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巴波川水害に思う [栃木市の河川と橋]

今回栃木市は50年に1度と言う大雨により、市内各所にて被害が発生をしています。市街地は中央部を流れている巴波川が増水して、道路や住宅地に流れ出し、多くの店舗や住宅が家の中まで水が流れ込んでしまいました。幸い今日は晴れ間ものぞく天気となり、巴波川の水位も下がって来ています。
今から105年前、命を懸けて栃木の街の洪水の様子を写真に収め続けた、一人の写真師がいました。現在も栃木市内巴波川に架かる「相生橋」のたもとにて、写真館を営業している「片岡写真館」の二代目館主「片岡武」氏です。
片岡写真館1.jpg
(巴波川、室町の「うづま公園」の南西部より東方を撮影。中央奥に相生橋と片岡写真館の建物が見えます。モダンな建物は平成13年(2001年)竣工。建物外観は明治九年に建てられた初代栃木警察署に倣っています。)

≪片岡寫眞館(明治・大正・昭和140年の記憶)≫と題する、四代目館主「片岡惟光」編の写真集が有ります。写真集カバー表に使われている写真が、まさにその時撮影された「大洪水に見舞われた倭町付近の大通り」の写真です。
片岡写真館2.jpg
(片岡惟光編、写真集「片岡寫眞館」の表紙カバー)
本文第五章<片岡武と明治43年「大洪水」写真>の冒頭の文を一部引用させて頂きます。
≪片岡写真館の2代目・武は、明治43年9月13日、数え34歳の若さで、急性肺炎により病死した。栃木の町は洪水にたびたび見舞われたが、この年8月14日の台風による被害は特に大きかった。
弟子たちを指揮してその状況を撮影する為に無理を重ね、発病したものである。・・・・・≫
次のページから栃木町の各所で撮影された写真が、見開きで9枚掲載されています。そこには本のカバーで見るような、濁流が流れまるで川のようになった大通りとそれを見守る町の人達の姿が写し出されています。又、「常盤橋」上から巴波川の濁流を見守る人々。洪水で冠水・蛇行した両毛線の線路。等も生々しい風景が写されています。現在の様に「デジタルカメラ」でパッパッと撮れる時代では有りません。巻末の「片岡写真館年表」の中にその時の様子が書かれています。≪11日に襲来した台風が関東北部に大雨をもたらしたが、この日、別の台風が栃木県を直撃。栃木町では巴波川の氾濫で、床上浸水1147戸、床下浸水2000戸の大被害となった。片岡武は、大通りに高さ5.4メートルの櫓を組み、弟子たちと被害状況の撮影を開始する。・・・・・・≫表紙カバーの写真は相当高い場所から撮影がされています。このアングルで普通撮影できません。その為わざわざ撮影用の櫓を組んでいたのです。その後も「片岡武」氏は急性肺炎による高熱を押して撮影を続け、巴波川に転落してしまいます。
写真集には昭和13年9月1日の洪水時の写真、昭和23年頃の洪水時の写真も有り、幾度となく洪水被害に見舞われている事が覗われます。
私が育った頃も1・2度店先迄雨水が浸入して来た為、チリトリでかい出した事も有りましたが、それでも被害と言うものでは有りませんでした。特に最近30年位は、自然災害で思いつくのは、去年の冬の大雪で、車庫の屋根が破損した事だけです。
その陰には栃木市が行った防災事業の成果が表れた結果が有ります。栃木市は市街地の洪水を無くする為に、巴波川の小平橋下流部に流入していた「赤津川」の流れを変更して、吹上町新田橋の下流部から南に開鑿を行い、錦着山北西部にて永野川に流す、「赤津川分水路」工事を昭和23年から着工して、昭和26年3月に竣功させています。分水路の延長は2,780メートル、計画流水量は毎秒135立方メートルで、赤津川の全量を分水するものです。
赤津川分水路2.jpg赤津川分水路1.jpg
(赤津川分水路上流点、吹上町「新田橋」下流)(赤津川分水路下流点、永野川合流部)
この分水路の完成に伴い巴波川の洪水も大幅に改善されたのでした。その後も栃木市は巴波川護岸の高さを上げる等の対策を続けて来ていましたが、今回はそれ以上の雨量が断続的に長時間続いた為、護岸を越えて住宅地に水が流れ込んでしまいました。
荒川改修1.jpg荒川改修2.jpg
(栃木総合運動公園内に建つ、荒川改修説明板)
今回の災害は栃木県から茨城県そして東北地方迄と、被害が大きくなり、現在も尚行方が分からなく成っている方も大勢居ります。避難をされている方もおります。1日も早く安全な生活に戻られる事を願うばかりです。
今回の災害で改めて、「これまで問題なかった、被害に遭わなかった。」だから「これからも問題は起こらない、安全なはずだ「」と言う考えは間違っていると、教えられました。これまでの問題なかった環境も、いつか変化して来ている。それは新たな住宅開発や河川改修などによる変化や、管理されなくなった里山や放置された自然に依る環境悪化など、色々考えられます。
旧赤津川1.jpg旧赤津川2.jpg
(野中町地福寺北方の旧赤津川)    (栃木総合運動公園南西角の旧赤津川)
今回の災害を教訓にして、自分の身を守る、生活の場を見守る事を、心掛けて行きたいと思いました。
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コメント 2

noriyosi

はじめましてnoriyosiと申します。
私も栃木市出身で巴波川に近いということもあり
今回の洪水はびっくりですよ

初めて家の中に水が来てしまい大変でした
近所の人とも話してみましたら
みなさん栃木市市内は赤津川分水のおかげで
洪水とは無縁の街だと信じきっていましたし
今回は特殊な気象条件で運が悪かったとはいえ結構ショックですね
by noriyosi (2015-09-14 23:32) 

一味

noriyosiさんコメントありがとございます。
私もこのような状況になるとは、予想もしておりませんでした。
これまで私も栃木の町は、大きな工場も無く、ショッピングモールも無く、何も無い町。でも災害も無い町で良かったと思っていました。
今回の洪水の原因は記録的な大雨に因るものと思いますが、もう50年間は起こらないという保証は何も有りません。住宅開発が進み田畑が減り、河川環境も変わって来ています。栃木市当局には、今回の洪水の発生状況をつぶさに調査して頂いて、再発防止策を講じて頂ける事をお願いしたいですね。
by 一味 (2015-09-15 11:25) 

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