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旧日光例幣使街道の起点、倉賀野宿閻魔堂を訪ねる。 [堂々巡り]

先週の土曜日、旧日光例幣使街道の起点となる、中山道の宿場町「倉賀野」に車を走らせました。
日光例幣使は江戸時代、正保4年(1647)から毎年4月の日光東照宮の例大祭に奉幣する為に、朝廷から派遣された奉幣使で、慶応3年(1867)まで221年間、1回の休みも無く続けられました。
日光例幣使は、毎年4月1日に京都を発って中山道を下り、上野国の倉賀野宿にて中山道より分かれ、我が栃木市街を通過して、鹿沼市楡木にて日光西街道(壬生通り)に合わさる、日光例幣使街道を通って、4月15日に日光に到着するのが慣例になっていました。
倉賀野宿の「下の木戸」を出た所で道は分岐し、「従是右江戸道、左日光道」と刻された道しるべが建てられています。
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(右が江戸に向かう中山道、左が日光に向かう例幣使街道)
そして道しるべの背後には、文化10年(1814)に立てられた立派な常夜燈と、さらにその奥に閻魔堂が建っています。
倉賀野宿1.jpg倉賀野宿3.jpg
(例幣使街道を示す新しい道路標識)         (分岐点に建つ道しるべと常夜燈)
私は、2014年9月21日に一度、この閻魔堂を訪れていますが、その時は丁度堂宇の老朽化が酷くなったとして、解体をされた後でした。昨年(2015)の5月に再建されたという事で、今回新しくなった閻魔堂を訪れました。
倉賀野宿2.jpg
(新しくなった閻魔堂)
倉賀野宿の旧中山道を、少し歩いて見ました。「連子格子」の有る建物やナマコ壁の土蔵など明治期の面影が残る建物を見る事が出来ます。
倉賀野宿6.jpg倉賀野宿9.jpg
(矢島家)                           (吉野家「叶屋」)
倉賀野宿5.jpg倉賀野宿10.jpg
(大山家)                    (街道の様子、左手に倉賀野古商家おもてなし館)
ただ午後1時を回る頃、歩いているだけでも夏の陽射しが照り付け、汗が噴き出て来ます。そこで少し空調の効いた屋内に入ろうと、近くの「群馬県立歴史博物館」に避難しました。
群馬県立郷土歴史博物館玄関.jpg
(群馬の森内、「群馬県立歴史博物館」の正面入口)
「群馬県立歴史博物館」は、先ほどの分岐から日光例幣使街道を少し行った先に有る「群馬の森」の中に有り、先月(7月23日)リニューアルオープンをしたばかりでした。
館内は空調が効いていて、最高に快適空間、ゆっくりと群馬県の歴史・文化を見て回りました。
「近世」のコーナーには、今回訪れた中山道倉賀野宿周辺の様子がジオラマで展示紹介されています。
倉賀野宿ジオラマ1.jpg
(倉賀野宿のジオラマ。左側の道の両側に家並みが続くのが中山道。右側に流れる川が、利根川支流の烏川。川には帆を掛けた舟が何隻も見えます。倉賀野宿は烏川の舟運による河岸も栄えていました。)
ジオラマをよく観察をすると、丁度中山道と日光例幣使街道との分岐付近を進む例幣使一行の行列が細かく再現されているでは有りませんか。馬に乗る人達や、長持ちを担いでいく人達、行列の中央付近に12名の人によって担がれている、一際大きい御輿には天皇からの宣命と金の幣帛を納めた櫃が収められているのか。行列後方には四枚肩の引戸駕籠が続く。数えてみると総勢74名(駕籠に乗っている人も含む)の行列となっています。
行列の先頭はすでに、「下の木戸」を抜けて分岐点を左の日光道を進んでいます。
倉賀野宿ジオラマ3.jpg
(倉賀野宿下の木戸を通り、閻魔堂の分岐を日光道へ進む例幣使の行列先頭部)
倉賀野宿ジオラマ2.jpg
(倉賀野宿内中山道を進む行列。12名で担がれた奉納される金の幣帛を納めた御輿も。)
ジオラマを眺めながら、遠い昔に思いを馳せました。
この群馬の森の公園内も、今ブームとなっている「ポケモンGO」をする若者達の姿を、多く見かけました。

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