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佐野市犬伏新町の米山薬師堂へ(真田父子 犬伏の別れの地) [堂々巡り]

今年に入り始まった、NHKテレビの大河ドラマ「真田丸」、これまで初回視聴率が19.9%、2話が20.1%と、好調な滑り出しを見せています。
私の子供の頃は、「真田十勇士」の猿飛佐助や霧隠才蔵そして三好清海入道の活躍する物語に夢中になった。ドラマもこれからどう展開していくか楽しみである。
私も昨年の夏、信州上田城に行って来ました。上田城は天正十一年(1583)三月頃、真田昌幸によって築城された。それまでの真田の本拠地は上田盆地の北東隅、盆地を見下ろす砥石城、天正十年頃までは麓の伊勢山に居住していました。
上田城は千曲川の断崖に面し、盆地の中央に位置し、小県全体を掌握するのに最良の場所だったと云われています。
上田城2.jpg上田城1.jpg
(崖の上に建つ西櫓)                  (南櫓、奥に櫓門と北櫓が続く)
築城当時は千曲川の流れが、この櫓の建つ崖の下(尼ヶ淵)を流れていたと言います。
上田城3.jpg上田城4.jpg
(北櫓と東虎口櫓門)            (城跡内真田神社前に祀られた真田赤備え兜)   
石垣や建物は後世の建築ですが、堀などは真田氏時代のものと云われています。建設当初の上田城の構造は良く分からないそうです。しかし地形を利用した堀で囲まれ、土塁によって守られる堅固名備えに造られたとされる。後の時代の何度かの改変によっても、基本的な構造はあまり変わっていないとされています。
又、「真田赤備え兜」は大阪夏の陣において武具を赤で統一した「真田赤備え」部隊を率いた真田幸村公がかぶった朱色で鹿角型の兜です。

そして、その真田氏ゆかりの地が、栃木市のお隣、佐野市に有りました。
慶長五年(1600)五月、徳川家康は命令に従わない会津の上杉景勝討伐の動員令を発しました。東国の多くの大名がこれに応じ、天下分け目の関ケ原の合戦を目前に控えた七月二十一日、真田昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)父子も、下野国犬伏(現在の佐野市)にて、家康の嫡子秀忠軍に合流しました。
そこで陣を張っていた真田昌幸の元に石田三成の密書が届き、豊臣方に味方するよう書かれていました。
昌幸は驚き、急いで陣所に信幸と信繁を呼んで対応を協議しました。
父子三人の密談により、昌幸と信繁は豊臣方(西軍)に、長男信幸は徳川方(東軍)に付くことになりました。信幸は早くから家康の臣下に入って、家康の重臣本多忠勝の娘を妻に迎えていました。父子が分かれるという選択はやむおえなかった。そして、東西のどちらが勝っても、真田の家名が存続する手段として決断したともされています。
真田父子が分かれて戦う事を決断した所とされるのが、佐野市犬伏新町に残る薬師堂です。この薬師堂は旧日光例幣使街道の犬伏宿の東端に有る「米山古墳」の中腹にに有ります。
私がこの薬師堂を訪れたのは2014年9月11日、足利から岩舟間の例幣使街道を歩いた時でした。佐野の天明宿から犬伏宿に入り街道を東に進むと、街道の正面にこんもりとした小丘が近づいて来ます。
米山薬師堂2.jpg
(佐野市犬伏を東西に抜ける旧日光例幣使街道より東方の米山古墳を望む)
国土地理院発行2万5千分1の「佐野」の地形図にこの小丘上に三角点記号が有り、標高61.4mと記されています。裾野の標高が約30m有りますから、比高は30m程になります。
旧日光例幣使街道は、この薬師堂の前まで来ると山を迂回するように北側を回り込んで、関川町から三毳山の北麓を抜け、岩船山の南を通って次の富田宿へと向かいます。

山の西麓、街道の突き当りに有る石段を登り薬師堂の前へ。
米山薬師堂1.jpg
(米山薬師堂)
石段の左手、境内に「史跡 米山古墳」と刻した石柱が建てられています。説明板によるとここ「米山古墳」は栃木県指定史跡となっています。元々あった丘陵を利用し築造したもので、採土の必要が無かったためか、周囲に濠跡が無い。等の説明が記されています。
又、薬師堂の前に立てられた案内板に、「真田父子 犬伏の別れ」の地と題して先に記したような真田父子の話し合いの場がこの薬師堂であったと云われている。と記されています。
米山薬師堂3.jpg
(犬伏新町町会により薬師堂前に立てられた、「真田父子 犬伏の別れ」の地の案内板)
この後昌幸と信繁(幸村)は急遽沼田経由で上田に向かいます。
一方犬伏に留まった信幸は事態を家康に報告します。徳川家康は書状を信幸に送り、その忠義を褒めた上で、沼田領の他に昌幸の上田領も与える、と約束をしたと伝えられます。
関ケ原合戦の後、上田城は破却されましたが、小県の領地は約束通り信幸に与えられています。

NHK大河ドラマ「真田丸」のこれからの展開の中で、この犬伏の父子別れのシーンが見られるかと、又楽しみが増えました。

参考資料:週刊上田新聞社発行の「疾風六文銭 真田三代と信州上田」





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