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親鸞聖人が百日逗留した室の八島草庵跡 [石碑]

今日、天気が良かったので、栃木市惣社町の室の八嶋に行って来ました。
今回の目的は、今から791年前、元仁元年(1224)、室の八島明神の神主大澤掃部頭友宗の懇願によりこの地に来化された見眞大師親鸞聖人が、友宗一族を教化の後百日の間逗留し数多くの人々に法縁を結ばれた草庵跡を参拝する為です。
草庵の跡は、現在大神神社の南側、表参道と参道の東側を並行して走る自動車道が交差する丁度東側、元国府中学校が有った跡に、「見眞大師 室の八島 御艸庵遺蹟」と彫られた石柱と、往時をしのんで、親鸞聖人御旅姿の御像が建立されています。台座の正面には「御誕生八百年記念 親鸞聖人御像 建立安養寺門徒中」と記されています。
親鸞上人草庵跡1.jpg親鸞上人草庵跡2.jpg
(親鸞聖人室の八嶋草庵跡)                 (御旅姿の親鸞聖人像)
親鸞聖人は承元元年(1207)、師法然上人の法難に連座して越後に流されました。7年後親鸞聖人は直ぐに京には戻らず、常陸の稲田に移ります。建保二年(1214)、親鸞聖人は岩舟町古江の浄琳寺を巡錫されていますから、越後から関東に向かった時、お立ち寄りしたものと考えられます。その年茨城県下妻の小島に草庵を結ばれました、そして稲田御坊西念寺に住まわれ、その後東茨城郡の大山草庵など各地を訪れ布教をされております。栃木県内にては真岡市高田の高田専修寺の境内が国指定の史跡となっています。2014年9月13日に参拝した時の高田専修寺。40年ぶりの訪問でした。
高田専修寺1.jpg高田専修寺2.jpg
(高田専修寺楼門。後方は如来堂)      (高田専修寺御影堂)
又、高田専修寺より東へ約3kmの八溝山地の西麓にやはり国指定史跡の「三谷草庵」も有ります。真岡城主大内師から提供されたものと云われます。
此処、室の八嶋の草庵に百日間逗留されたのも、その布教の一環でしょう。そして安貞二年(1228)京へ向います。

今日は、ここ大神神社境内に多くの骨董店が出店する骨董市が開かれていて多くの愛好者がお気に入りの骨董を物色している姿が見られました。この骨董市は毎月第一日曜日に開催されているとの事でした。
大神神社骨董市1.jpg大神神社骨董市2.jpg
(室の八嶋、大神神社境内で行われている骨董市の様子)
私は骨董品の目利きは全く出来ませんので、そこそこに帰った来てしまいました。

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コメント 5

八島 守

以前、大神神社の隣の敷地に安養寺が建てた記念碑を見た時には、

親鸞の草庵は大光寺村に在ったと書いてあったような気がしたので、
草庵跡に現下野市の蓮華寺が建てられたんだな、
大光寺村まで室の八島の内であってもおかしくないな、と、
かってに考えたんですが、間違いだったようですね。




by 八島 守 (2015-10-10 09:13) 

八島 守

[親鸞聖人行録]幕末に存在した書物

『下野国に御経廻ありて、室のやしまという所に、暫く御住居まし ますとなり。御旧跡の所は、室明神(現在は大神神社に替わっています)の東にあたりて、「思川」という 渡り あり。それよりまた東に越えて、花見が岡(下野市国分寺)という小山あり。是上人御幽居の跡なり。此所 を大光寺村という。近隣に大なる池あり。上人常に愛させ給えリとて今にあり云々』
by 八島 守 (2015-11-25 18:54) 

八島 守

「元仁元年(1224)、室の八島明神の神主大澤掃部頭友宗の懇願によりこの地に来化された見眞大師親鸞聖人」

これは、いつ頃書かれた史料の内容ですか?

1224年頃には、室の八島明神はまだ存在しなかったとのではないかと思いますが。

by 八島 守 (2018-04-27 08:13) 

八島 守

1230年時点では、この神社は下野国の惣社でした。

室の八島大明神・惣社大明神になるのは、もっと後だろうと思います。
この場合の室の八島と惣社(惣社郷)というのは土地の名前です。

この神社が大神神社に変わるのは、明治時代の1900年頃です。


by 八島 守 (2019-02-19 10:40) 

八島 守

インターネットで調べたら、親鸞聖人による大蛇済度の話って各所にあるようです。
by 八島 守 (2019-04-26 14:24) 

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