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栃木市内の三角点を巡る。 [地図]

今日は、先日の電子基準点を調べている中で、改めて地形図に表示されている「三角点」に興味が湧いたので、自転車に乗って栃木市内の「三角点」の場所を巡って見ました。
「三角点」については、我家の近くの錦着山の山頂にも設置されているのを、今から50年以上前1964年にカメラに収めました。今回改めて撮影をしましたが、三等三角点と刻まれた文字が少し判読しにくくなっています。
三等三角点錦着山1.jpg三等三角点錦着山2.jpg
(1964年撮影の三等三角点「錦着山」) (1016年撮影の三等三角点「錦着山)

国土地理院発行2万5千分1の地形図「栃木」を見ると、「錦着山」の山頂に当たる所に三角点の地図記号「正三角形の形の中心に丸印」が、そしてその横に設置個所の高さを表す「80.5」の数値。その右側に神社と高塔の地図記号も記されてます。実際の神社や燈台と同じ配置です。
錦着山護国神社1.jpg
(三等三角点の有る錦着山上の護国神社)

国土地理院が提供する「基準点成果等閲覧サービス」より、栃木市内に設置されている三角点情報を確認すると、約105ヶ所を数える事が出来ます。この三角点を一等から四等の内訳を見てみると、以下のような結果になります。
 ・一等三角点: 1ヶ所(晃石山)
   ※設置間隔は約40km、必要に応じて約25km間隔の補点が設置されます。
    全国に約1000点、栃木県内には11点(内5点は補点)有ります。
    男体山、三本槍岳(那須岳)、高原山、松倉山、八幡山、晃石山の6点が本点です。
一等三角点晃石山1.jpg一等三角点晃石山2.jpg
(晃石山の山頂に設置された、一等三角点「晃石山」)

 ・二等三角点: 5ヶ所(矢倉山、木山、家中、犬伏、赤麻)
   ※設置間隔は約8km。全国に約5,000点有ります。
    矢倉山は現在の地形図には「谷倉山」と記載されている、鹿沼市下粕尾と栃木市
    星野町、栃木市西方町との境界となる標高599.4mの山になります。
    明治42年発行の5万分1の地形図には「矢倉山」と表記されていました。

 ・三等三角点:35ヶ所(錦着山、大倉山、岩舟山、三峰山、平柳、上高島、中根、新波など)
   ※設置間隔は約4km。全国に約32,000点有ります。
    「平柳」は、栃木市平柳町3丁目の愛宕神社の境内に設置されています。
    愛宕神社は「ステーキドン」の東側に祀られている神社になります。
三等三角点平柳1.jpg三等三角点平柳愛宕神社.jpg
(三等三角点「平柳」の柱石) (境内に三角点が設置されている平柳町3丁目の愛宕神社)

 ・四等三角点:64ヶ所(桜本、癸生、大塚、和泉、法花、蛭沼、小倉、金崎、富張、泉川など)
   ※設置間隔は約2km。全国に約69,000点有ります。
四等三角点西国府1.jpg四等三角点泉川1.jpg四等三角点太平山1.jpg
(四等三角点「西国府」)     (四等三角点「泉川」)     (四等三角点「太平山」)

これらの三角点は常に見直しが行われていて、国土地理院が発行している地形図に三角点の設置箇所を見ると、位置や高さの表記が変化している物が有ります。
2万5千分1の地形図「栃木」で身近な三角点の状況を確認してみると、平成25年発行の最新の地形図には、先の「基準点成果等閲覧サービス」に見える、栃木市小野口町程久保に有った四等三角点「小野口」と、栃木市境町下都賀郡市医師会病院の南側住宅街に有った四等三角点「病院前」の二ヶ所の三角点が地形図から消えました。平成15年発行の地形図までは記載されていました。
これらの2ヶ所の三角点については、「基準点成果等閲覧サービス」を見ても記載有るものの、成果状態には「処置保留」となっていました。

以前、私は「三角点」は山の上にだけ設置されている物と、思っていましたが、設置条件に有る通り私達の身近にも設置されています。「三角点」の設置目的からすれば、通常見晴の良い場所に設置される場合が多いですが、平地に設置されている物も沢山有ります。もともとは見通しの利く場所であったと思われますが、時代の流れの中で、平地に設置された三角点の中には、住宅街の中にうずもれてしまった「三角点」や、圃場整理で移設を余儀なくされた「三角点」も有るようです。

今回巡った「三角点」の中に、二等三角点が2ヶ所有りました。「家中」と「卒島」です。
「家中」は栃木市都賀町家中の桜本に有る、尊照院(薬師堂)境内北側に並ぶ石仏群の後に、結構しっかり保護されて設置されていました。
二等三角点家中1.jpg二等三角点家中2.jpg
(二等三角点が設置された都賀町家中桜本の尊照院境内)  (二等三角点「家中」の柱石)

「卒島」は小山市卒島の北の端、栃木市との境界近くに有ります。県道31号線(栃木小山線)と広域農道との交差点に最近コンビニエンスストアーが出来ましたが、その裏手の道路脇に、二等三角点の柱石が殆んど埋もれるような状態で残っていました。
二等三角点卒島1.jpg二等三角点卒島2.jpg
(二等三角点「卒島」の位置を記す国土地理院が建てた標識と埋もれる柱石)

昭和8年国土地理院発行の2万5千分1の地形図「小金井」を確認すると、この場所は栃木町から瑞穂村卒島に向かって一直線に伸びた道路の西側、一面に広がる水田の中に、桑畑が僅かに残っていたが、三角点は丁度その中に記されていました。昭和55年発行の地形図では農地改良により水田の畦道は直交して桑畑は消え、近くには広域農道が通り、ほぼ現在の形が出来上がっています。そして周辺には宅地が出来水田が見えなくなりました。この三角点から少し南に下がると、そこにはまだ水田が残り、西方には太平の山並みを望むことが出来ます。その山並みの一番高い所が、一等三角点が設置されている「晃石山」419.1mです。
二等三角点卒島南方より望む晃石山.jpg
(二等三角点「卒島」の場所から少し南に移動した点から望む晃石山)

そこから更に自転車を走らせ、榎本に向かいました。榎本の街の北側に記された、三等三角点「榎本」を確認する為です。しかし道路脇の雑草の中に埋もれてしまったのか、確認できませんでした。陽が沈む前にもう一ヶ所をと、そこから大平町富田に戻り、栄町の住宅街に記されている、三等三角点「富田」の確認を行いました。
三等三角点富田周辺.jpg三等三角点富田1.jpg
(旧日光例幣使街道から1本東を並行する道路脇に残る三等三角点「富田」の柱石)
住宅街の一角にそれは残っていました。その場所に立っても四方は住宅に囲まれ、とても見通す事は不可能な場所に成っています。こうした三角点は今後どのようになって行くのか、10年後20年後に出来れば確認してみたい。





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