塩谷町の西荒川に架かる「落合橋」 [橋梁]
昨日は、あても無く車を走らせていました。不安定な天気で途中で急に激しい雨の中を走ったかと思うと、青空の下を走る所も。宇都宮環状道路から田原街道を北上して、県道63号線を更に北に向かいました。走って行くと前方に水色に塗られたアーチ橋が見えてきます。橋好きとしては、ここは素通り出来ません。橋詰の駐車スペースに車を停めて周辺を散策しました。
橋の親柱に大きな自然石を置き、「落合橋」、「西荒川」の文字を彫り込んでいます。この橋は平成11年(1999)10月に架け替えが完成しました。大きなアーチからのワイヤーにより橋桁を吊っています。ローゼ橋(補剛アーチ橋)と言う種類の橋になるのでしょうか。
橋の名称「落合橋」と言うのは、この橋の直ぐ下流部にて、西から橋の下を流れて来た「西荒川」が、北側から流れて来た「東荒川」に合流する、「西荒川」と「東荒川」とが落ち合う場所に架けられている事から、名付けられたものと考えられます。
(落合橋の北東側橋詰より下流側を。左下側から東荒川、右下側から西荒川)
このような例は、栃木市を流れ下った永野川が、小山市中里付近にて巴波川に合流する場所に架かる「落合橋」や、同じく栃木市出流町にて北の端「片角」から、出流ふれあいの森の中を流れ下りた、出流川(片角川)の右岸(西側)に、出流山満願寺の境内から流れて来た「観音入り沢」の水が落ちる、丁度落ち口に架けられた「落合橋」にも見る事が出来ます。
合流点の下流部に架けられた橋の所まで行って見ると、「落合橋」と同様に大きな自然石の親柱には、「熊ノ木橋」「荒川」の文字が彫られています。「西」と「東」の荒川が合わさって、この橋の下を流れる時には、「荒川」と名前を変えていました。
熊ノ木橋の道を少し東に歩いて行くと、田圃の畦に”星ふる学校「くまの木」”と手書きされた案内の柱が建てられています。後方に校舎らしき建物が見えます、興味が有ったので行って見ました。入口の石の門柱に「栃木県塩谷郡塩谷町立熊ノ木小学校」の表示が付いています。
小学校は平成11年(1999)3月に廃校となり、現在は本格的な天体ドームで星空観察体験等も出来る、宿泊型体験学習施設に生まれ変わっているそうです。
一度宿泊して、この山の中で真っ暗な空に輝く数えきれない星の光を、ジックリと見てみたいと思いました。
施設周辺の田んぼも緑から黄色く変わろうとしています。田圃に刺さっている棒の先端にトンボがとまっていました。もうすぐ収穫の秋になります。
橋の親柱に大きな自然石を置き、「落合橋」、「西荒川」の文字を彫り込んでいます。この橋は平成11年(1999)10月に架け替えが完成しました。大きなアーチからのワイヤーにより橋桁を吊っています。ローゼ橋(補剛アーチ橋)と言う種類の橋になるのでしょうか。
橋の名称「落合橋」と言うのは、この橋の直ぐ下流部にて、西から橋の下を流れて来た「西荒川」が、北側から流れて来た「東荒川」に合流する、「西荒川」と「東荒川」とが落ち合う場所に架けられている事から、名付けられたものと考えられます。
(落合橋の北東側橋詰より下流側を。左下側から東荒川、右下側から西荒川)
このような例は、栃木市を流れ下った永野川が、小山市中里付近にて巴波川に合流する場所に架かる「落合橋」や、同じく栃木市出流町にて北の端「片角」から、出流ふれあいの森の中を流れ下りた、出流川(片角川)の右岸(西側)に、出流山満願寺の境内から流れて来た「観音入り沢」の水が落ちる、丁度落ち口に架けられた「落合橋」にも見る事が出来ます。
合流点の下流部に架けられた橋の所まで行って見ると、「落合橋」と同様に大きな自然石の親柱には、「熊ノ木橋」「荒川」の文字が彫られています。「西」と「東」の荒川が合わさって、この橋の下を流れる時には、「荒川」と名前を変えていました。
熊ノ木橋の道を少し東に歩いて行くと、田圃の畦に”星ふる学校「くまの木」”と手書きされた案内の柱が建てられています。後方に校舎らしき建物が見えます、興味が有ったので行って見ました。入口の石の門柱に「栃木県塩谷郡塩谷町立熊ノ木小学校」の表示が付いています。
小学校は平成11年(1999)3月に廃校となり、現在は本格的な天体ドームで星空観察体験等も出来る、宿泊型体験学習施設に生まれ変わっているそうです。
一度宿泊して、この山の中で真っ暗な空に輝く数えきれない星の光を、ジックリと見てみたいと思いました。
施設周辺の田んぼも緑から黄色く変わろうとしています。田圃に刺さっている棒の先端にトンボがとまっていました。もうすぐ収穫の秋になります。
2016-09-05 17:11
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