SSブログ

栃木町を潤したもう一つの水源、大ぬかり沼 [栃木市の河川と橋]

栃木市街地の中央、市役所本庁舎ビルと通りを面した所に、元「古久磯提灯店」の古い見世蔵を活用し、栃木市所縁の浮世絵師「喜多川歌麿」の数少ない肉筆画の大作「雪・月・花」の高精細複製作品等を展示する、「とちぎ歌麿館」が有りますが、建物の中に入ると、北側奥の壁に大きな「江戸時代の栃木町絵図」が、掲示されています。
歌麿館1.jpg栃木町絵図1.jpg
(大通りの向かいに見える見世蔵が「とちぎ歌麿館」)(掲示されている宝暦9年栃木町絵図)
絵図は宝暦9年(1759)の栃木町を描いたもので、町の中央を縦に1本広い道路が貫いています。「日光例幣使街道」です。絵図の左側から下側を青く染めているのが、栃木市の郷土史家「日向野徳久」先生が「栃木の母なる川」と称した、「巴波川」の流れ。絵図の右側中央に現れ、右端を下に進み少し中央部に出てくる、青い線が「杢冷川」で下側で「巴波川」に落ちています。そして、上部中央から例幣使街道の東側をほぼ並行して描かれている、細い青い線が「満福寺用水路」と呼ばれた水路と思われます。
江戸時代の栃木の町は例幣使街道を中心にして、その両側に短冊状に屋敷割がされ、通りの西側の屋敷の敷地は、通りから巴波川縁まで、通りの東側は通りから用水堀まで貫いています。
そして大通り(例幣使街道)の中央にも、青色の線が上町から中町そして下町まで流れ、通りから東に外れた後、巴波川に落ちています。
この大通りの中央を流れる水路や東側を流れる満福寺用水路の水源はどこなのか、宝暦9年と栃木町絵図には、町の北の木戸外は描かれていません。栃木町を潤した水はどこから来たのか、栃木市の歴史書を開くと、答えは簡単に見つかりました。
「栃木市史資料編近世」の巻頭口絵に上記の「宝暦9年栃木町絵図」の写真と一緒に掲載されている「例幣使街道栃木宿絵図」そして「うづま川絵図」の写真の中に、栃木町の直ぐ北側、嘉右衛門新田や大杉新田(現在の泉町の西側、嘉右衛門町との境)付近に、「大ぬかり沼」と記された沼地が描かれて、その沼の南端から流れ出た水は、現在の桜井肥料店の屋敷の北西角付近で三筋に分岐。一つは北の木戸の外に架けられた土橋の下を潜って、通りの東側「満福寺用水路」として流れ、一つは上町通りの西側の屋敷の裏手を数軒下がった屋敷の間から大通り中央に出て、そこから通りの中央を流れる水路となります。そしてもう一つの流れは町の西側を南南西に流れて、巴波川に落ちています。
天保年間の栃木町と大ぬかり沼の推測絵図.jpg
(栃木市史に掲載されている絵図の写真を元に、栃木町とその北側の新田付近を模写)

現在、大ぬかり沼は姿を消しています。何時ごろ埋め立てられたのか、これまでの所資料を眼にしていません。明治19年に発行された栃木の迅速測図にもその姿は確認できませんから、江戸時代の後期に埋め立てられてしまったものと思われます。天保8年(1837)に描かれた、「栃木町並栃木続新田村屋舗図面」(栃木郷土史に掲載)には「大ぬかり沼」が描かれています。

「大ぬかり沼」の名前が記されている資料としては、栃木市史に掲載されている、「文化2年(1805)2月、栃木町明細書上帳」が有ります。その中には以下の様に記されています。
≪大ぬかり沼より落口字内善橋  一、土橋壱ヶ所 但し長さ弐間余 横幅9尺 右橋普請修覆共に栃木町に而仕候≫
又、同資料に、
≪一、用水 是は大ぬかり沼より出水、町中を相流用水并に東裏田地用水に而、右沼より10丁余過下町東裏に而 巴波川江流落申候 尤渇水の節は当町より軒別に罷出、沼浚い仕候≫
などの文章が認められました。

現在、町の中を歩いて見ると、此処彼処に昔の水路の跡と思しき風景を目にすることが出来ます。
現在の大町の大杉神社裏手には、出水の跡が存在します。
大杉神社裏手湧水池1.jpg大杉神社裏手湧水池2.jpg
(大町大杉神社北側の出水の跡)   (出水の西側から真直ぐ南に水路が伸びている)
そしてその出水から大町公民館の西側を南流する堀割が、例幣使街道と大通り(北関門通り)との間に位置する道路に沿って、嘉右衛門町のヤマサ味噌の樽洗い場の有った場所の南側で、道路の西側から東側に移って更に南に続いています。
大杉神社裏手湧水池3.jpg大杉神社裏手湧水池4.jpg
(大町と昭和町境の道路沿いを南に流れる)    (ヤマサ味噌の元樽洗い場付近)
そして、ヤマサ味噌工場の裏手(東側)、樽洗い場の南側で道路が二股に分かれます。私の思うところこの2本の道路に挟まれた場所がその昔、大ぬかり沼が有った所ではないかと、考えています。
大ぬかり沼1.jpg大ぬかり沼跡2.jpg
(嘉右衛門町と泉町との境。元大ぬかり沼の北端か?) (水路は一路、万町櫻井肥料店裏方向へ)
そして、今も残る一筋の用水路は、桜井肥料店の北西角の水門へと至ります。
桜井肥料店付近.jpg桜井肥料店裏手水門1.jpg
(万町、桜井肥料店前、江戸時代ここに栃木町北の木戸が設けられていた)(桜井肥料店裏の水門)
この水門の上流側で、桜井肥料店の北側を暗渠となって東に向かう水路の口を見る事が出来ます。又、水門の下流側は「万盛橋」の下を潜り、蚤の市通りの西側に沿って一部暗渠となって流れ、市役所の駐車場ビルの南側で巴波川に落ちています。
桜井肥料店裏手水門2.jpg巴波川合流点1.jpg
(桜井肥料店北側、暗渠化した水路が見えます)(市役所駐車場ビルの手前右手中央に用水落ち口)
大通りの中央に有った水路は、第三代栃木県令となった三島通庸の土木政策で、通りの左右に変えられています。現在は暗渠となって姿を見る事が出来ませんが、下町で通りから外れて巴波川に落ちる水路は、現在の室町古里家さんの北側道路沿いの水路となって現れ、古里屋さんの裏手(東側)住宅の間を南流して、その先にて巴波川に落ちているのが確認できます。
巴波川合流点4.jpg巴波川合流点3.jpg
(河合町東端の住宅地内の水路。この下流で巴波川へ)(巴波川開明橋下流左側の落ち口)

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 1

八島 守

「大ぬかり沼」の存在を初めて知りました。とても勉強になりました。ありがとうございます。

1)江戸時代に江戸で印刷された地図に、栃木宿の直ぐ北に大きな沼の描かれた地図があるんですが、この沼は「大ぬかり沼」の可能性がありますね。

2)私は以前から、嘉右衛門新田や大杉新田が開発される前は、これらの地は湿地帯ではなかったかと考えいましたが、その可能性が高くなりましたね。
by 八島 守 (2018-03-26 11:44) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0