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元県庁堀、見て歩き [歩く]

今日は朝から気持ちの良い五月晴れと成ったので、上着を一枚減らして家の近くに有る栃木県の土木遺産「元県庁堀」を見て歩く事にしました。
この「県庁堀」は明治5年(1872)11月に落成した、栃木県最初の県庁舎が有った所。その当時は巴波川の西側は栃木町では無く、薗部村の鶉島と言いました。
栃木県庁は三島通庸が栃木県令に成った明治17年(1884)9月に、宇都宮町へ移転しましたので、ここに県庁が有った期間は僅か12年間に過ぎません。県庁舎は移転しましたが現在その跡地は、県立栃木高校や栃木市立中央小学校の敷地として利用されています。
堀は長方形をしていますが、北側の一辺が栃木高等学校の中に成る為、歩いて一周する事は出来ません。今回は北東側の角から堀沿いの道を南に歩き、南東角を回って南側を西に歩く。南西角から北に向きを変え、北西の角から東に折れて、県庁堀が旧鍋山街道の下に潜り、栃木高等学校内へ消える点迄歩いてそこから同じコースを戻りました。距離的には片道約900メートルに成りました。
写真と共に「元県庁堀」を見て歩きます。
まずスタート点は堀の北東側角です。
元県庁堀北東角.jpg元県庁堀北東角から西方向.jpg
(元県庁堀北東部角、堀の内側には栃木高校)(北側の堀は栃高校内に入り側道は有りません)
堀の角に立って見ると、堀の北側には家が迫り、堀に沿った道が有りませんので、東側の堀に沿っている道路を南方向に歩きます。この道路は南から北方向への一方通行と成っていますから、前方からの車に注意しつつ堀沿いの歩道を歩きます。
元県庁堀東側の道.jpg
(元県庁堀の東側の辺と成る道路から南方向を望む、奥に元市役所別館の時計塔が見える)
100メートル程歩くと堀に橋が架かっています。「清水橋」と橋の親柱に表示が有ります。この橋を渡る道路は、栃木高等学校の南側を通る道路で、明治33年に鍋山人車鉄道の軌道が敷設された所で、ここから東の巴波川に架かる「開運橋」(その当時は「トロッコ橋」と呼ばれていました。)の間には、鍋山人車鉄道会社の旅客及び荷物取扱い所などが有った様です。(昭和5年に街の中を通っていた路線が女子高方面に変更に成っています。)
清水橋.jpg清水橋橋名.jpg
(現在の「清水橋」、橋の北西側正面奥が栃木高等学校)
更に堀に沿って南に160メートル程歩くと、二つ目の橋「御幸橋」の東橋詰に出ます。
御幸橋.jpg
(御幸橋、橋の東南橋詰より歩いて来た北方向を望む。)
この橋はその名前に有る様に、明治32年11月15日から4日間、近衛師団北関東大演習の時に明治天皇が。又、大正7年11月13日から7日間行われた陸軍特別大演習の時大正天皇が、共に行在所と成った栃木高等学校への途中、御渡りした場所に架かる橋で、現在のものは「昭和6年12月架設」と親柱のひとつに刻されています。
御幸橋1.jpg御幸橋2.jpg御幸橋3.jpg
(御幸橋の親柱には橋名・河川名・架設年月、残る一つには「みゆきはし」と刻されています。)
この御幸橋の南西部に最近まで栃木市の市役所別館として利用されていた、大正10年(1921)11月竣功の旧栃木町役場庁舎(国の登録有形文化財)が建っています。私はこの建物を結構気に入っています。
元栃木市役所別館.jpg
(大正10年11月竣功の旧栃木町役場庁舎)
尚、「元県庁堀」の内ここ御幸橋が架かる南東部分は、町役場庁舎の他にも多くの見どころが集まっている場所です。栃木市街地を貫流する「巴波川」とこの県庁堀との間を舟で行き来をする為の「漕渠(運河)」が、御幸橋の南東側で繋がっています。ここに建てられている県庁堀の説明板に、明治六癸酉九月の「杤木縣廰圖」が掲示されています。
県庁堀説明板1.jpg県庁堀説明板2.jpg
(堀の内側に県庁堀の説明板が建つ)     (県庁が作られた当時の県庁敷地の図面)
図面を見ると漕渠が県庁堀に繋がった場所の、県庁敷地内に舟で運んだ荷物の荷揚げ場が描かれていますが、その後埋め立てられてしまいました。又、図面では堀は東西南北供直線で囲まれていますが、現在は
御幸橋の南側から堀の南東側角まで、少し東側に膨らむ様にずれています。明治19年7月に発行された栃木町の迅速測図を確認すると、既に荷揚げ場は無く、その近辺で堀は少し東にずれた形で描かれています。
県庁堀漕渠分岐.jpg水草1.jpg
(堀は御幸橋の南側で少し東側に曲っている。写真左手の橋は漕渠に架かる「学橋」)
元県庁敷地の南東側の角に立つと、堀の東側方向と南側方向が見渡せます。東側の堀は御幸橋の南で東にずれている為に、脇の道路も鉤の手に折れている為、漕渠に架かる「学橋」の先で「神道栃木」に突き当たる形に成ります。
<堀の南東部角からの景色>
南東角から西方向.jpg南東角から北方向.jpg
(南東角から南側の堀を撮影)      (南東角から東側の堀を撮影。正面奥は「栃木橋」)
ここから南側の堀沿いの道を西に向かって歩いて行きます。堀にはカルガモや緋鯉真鯉がゆったりと泳ぐ姿が見えます。
カルガモ.jpg鯉.jpg
東の角から130メートル程歩いた所に木橋が架けられています。県庁が置かれた当時、南側の堀の中央付近に表門に入る橋が架けられましたが、その当時の橋を模した様です。
木橋.jpg
更にその先に架かる橋は、この県庁が置かれた土地の地名「鶉島」を採り「鶉橋」(うずらばし)と命名されています。
鶉橋.jpg鶉島1.jpg
(元県庁敷地の南西側に架かる「鶉橋」)     (「鶉橋」親柱に付いた橋名プレート)
鶉橋から40メートルほどで堀の南西部角に着きます。

<堀の南西部角からの景色>
南西角から北.jpg南西角から東.jpg
(南西角から西側の堀を撮影)      (南西角から南側の堀を撮影。正面奥は「鶉橋」)

ここから西側の堀沿いの道を北に向かって歩いて行きます。西側の堀沿いの元県庁敷地内には現在は一般の民家が建てられています。当初は「県令」や「大参事」の住まいが建てられていた所です。
堀には綺麗な水が流れ、水草を見ているとピンクの桜の花びらが、水草に留まっています。その桜の花びらが何処から流れて来たものか、その先で発生元がすぐわかりました。堀の対岸に枝を張った八重桜が満開の花びらを5月の風に任せて舞って水面に落ちていました。
水草2.jpg水草3.jpg
南北約315メートル、一直線に伸びた堀沿いの道を一気に歩き北西の角へ。

<堀の北西部角からの景色>
北西角から東.jpg北西角から南.jpg
(北西角から北側の堀を撮影)       (北西角から西側の堀を撮影)
北西角から東に35メートル程で、堀は行き止まりに。その先を横断する道路は、旧鍋山街道でした。以前は鍋山人車鉄道が走っていた所です。私は小学校6年間この道を通り、栃木第二小学校へ通っていました。道路の東側は、栃木高等学校の校内に成ります。
鍋山街道脇の堀.jpg
(道路の手前で県庁掘りは塞がれています。ブロック塀の先は栃高校内)
私の家の近くに残る土木遺産ですが、今回改めてグルッと見て回りました。見慣れた風景でも有り、何処か新鮮な感じもしました。
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