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パーラートチギ(旧関根家住宅店舗) [建物]

国指定有形文化財と成っている栃木市倭町大通り(旧日光例幣使街道)沿いの旧関根家住宅店舗が、昨年の暮に新しく「パーラートチギ」としてよみがえりました。
それまでは、通路に面した鉄筋コンクリートタイル張り2階建ての店舗入口の扉や窓は閉ざされ、中が見えない様にガラス部分には目隠しがされていましたが、今は夕方ウォーキングでこの建物の前を通ると、窓がら灯りが洩れています。
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(建物が息を吹き返したように、光が漏れ出る旧関根家住宅店舗)

「関根家」は、明治から昭和初期まで、煙草卸売商を営んでいました。
石崎常蔵氏が著した「栃木人 明治・大正・昭和に活躍した人びとたち」には、
≪四代目関根源七氏は栃木煙草元捌組合を経営、小山・壬生・藤岡に支店を設け、下都賀郡内の煙草元売業界の責任者として活躍。五代目源七氏は昭和15年(1940)、第七代栃木商工会議所会頭、昭和14年に栃木市初代警防団長、戦後は初の社団法人商工会議所会頭に選任されました。会頭在任中は戦前戦後の会議所の歴史上最も苦難の時期であったが、会頭としてその重責を果たした。(一部抜粋)≫と記されています。
この「関根家住宅店舗」は、平成12年に国の登録有形文化財に指定されました。大通りに面した大正11年(1922)建築の「店舗」、その奥に明治期に建てられた「主屋」、さらにその奥の江戸期の建築と伝わる「文庫蔵」などで構成されています。
昨年の4月に元の所有者のご遺志により、栃木市に寄贈されています。

今回はその「パーラートチギ」さんを訪問しました。
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(パーラートチギのお店正面入口)       (店名のロゴ、お洒落ですね)
店舗の中に入ると、お洒落なアンティーク調の椅子やテーブル、チョッとした小物が置かれ、それでまた特別な雰囲気が演出されています。
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(店内を飾る家具、時の流れを感じる椅子)(緑の葉っぱが壁の白に映えています)

入口を入った横の小さなテーブルの席に座り、コーヒーを注文。暫らく窓の外を眺める。この角度から通りを見るのも又新鮮に感じます。外を観光客と思われる一団が通り過ぎて行きました。
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(窓際のテーブルには、西日が射しこみ始めています)

「建物の中、見学させて貰っていいですか?」
私のぶしつけなお願いに、お店の方が快く対応して下さいました。
調理室の裏手に2階へほ階段。急勾配の階段に手摺につかまり、注意して2階へ。北側の壁沿いの廊下。壁はコンクリートむき出しの様、西側の通りに面した部屋は外光が溢れ眩しく感じる。でも部屋に入ると白一色に塗られ、天井から、大正期をほうふつさせる照明が吊下がっています。いつも通りから眺めていた二階の縦長の窓。今その窓を通して外の景色を見ています。
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(2階の廊下の先は通りに面した西側の部屋)(2階西側の部屋、縦長上下開閉窓)
下におりる時、やはり階段のステップ幅が狭い為か少し不安になりました(これは歳のせいでしょうか)。注意してゆっくりと一階に戻りました。
次に店舗の後に続く部屋に足を踏み入れます。そこには店舗部分と全く違った「和」の世界が広がっています。屋根に設けられた明かり取りの窓から差し込む光が、部屋の中を明るく照らし出しています。
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(店舗後方の「主屋」、木造2階建、南側に通り土間が店舗土間に続く。数寄屋風)
更にその通り土間の先に有る潜り戸を抜けると、中庭に出ました。見られるのはここまでです。その中庭の先に土蔵が見えます。江戸末期に建てられたものと伝えられています。
江戸時代、例幣使街道のひとつの宿場町として栄えた栃木宿は、街道の両側に短冊状に屋敷割が行われ、間口が狭く奥に長い、うなぎの寝床の様な敷地を持つ町屋で、形成されていました。関根邸にてこの特徴をハッキリと確認する事が出来ました。
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お店に戻り、もう一度通りを行きかう車と人の動きを眺めつつ、ゆったりとした時間を暫らく過ごしました。

「パーラートチギ」
若い人たちが運営する「新しい空間」がこれからずっと栃木の街に根付いて行って欲しいと思いました。

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