、整列もされず並べられています。小さな物ばかりですが一つ一つに思い出が有ります。
そんな中に、栃木市の土産品にもなっている「火防の獅子」(ひぶせのしし)が有ります。この「火防の獅子」を入手したのは、もう30年以上前に成ります。栃木市の観光写真コンテストの副賞で頂いたものです。
火防の獅子2.jpg火防の獅子3.jpg
この「火防の獅子」は栃木市出身の彫塑家「鈴木賢二」氏が考案した作品です。材料となっているのは、かって栃木市の一大産業となっていた、下駄産業の加工工程の中で発生する破材を活用したものです。
私が子供の頃は、栃木の街の中で良く下駄の半完成品を円形状に積み上げて、干していた風景を、目に致しました。昭和35年頃は、栃木市の下駄の生産高は、広島県に次いで全国二位となっていました。

この土産品の元となっているのは、太平山神社社宝の「火防の獅子」です。添付されている説明書に、「火防の獅子」の由来が載っています。≪太平山神社社宝「火防の獅子」は作られた年も作者もはっきりしないが、その古さから九百年ぐらい前に作られたと云われています。この獅子は領主皆川山城守広照が、北条氏政と争い、氏政の弟氏直が攻めて来て、天正十二年(1584)ここ太平山上で激戦した時、本殿その他の建物が戦火のため焼けてしまった。その時、はげしい火の中をどうしてぬけ出したのか、木で作られた獅子だけが焼け残った。人々は「火防の獅子」と云って尊敬した。それによって作られたのが、この「獅子」である。≫と紹介されています。
考案者の「鈴木賢二」氏(1906年1月~1987年11月15日)は栃木市平井町に生まれ、1925年東京美術学校彫塑科(現、東京芸術大学)に入学。高村光雲に学ぶ。しかし、軍事教練反対のビラを学内で撒き、退学処分となっています。一時帰郷し、民芸運動を興し、この「火防の獅子」や「うづまのなまず」などの郷土玩具を考案しています。

尚、栃木山車会館前広場の道路脇に建てられた、石のモニュメント「火防の獅子」は、1946年長野県生まれの「小林亮介」氏の作品です。(1983年東京芸術大学教授、二科会会員・評議員)
重量感の有る一対の獅子が、栃木の街を鎮護してくれている様です。
火防の獅子1.jpg

私は、太平山神社の社宝となっているこの「火防の獅子」をまだ拝見した事が有りません。前に見た事が有ると言う人の感想を聞いた事が有ります。それは「想像以上に迫力のある獅子でした。」と。是非一度実物を拝見したいと思っています。写真は、「目で見る栃木市史」(昭和53年・栃木市発行)の207頁に掲載されています。でも写真では実感が湧いて来ません。
この「火防の獅子」を栃木市大塚町出身の画家「清水登之(しみずとし)」氏が見事に描いています。私も実物を見たわけでは有りませんが、「栃木名所旧蹟物語」(大浦倉蔵編・復刻版、昭和50年1月吉日刊)の巻頭折り込み写真で見られます。モノクロ写真ですので、実際は分かりませんが、迫力のある1対の阿吽形の獅子が画面いっぱいに力強く描かれています。画面右下に「登之写」そしてその下に落款が押されています。こちらの絵も出来れば一度拝見したいと思っています。

最後にこの毎日続く烈火の様な暑さに負けないよう、「火防の最中(ひぶせのもなか)」(山本総本店・明治二十五年創業)を冷たいお茶と一緒に頂きたいと思います。
火防の獅子7.jpg火防の獅子8.jpg
(山本総本店の「火防の最中」、丸い饅頭は夏季限定の「夏の梅」)
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0