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橋の寿命は? 大切に長く利用する。 [栃木市の河川と橋]

去る9月10日大雨に因る永野川の増水にて、川の中央部橋脚が崩壊し、その橋脚に載っていた橋桁の2ヶ所が流失した「旧千部橋」は、架橋後81年となる栃木市内の橋の中でも古いグループに属する橋に成ります。それでは他に戦前に架橋した物で現在も利用している橋はどれくらいなのか確認をしてみました。意外にも栃木の市街地を流れる、巴波川に架かる橋が古い様です。一番古いのは1927年竣功の「嘉右衛門橋」に成ります。
嘉右衛門橋1.jpg嘉右衛門橋2.jpg
(嘉右衛門橋:鋼橋・橋長13.10m、幅員5.4m)
二番目に古い橋が「倭橋」で、1930年の竣功です。
倭橋1.jpg倭橋2.jpg
(倭橋:鉄筋コンクリート橋・橋長13.60m、幅員5.2m)
三番目に古い橋は1934年竣功で2橋有ります。「巴波川橋」と「相生橋」です。
巴波川橋1.jpg巴波川橋2.jpg
(巴波川橋:鉄筋コンクリート橋・橋長14.00m、幅員5.0m)
相生橋1.jpg相生橋2.jpg
(相生橋:鉄筋コンクリート橋・橋長14.10m、幅員5.5m)
この年は小山市側を流れる巴波川でも「蛍橋」と「本郷橋」が竣功しています。
又、永野川では、大平町蔵井の「諏訪橋」に大平町榎本の「両明橋」そして、今回流失をした「旧千部橋」の3橋が、同じ1934年に竣功しています。
諏訪橋1.jpg諏訪橋2.jpg
(諏訪橋:複合橋・橋長51.50m、幅員3.5m)
両明橋1.jpg両明橋2.jpg
(両明橋:鉄筋コンクリート橋・橋長59.90m、幅員5.3m)
そして1936年に小山市生駒の「新田橋」、1937年に小山市下初田の「柳原橋」も竣功しています。1937年栃木市では大平町下皆川と川連の境の永野川に架かる「旧永久橋」が、そして翌1938年には大平町横堀と北武井の境となる巴波川に架かる「吾妻橋」が竣功をしています。
旧永久橋1.jpg旧永久橋2.jpg
(永久橋:鉄筋コンクリート橋・橋長60.30m、幅員6.6m)
吾妻橋1.jpg吾妻橋2.jpg
(吾妻橋:鉄筋コンクリート橋・橋長38.55m、幅員3.8m)
昭和の初め多くの巴波川に架かる橋が木橋から永久橋(鉄筋コンクリート橋)に架け替えられていました。
私が1980年に巴波川の橋を撮影した時は、木橋は1ヶ所しか残っていませんでした。
巴波川の木橋.jpg
(1980年巴波川の橋を撮影した時見られた、唯一の木橋。背後に建設中の昇明橋)
これら戦前に架橋された橋はすでに70年以上使用されており、老朽化が進んでいます。それでは道路に架かっている橋の寿命(耐用年数)はどれくらいなのでしょうか。私は土木や建築の知識は全く持っておりませんので、分かっていませんが、交通量によっても大きく変わるのは予想が付きます。幹線道路に架かる橋であれば傷みも激しくなり、寿命も短くなりそうです。
栃木市では平成25年4月に、「栃木市橋梁長寿命化修繕計画」を発表しています。
背景として、
・栃木市が管理する橋長10m以上の143橋のうち、建設後50年以上経過しているものは、現在31橋で全体の22%ですが、20年後には92橋で64%と半数以上になり、橋の老朽化が進みます。
・今後、従来型の「橋梁に著しい劣化・損傷が確認されてから大規模修繕や架け替えを実施する事後的な維持管理」を継続した場合、近い将来、膨大な維持管理費用が必要となり、厳しい財政状況が続く中で、交通の安全性・信頼性の低下が懸念されます。
としています。計画の目的として、
・今後、老朽化する橋梁の増大に対応するため、従来型の事後的な維持管理から予防的な維持管理へと政策転換を図り、橋梁を長寿命化させることにより、維持管理費用の縮減と平準化を図りつつ、地域の交通ネットワークの安全性・信頼性の確保を目的とします。
としています。
今回発生した記録的な大雨による橋の流失は、想定外と考えて良いのでしょうか。計画により現在これらの橋は、専門の技師が点検を行い、必要に応じて修繕計画の見直しを行う事に成っています。
橋は私たちの財産です、大切に長く使って行きたいと思います。
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