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栃木市箱森町東部に見られた橋 [栃木市の河川と橋]

私の住む栃木市箱森町の東部地域は多くの小河川が、幾筋も流れています。最近は住宅が増えてきて、川筋が住宅地の中を流れる為、一部暗渠に成ってしまったり、道路拡張に伴い橋の高欄や親柱なども無くなり、川筋を認識する事が難しくなってきています。
私が30年ほど前よりこの地域の橋の写真を撮ったころは、小さな親柱にしっかり橋名を刻した橋も多く有りました。今もまだ残っている橋。すでに姿を消した橋を合わせて紹介したいと思います。
最初にも書いた通りこの地域には小河川が多く、私が確認した河川名も、箱森町の東の端を流れる「巴波川」。そしてその巴波川の西側を流れ、雷電橋の下流で巴波川に合流する「荒川」。
荒川橋1.jpg荒川橋2.jpg
(荒川と言う河川名を初めて認識した「荒川橋」。現在も旧荒川筋に残っている。)

更にその西側には「旧赤津川」が大きく蛇行を繰り返しながら流れています。そして更にその西側に、我家の脇を流れる「清水川」が北から南に流れています。。
清水川2.jpg清水川1.jpg
(清水川の河川名が表示された、「清水川橋」)

この清水川に「中の橋」の上で右岸(西側)から合流する「館野川」などです。他にもこれらの河川から分かれた川筋も有りますが、残念ながら名前が分かりません。
私が河川の名前を認知する方法は地図上に記載されているか、橋梁に表示されている河川名から確認しますが、地図にも橋にも表示が無いものは確認出来ません。
それでは、これらの河川がどのように流れているか、地形図で見ると、最新の地図では住宅が多く描かれていて水路が描かれなくなっている為、分かり易い時期の地形図として、昭和40年国土地理院発行の2万5千分の1の栃木の地形図が有ります。そこに描かれている、箱森町東部付近の水路と道路の位置を、現状の様子との比較が出来る様、平成25年発行の地形図と昭文社2014年発行の栃木市の地図を元に作った概略図に、重ね合わせて表示してみました。
箱森町東部概略図.jpg
(栃木市箱森町東部概略地図)

略図の左上の十二社(神社)前から南方向栃木高校西側にほぼ直線に伸びる道路が旧鍋山街道で、明治33年7月5日の開通から昭和初期の路線変更までの間、鍋山人車鉄道のルートでした。
又、十二社前から東方向に横に伸びる道路が有ります。この道路は新栃木駅まで続いていますが、現在は途中で栃木インター前から真直ぐ来た県道32号線が、合流しています。
昭和40年の地形図に有った道路の位置を赤色で略図上に記しました。先に記した河川を横切る為その場所に小さいけれども橋が架かっていました。
ここで、十二社から進んで行き昔の様子を合わせて振り返って見ます。
最初は現在「(株)カワチ薬品栃木インター店」の南側で「清水川」の上流部に架かる「岡堀橋」に成ります。
岡堀橋1.jpg岡堀橋2.jpg
(清水川の上流部に架かる「岡堀橋」、十二社前旧鍋山街道から東へ150mに有ります)
今はこの橋の上流部は「(株)カワチ薬品栃木インター店」の店舗の下を流れる為確認できません。親柱に刻まれた橋名も現在親柱が破損して判読不能になっています。「(昭和)五年四月竣功」がかろうじて確認出来ました。
岡堀橋3.jpg岡堀橋4.jpg
(現在の「岡堀橋」。親柱も損傷が激しくなってしまいました。)
東に進んで行くと、「よこやま内科小児科クリニック」の東側にて現在の県道32号線に合流しますが、その手前に「榮橋」と刻まれた橋が残っています。
榮橋3.jpg榮橋1.jpg
(「岡堀橋」から東の方向に100m程で「榮橋」が有ります。)
「昭和十二年十月竣工」の文字も確認出来ました。河川の名前は確認できません。
榮橋4.jpg榮橋2.jpg
(現在の「榮橋」。橋の直ぐ東で栃木インターから来た県道32号線に合流します。)

地形図をながめると、この橋の直ぐ上で北側から流れて来た川が分岐しているのが分かります。昔この分岐点の写真を撮影しました。上流側から撮っています。中央に住宅が有って川はその家の左右に分かれて流れています。右手に流れた所に「榮橋」が有ります。(煙が出ていて良く見えませんが)
左側には橋が見えていますが、この橋は「深町橋」となっていました。
旧赤津川1.jpg旧赤津川2.jpg
(1991年撮影、旧赤津川。左奥が「深町橋」)(元「深町橋」の有った近辺の現在の旧赤津川)
現在はこの辺は新しく県道32号が抜けてしまった為、全く風景が変わってしまった所です。当然この深町橋は全くその姿を留めていません。
深町橋(1991年).jpg深町橋(1991年)2.jpg
(1991年に撮影をした「深町橋」。現在は県道32号線が通っています。)
以前はこの「深町橋」を渡って北側に行くと、市のごみ焼却所が有ったようです。昭和40年の地形図を見ると橋の上方、道路の先に煙突の地図記号が認められます。
そしてこの深町橋の下流側で川筋は南に向きを変え、先ほどの十二社から来た道路に架かる橋の下を潜ります。この橋の名前は以前「赤津川橋」とその親柱に刻まれていました。
赤津川橋1.jpg赤津川橋2.jpg
現在はこの赤津川橋も道路拡張の為姿を消し、暗渠となって旧赤津川はこの県道32号線の下を流れています。
赤津川橋3.jpg赤津川橋4.jpg
(新しい道路は歩道の部分も含めると、以前の道路幅より3倍以上広がています。)
更に東に進んで行くと「原前橋」が有りました。小さな親柱に「原前」の文字が刻まれているのを確認しました。
原前橋1.jpg原前橋s.jpg
当然この橋も道路拡張で姿を消しました。そして次の橋が巴波川に架けられた「原ノ橋」で現在の橋は道路の拡張に合わせて2001年に竣功しています。
原ノ橋1.jpg原ノ橋2.jpg
(巴波川に架けられた「原ノ橋」。親柱のデザインは以前の橋の親柱と同じでした。)

清水川に合流する館野川の名前を知ったのは最近の事に成ります。河川改修工事が行われた時に掲示された工事の案内板に「館野川」と言う名前を見て、始めた知ったのでした。以前は田圃の中を流れる小川でしたが、現在はコンクリートの水路に生まれ変わりました。
館野川1.jpg館野川2.jpg
(河川改修前後の館野川の様子)
館野川3.jpg
(館野川改修工事の看板を見て、初めて館野川の名前を知りました。)
最近も初夏にはカルガモが姿を見せますが、昔の小川の中を泳ぐ姿はもう見られないのは残念です。
館野川5.jpg館野川4.jpg

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