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国府村と大宮村との境界付近に有った「いちどん橋」 [栃木市の橋梁]

相当以前の事ですが、栃木市国府町の歴史の本を読んでいた時に、「一度橋(いちどんはし)」と呼ばれた橋が有ったと言う記事を目にしました。それ以来ずっとその橋が何処に有るのか、有ったのか気に成って、機会有る事に探していました。
半ばあきらめていましたが、先日自転車で大宮町から国府町を通って、下野市方面に出かけた時、偶然に途中の道端に「一度橋跡」と記した、案内板が目に留まりました。
一度橋1.jpg
(枯れた夏草に覆われた「一度橋(いちどんはし)」の説明板)
案内板の建てられた場所は、大宮町と国府町との境界を成す道路の脇で、そこには橋長2m程、橋幅4m程のコンクリート製の、橋と気付かぬ程の小さな橋が現在も架かっています。橋から西北西に350m程戻った所に、国府町の日枝神社の参道入口が有ります。
この「一度橋」の架かる場所は、現在も大宮町と国府町との境界線上に成っていますが、大正6年発行の地形図にても同様に境界線と成っています。
周辺には耕地整理により直線的なあぜ道が交差しておりますが、橋の架かるこの道だけは昔のままの曲線状の姿が残っています。しかし、橋の下を流れる堀の姿は大きく変わり、コンクリート製の水路が直線直角の流れと成っていました。
一度橋2.jpg
(一度橋の北側には圃場整備事業に伴う調整池が、奥に「四季の森」住宅団地を望む)
一度橋3.jpg
(調整池の東側から南側を囲むように流れる「延長用水堀」、左奥に太平山を望む)

一度橋を渡り東に少し行った道路脇に又同じような説明板と小さな石の祠が祀られています。道端の小さな石の祠は「見返り浅間」と言う様です。先ほどの「一度橋」とも関連する一つの伝承が、ここ国府町に残っているのでした。
一度橋4.jpg
(木花咲耶姫のロマンと悲話とが残る地に祀られた「見返り浅間」)

※「二度と渡れぬ、一どん橋」の悲話が載っている、島田順三郎著「坂東下野国 坂東鎮護の地 室の八島ものがたり」は、栃木市図書館にて閲覧しました。

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コメント 8

八島 守

「一度橋」の話は、癸生浅間神社の由来に出て来る話ではないかと思われます。

「癸生浅間神社の由来」は、インターネットのホームページで読めます。
by 八島 守 (2020-11-18 13:25) 

八島 守

「見返り浅間」について

私は、なぜか「一度橋」の名前を「「見返り橋」と覚えてました。
by 八島 守 (2020-11-18 13:30) 

八島 守

島田順三郎著「坂東下野国 坂東鎮護の地 室の八島ものがたり」について

室の八島について なにか新しいことが分からないかと思って この本を斜め読みしましたが、一切参考になりませんでした。

全くの作り話の本です。
第一 室の八島が坂東鎮護の地であるわけがありません。



by 八島 守 (2020-11-18 13:46) 

八島 守

癸生(ケブ)村は昔 煙(ケブリ)村と言いました。
これは室の八島の煙に由来する名前です。

つまり室の八島とは、癸生村(今は大塚町の一部)辺りの土地の事です。

木花咲耶姫は故郷である室の八島から富士山へ行き、富士山の神・すなわち浅間神社の祭神になりました。

以上の事から、癸生浅間神社の由来の内容が理解できると思います。



by 八島 守 (2020-11-18 14:24) 

八島 守

松尾芭蕉「奥の細道」室の八島の段に相当する 「曾良の旅日記」の箇所に 脈絡なく「ケブという村あり」と出てきますが、 これは

「惣社河岸から北西方向に500mほど行くと、癸生という村が有りますが、そこが室の八島の場所です」と土地の人が教えてくれたことを書いているんです。





by 八島 守 (2020-11-18 14:50) 

八島 守

補足説明
1.「曾良旅日記」の(乾ノ方五町バカリ)と(毛武ト云村アリ)とは、どちらも前後の文との脈絡が無くおかしい。
2.江戸時代の文にカッコ書きなんか無いだろう。これは傍注だったんではないか?

それで調べ回った結果、原文には次のように書かれていたことが分かりました。

「惣社河岸の上」の傍注として
「乾ノ方五町バカリ、毛武ト云村アリ」
(そこが、惣社河岸の上で村人が教えてくれた室の八島の場所です)

それから分かったことは、
惣社河岸の在った場所は、栃木市が建てた惣社河岸の記念碑の場所より1kmほど上流側であると言うことです。
by 八島 守 (2020-11-19 08:05) 

八島 守

惣社河岸の記念碑の場所

「曾良旅日記」
ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘカゝリ、室ノ八島ヘ行(乾ノ方五町バカリ)。

この文より、「大神神社の南東方向で思川にぶつかった所に惣社河岸が在った」と考えたわけです。

但し、大神神社からそこまでの距離は「五町バカリ」でなく「十町以上」
有りますが、そのことは無視しました。

by 八島 守 (2020-11-19 08:51) 

八島 守

[下野風土記](1688年編著)
編著者未詳

「室の八島 より富士山の神出たまうと云う事世人皆云える事なり。」

この富士山の神とは、[下野風土記]によれば「この花さくや姫」のことです。

このことは、癸生浅間神社の由来とピッタリでしょう。
by 八島 守 (2020-11-19 09:19) 

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