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栃木の鬼瓦 [建物]

蔵の街栃木の市内には、多くの見世蔵や文庫蔵が今も点在しています。それらの建築物の瓦葺屋根の棟の両端に据えられた「鬼瓦」について見て行きます。
「栃木の鬼瓦」については、栃木市倭町の「栃木郷土参考館」に掲げられた説明文によると、≪寺や見世蔵、文庫蔵などの屋根は鬼瓦が必要であり、その鬼瓦を作る人を「鬼板師」または「鬼師」と呼んでいます。≫と、記されています。ではなぜ屋根の棟の両端に鬼瓦が必要なのでしょうか。
先日、栃木市の文化課主催講座で、栃木市嘉右衛門町通りの「重要伝統的建造物保存地区」を、市の担当職員の方の説明を聞きながら、歩いて巡りました。
その時に、この鬼瓦についても説明が有りました。説明が有った場所は、嘉右衛門町通りの脇の駐車場内に残る古い土蔵の所です。
土蔵1858年築1.jpg土蔵1858年築2.jpg
(江戸時代後期、安政5年の土蔵)(②青海波の棟、鬼面の鬼瓦、影盛が配されている)

この建物が建てられたのは、安政5年(1858)という事で、この地区で年代が判明している土蔵の中では1番古い建物に成るそうです。
屋根の一番上の部位を棟と言い、その形状は幾つかあるが、栃木で見られるのは、①一般的に熨斗瓦を重ねた「あつのし」、②半円状の瓦を交互に積んで波の形に見せる「青海波(せいがいは)」(※日本の伝統的な吉祥模様)、③棟の側面を漆喰で平らにする、寺社の屋根に多く見られる「箱棟」の三種類です。
下野新聞社栃木支局1.jpg
(①の一般的な熨斗瓦を積み上げた棟に成っている、下野新聞社栃木支局の屋根)
白旗山勝泉院1.jpg
(③の箱棟と鬼面の鬼瓦、そして影盛を配した、湊町の白旗山勝泉院の屋根)

こうした棟を両側から押さえつける様に取り付けられたものが鬼瓦ですが、鬼瓦は寺院建築を中心に普及したそうですが、その本来の役目は棟部分の端から雨水が浸入する事を防ぐ為のものです。その上で更に建物と中に住む人に禍が及ばない様、魔除けとする為、邪気などの侵入を阻む様、鋭い形相の鬼面を模った瓦を配するようになったようです。
楡井家土蔵1.jpg
(嘉右衛門町の土蔵の屋根の上で睨みを利かす鬼面の鬼瓦、背後に影盛も有る)

但し一般の家では鬼瓦に鬼面を配しているのは殆ど見ません。市内で見る多くの鬼瓦に配されているのは、その家の家紋や屋号を表わしたものです。他に家を火災から守る願いを現し、「水」の文字を付けたものも見受けられます。

岡田記念館1.jpg岡田家1.jpg
上の鬼瓦は、岡田記念館の物。中央に配した紋は岡田家の家紋「車前草(おおばこ)」です。

横山家1.jpg横山家2.jpg
上の鬼瓦は、横山記念館の物。中央に配した紋は横山家の屋号か?横山記念館のお店の前の日除け暖簾や、共立銀行だった入口の扉の、曇りガラスに描かれた紋。金庫の扉にも描かれています。

水の文字1.jpg舘野家1.jpg
(水の文字が付いた鬼瓦)   (鬼瓦の後、一回り大きく漆喰で模ったものが影盛です)

またこうした大きな鬼瓦に多く見られるのは、鬼瓦の後に一回り大きく漆喰にて模った成形物ですが、これが「影盛」と呼ばれるものです。その役目は、説明を聞くところによると、鬼瓦に横風が当たると、その背後の瓦2枚分ほどが風の影響を受けて剥がれ易くなる。横風のあおり止めの為漆喰で重りの役目をさせたのが、「影盛」の目的という事でした。ただ最近の鬼瓦を見ると、影盛も鬼瓦と一体となっている物も多くなっている気がします。私が思うに、これは鬼瓦を大きく豪華に見せるだけの物に変わってきているのでは無いかと考えます。
最近は、栃木の街の中を歩くと、屋根の棟や鬼瓦の形に目が向く様になりました。今まで気が付かなかった屋根の見方が、少し分かって来た気がしました。






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