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栃木市吹上町の街中を貫流する水路 [栃木市の河川と橋]

栃木市吹上町に、西隣の大森町から流入して、街中を東に南に流れを変えながら、南隣りの野中町で赤津川に架かる長宮橋の直ぐ下流側右岸に落ちる、一筋の細い水路が有ります。
以前から市内の河川と橋とを巡っていて、この吹上町の水路も気に成っていました。
今日は台風一過の影響か、早朝から青空が広がり太陽が容赦なく照り付けています。日中にはこの夏一番の暑さになるとの予報で、行動するなら朝のうちにと決め、さっそく吹上町の水路に向かいました。
自転車を走らせ風を切ると、意外に気持ち良く感じます。早起きは三文の徳と言いますが、さっそく効果が出ました。水路の途中で出会った地元の方に声を掛けて、「この水路の事を地元の方は何と呼んでいまか?」と聞くと、「まぐさっ堀」と教えた頂けたのです。
これまで色々資料を探していたのですが、この水路の名前を記したものが見つかっていませんでしたから、貴重な情報を得ることが出来ました。
吹上町の水路「まぐさっ堀」の流れを概略図にしました。
「まぐさっ堀」は図の左上「サントリー」の工場の有る山間から流れ始め、仲方町から大森町を流れ、吹上町に流れ込んでいます。
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(まぐさっ堀は概略図の左上「サントリー」から流れ、右下の野中町で赤津川に落ちています)
さっそく上流側から水路に沿って自転車を走らせましたので、写真で途中の風景を確認して行きます。
まぐさっ堀1.jpg
(まぐさっ堀の上流部も流れ。正面奥はサントリーの工場に成ります。)
この辺りの水路は古い護岸が残っています。近くに国土地理院の四等三角点「大森72.5m」が有ります。一方赤津川との合流点にも四等三角点「前原59.7m」が有りますから、「まぐさっ堀」は比高12.8mを流れ下っている事が分かります。
まぐさっ堀2.jpgまぐさっ堀3.jpg
(仲方町から大森町へ一直線に流れ)(水路脇の道がS字に曲り水路右岸に変わります。)
大森町はこの水路とほぼ平行に走る南側の県道栃木粕尾線との間を、平成以降土地区画整理事業を進め、碁盤の目の様に縦横直交する造成が行われ、新しい住宅地が出来上がって来ました。
水路沿いにも多くの新しい住宅が見られます。その為大森町の水路の護岸も新しくなってます。
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(途中、草むらの上空を沢山のトンボが朝日に羽をかがやかせて飛んでいました)
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(大森町の鹿島大明神の赤い鳥居の前を流れる)
鹿島大明神の鳥居は、平成27年にそれまでの鳥居が撤去され、現在の新しい鳥居に再建されました。
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(水路前方に吉野工業所の変電所が)  (水路北側山際の立派なお屋敷が)
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(前方山の中腹に吹上中学校)(水路脇の立て看板に「吹上中生徒のトレーニングコース」と)
表通りから路地に入ると住宅地の裏を流れ、木々が生い茂っている為か水路の北側には苔生した土地が広がっています。水路も夏草に覆われています。水路の脇に立てられた看板には、≪この道路は吹上中生徒の、トレーニングコースです。自動車の乗り入れは、ご遠慮願います≫と記されています。今朝も水路沿いで男の子が一人でランニングをしていました。私の脇を抜ける時「おはようございます」と挨拶をしてくれました。
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(住吉神社は吹上町の鎮守) (元吹上城の長屋門)
住吉神社は旧吹上村の中心地、神社参道入口の西隣りには当時吹上村の役場が有りました。現在もその名残が幾つか残っております。道路脇に役場入口の石柱が建っています。右側の石柱には≪栃木縣下都賀郡≫左側の石柱には≪吹上村役場≫と刻されています。この場所から南に向かう道路に進みます。
道路左手に趣きある長屋門が建っています。元吹上城の長屋門跡と云われています。
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(専福寺)         (専福寺の裏手を西から東に流れる。水路脇の石仏)
少し南に自転車を走らせると道路右手に大きな屋根が目に入ります。浄土宗の寺院「天神山専福寺」の本堂です。境内東側の塀際に多くの石仏が並べて祀られています。このお寺は都賀三十三薬師霊場5番札所と成っていました。水路はこの寺院裏手(北側)を西から真直ぐ東へ流れています。お寺の北西部に小さな橋が有り、橋詰に一基、享保4年(1719)と刻された青面金剛像を刻した石仏が祀られています。今から298年も前に建てられたものです。
横に架かる橋は、高欄など無いただの桁橋ですが橋桁側面に橋名が刻されています。
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(橋桁に刻された「横宿橋」の文字)(水路には綺麗な水が流れていました)
風化が進んでいる為ハッキリと分かりませんが、右から左へ「横宿橋」と辛うじて読む事が出来ます。水路には綺麗に澄んだ水が流れ、緑色の水草が流れになびいています。
水路はその先で住宅を迂回するように回り込み、その先で南に向きを変えています。
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(橋桁に刻された「新屋敷橋」の文字)(「新屋敷橋」の下流側、南に向かって流れる)
お寺の脇の道を南に進むと、東西に走る道路に突き当たります。左に折れて行くと、南流する水路に架かる橋に出ます。こちらの橋も先ほどの橋同様に橋桁の横に橋名が刻されています。「新屋敷橋」と有ります。こちらの方がハッキリと読む事が出来ました。
「新屋敷」も先ほどの「横宿」も橋が架けられた場所の小字に成っています。
「新屋敷橋」の下を抜けると、水路は南に向かっています。
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(前方奥に太平の山並み、その手前に東北自動車道を望む)
水路を探して自転車を走らせると野中町の長宮神社が祀られている米山の西方で水路を跨ぐ田んぼの中を進む道路の入口の橋を見付けました。橋の上から南西に向かう道路の先に、東北自動車道そして太平の山並みが望めます。水路は真直ぐ南の方向、東北自動車道の方向に伸びています。
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(写真右手に見えるのが東北自動車道、中央奥の森の様にこんもりした小高い山の南側中腹に野中町の長宮神社が祀られています。)
東北自動車道の側道近くで水路は直角に向きを東に変えています。そしてそのまま東に進み高速道路の下を潜って東側を南流する赤津川に合流します。
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(赤津川、手前右側に合流する「まぐさっ堀」、長宮橋より撮影)
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(仲方町から大森町・吹上町を流れた水はここで赤津川に落ちています。)
ここで吹上町を流れる「まぐさっ堀」のルートを探るのは終わりですが、まだ一つ疑問が残っています。
この合流点の赤津川は、昭和26年に完成をした分水路で、それ以前の赤津川はここより上流点で東の方向に蛇行して流れて行ってしまいます。
「まぐさっ堀」はそれより以前に有りました。明治17年に発行された迅速測図には吹上村の中を流れる水路が描かれています。しかし新屋敷以南の流れがハッキリと確認出来ません。水路は何処へ流れていたのか、まだ見つけられていません。

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