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巴波川右岸に鎮座する大平町横堀の春日神社 [栃木市の神社]

栃木の市街地を抜けた巴波川は、東武日光線とJR両毛線の「巴波川橋梁」の下を通過した後、沼和田町と城内町二丁目との境界となって、流れを一度大きく東にカーブさせ、「弁天橋」の下流で、再び南に大きく流れを変えて、浄化センター、衛生センターの西脇を流れ、「金橋」「愛宕橋」を潜ると、その先で大平町横堀と大平町北武井の境界として南流しています。
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(途中の巴波川の土手には、菜の花や桜・桃などの花が咲き誇っていました)
私もたまにはこの辺まで足を伸ばして、歩いて来る事が有りますが、その度に巴波川右岸、大平町横堀に桜の木が並ぶ参道を持つ神社を遠目に見ては、一度桜の咲く時期に訪れたいと思っていました。
今年はその気持ちが強まったので、桜の咲くのを待って今日、自転車を飛ばして行って来ました。
前回は昨年(2015)6月3日に訪れ参拝をしていますが、その時参道入口に掲げられた、神社の説明板に今日4月10日が例祭と有り、御神楽奉納も行われると記されていましたので、時期的に桜も見られると思い、巴波川の左岸の土手上の道を下って来ました。
巴波川の左岸から対岸に、ずっと桜の並木が満開の花を付けて並んでいます。
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(巴波川の対岸に太平山をバックに春日神社の参道の桜を望む)
巴波川に架かる「吾妻橋」を渡って、春日神社参道入口前に自転車を停めて、参道入口の朱塗りの鳥居を潜り、その先に拝殿前まで続く桜のトンネルとなった150メートル程の参道を進みます。
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(巴波川に架かる吾妻橋西橋詰に春日神社参道入口、朱塗りの鳥居と祭りの幟旗)
今年は開花が早いと言われていますが、こちらも参道は桜の花びらが盛んに舞い落ちて言います。桜の花に混ざってすでに緑色の葉も見られました。
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(桜のトンネルとなった参道)        (石の鳥居の奥に拝殿を望む)
拝殿ではすでに神事が始められているのか、中に大勢の人達が座って、神主さんが唱える詔の声だけが、拝殿から漏れて来ています。
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(春日神社拝殿)               (神楽殿には奉納神楽の準備も出来ていました)
その場で参拝するのは少し躊躇われたので、暫らく境内内を散策しました。でいれば奉納されるお神楽も、見たかったのですが時間の余裕も無かったので、諦めました。
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(境内に祀られた石宮)               (人丸神社)

春日神社の主祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)。
配神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、比売神(ひめがみ)
大平町誌に記されている春日神社(旧村社)大字横堀によりますと、境内地は1,719.97坪。氏子数は100戸。沿革については、≪当社は徳川将軍家安泰祈願のため、後光明天皇の承応元年(1652)旧2月15日、信濃守大森頼直(藤原姓)が、大和国(奈良県)三笠山より勧進建立したという。将軍家の崇敬厚く三ツ葉葵の紋章使用や、将軍家宣公御台所寄進の錦の御戸帳 信濃守寄進の石鳥居や50石の御朱印地等があった。・・・・・(後略)≫と出ていました。

150メートル程の参道を抜けると、寛文五年(1665)と刻された石の鳥居の右手、境内の端に「松長山久遠院大森寺跡地」と刻した石碑が建てられております。そしてその傍に、小さな石祠や無縫塔などが祀られています。石碑に記されてる通り明治初めの廃仏毀釈により廃寺となった、久遠院(天台宗)がこの地にあったのでした。
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(松長山久遠院大森寺跡地の石碑)         (石碑の脇に祀られた石祠や無縫塔など)

栃木市城内町二丁目に有る天台宗の寺院、星住山圓通寺が平成十四年八月に発行した、「寺史照顧(円通寺開山と中興)慈覚大師・等海法印・高慶大師」の本の中に、「第三の五、高慶大師記録 (豪弁文書)」の記事が載っていますが、そこに横堀の久遠院大森寺の開山で圓通寺22世豪弁について、詳しく記されています。
帰りに圓通寺によって参拝させてもらいました。
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(星住山圓通寺本堂)                     (独鈷泉の水面を覆う桜の花びら)
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