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栃木瓦は燻し瓦だった [建物]

私が生まれ、そして今も住んでいる栃木市箱森町は、昔は瓦屋さんが沢山有りました。その分布は、当初は錦着山の北東部、皆川街道沿いに集落を形成するように有った様です。その後、箱森町から赤津川分水路周辺の泉川町や新井町方面に広がっています。現在はだいぶ軒数も減ってしまいましたが、まだ瓦屋さんの看板を見かけます。しかし現在生産している瓦は、陶器瓦だと言います。昔の「栃木瓦」は製造に手間がかかる、燻し瓦という物だそうで、戦後に成ると徐々に衰退をして、現在では日常的に「栃木瓦」の生産を行っている製造者はいなくなっているそうです。
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(子供の頃は瓦を干している景色や、瓦を焼くダルマ窯の姿を其処彼処で見られました)
そんな「栃木瓦」の歴史をひも解くと、文政年間(1813~1830)の頃に、三河の国三州から来た職人、田村綱五郎・梅吉、そして泉文次郎の3名で製造が始まったと言われています。箱森町周辺には良質な粘土が取れた様です。私も子供の頃永野川や赤津川で良く遊びましたが、赤津川に沢山粘土が有った記憶が残っています。
馬車引き1.jpg
(赤津川の土手の上を行く、粘土を積んだ馬車)

現在多く使用されている瓦は、陶器瓦で粘土瓦の一種です。粘土を瓦の形にかたどったものの上に釉薬(うわ薬)をかけて、窯の中に入れて高温で焼き上げた瓦だそうです。瓦表面の釉薬がガラス質になっているため、水が浸透せず、長い年月を経ても美しい状態を保て、メンテナンスの必要が無いと言われます。我家の屋根もこの陶器瓦で守られています。
一方、栃木瓦と言われた燻し瓦(いぶし瓦)は、陶器瓦同様に粘土瓦の一種ですが、陶器瓦と焼成方法が違い、粘土を瓦の形にかたどったあと、何もかけずに窯の中に入れて焼き、その後むし焼き(燻化工程)にして瓦の表面に炭素膜を形成させてあげると、瓦全体(裏も表も)が渋い銀色をした瓦が出来上がるのだそうです。
日本建築のお城や社寺の屋根に多く使われ、深い味わいを醸し出しています。ただ、表面の炭素膜が年月の経過と共に剥がれ落ち、変色してしまうと言われます。(それでも現在は改善されているのでしょうが)
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(藤岡町甲の浄光院本堂が新築されましたが、屋根は「銀いぶし瓦」が使用されていました)

私が宇都宮市内の工場に働き出した当初、私の住所が栃木の箱森町と知ると、「瓦屋の多い田舎だね。」と良く言われていましたが、それも昔の事と成りました。

※瓦の製法については、石州瓦生産の株式会社シバオさんのホームページを参考にさせて頂きました。


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関取

興味深い記事ありがとうございます。
知り合いで親戚が愛知県豊橋にいるという人が結構いるので何でかな?と思っていました。
by 関取 (2021-05-11 14:25) 

増山

息子夫婦が箱森(まさしく皆川街道付近)に家を買い、遊びに行く度にたくさんの瓦屋さんがあることが不思議でした。主人の実家も私の両親も出身は他市ですが、私達が栃木市に住んで50年近いのに知らない歴史でした。とても解りやすく、勉強になりました。ありがとうございました。
by 増山 (2024-03-17 07:18) 

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