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栃木第二公園の築山上に建つ「藤田高綱先生之碑」 [石碑]

栃木市旭町の神明宮南隣りに位置する「栃木第二公園」は、私が小学生時代に遊び場としていた公園です。
公園には大きな噴水池や池の東側に築山が有り、そこで木登りをしたりして遊んでいました。
第二公園噴水池.jpg
(栃木第二公園の噴水のある池。バックの高い木が茂ってるところが築山)
第二公園内にはこれまでも紹介をした「日下開山二代横綱力士綾川五郎次碑」の石碑や、第二代栃木県令と成った「正五位藤川君碑銘」などの石碑が建てられています。
今回は先の築山の上に建てられている、「藤田高綱先生之碑」について調べてみました。
今日さっそく石碑の建つ「栃木第二公園」の築山に行ってきました。丁度築山の上には赤い曼珠沙華の花が沢山咲いていました。
第二公園築山上の石碑.jpg
(今、赤い曼珠沙華の花が咲く築山の上に建っている「藤田高綱先生之碑」)
石碑は大小2期建てられ、背が高く大きな石碑は、≪大正十年九月二代目藤田錦太郎正綱ノ時建之≫と碑陰左側に刻されています。
石碑正面上部に四角に囲んで「藤田高綱先生之碑」を篆書体文字で書かれている。篆額と碑文は≪大正五年四月 平安 劉須撰併書≫と記されている通り、明治34年3月31日から大正3年12月27日まで栃木県立栃木中学校(現栃木県立栃木高等学校)の第二代校長を勤めた人物です。
藤田高綱先生之碑.jpg藤田高綱先生追悼.jpg
(劉須先生の撰併書による碑文の石碑) (左横に建てられた「藤田高綱先生追悼之碑」)
碑陰を見ると「寄附者芳名」と下側に「発起者」とが連刻されていますが、当初の人数より寄附者が増えてしまった為なのか、枠からはみ出る様に、石碑の裏面一杯に名前が刻されています。
寄附者の芳名欄を見て行くと、最初に「栃木町」として「県立栃木中学校」の文字が有りました。これは碑文の中に記されている様に「藤田高綱」が明治35年5月より、栃木中学校の剣道指南をされていた由縁です。
他に栃木町関係者の名は80名に及びます。その他「北犬飼村」25名、「富山村」20名、この中には「下皆川青年会」の文字も見えます。「岩舟村」13名、「小野寺村」18名、「南摩村」9名、「粟野町」6名、「清洲村」10名、「結城町」5名、「栃木警察署員」34名、「吉田村」3名、「地方部」21名、「親戚」4名。その他枠外となられた方が25名も有ります。
碑陰下側の「発起人」欄を見ると、「有志」として10名の名前、次に「門人」として41名が名前を連ねています。
私はこの「藤田高綱」と言う人物がどのような人であったか、全く知らなかったのでインターネット検索に頼って、「藤田高綱」と打ち込むと、「栃木武徳殿」のページ情報facebookの検索結果が表示されました。
それを開いて見ると、画面に雪が降り積もる「栃木武徳殿」の建物に目を奪われます。素敵な写真です。
そこに「藤田高綱」の名前が出ていました。その内容を引用させて頂きます。
≪藤田高綱は、若年から文武両道を修め剣術の腕前は郡を抜いていた。やがて宇都宮藩主・戸田越前守の江戸邸に勤め、信心流剣法・下江又市の門に入り文久3年宇都宮藩の剣術指南役となる。明治15年下毛存武社という剣道場創設、のちに尊武館と改める。高綱はさらに、信武館道場を設立、下都賀を中心に上都賀、河内、安蘇郡下から県外結城にまでいたった。≫
と説明されています。まさに碑陰の寄付者の地域の広さがそこにも表わされています。

さて、「栃木武徳殿」の建物は私も以前から興味を持っている建物です。今日も足を運んで写真を撮って来ました。
武徳殿全景.jpg
(「栃木武徳殿」の建物全景)
この建物は先の「藤田高綱」先生の尽力により、明治44年4月3日に開設されたもので、現在は栃木市が管理をしている様です。
武徳殿玄関部.jpg
(玄関部分、入口上部に「武徳殿」の扁額)
現在入口左側に「栃木市剣道連盟道場」と「武徳殿剣道少年団」の木札が掲げられています。

昭和53年(1978)6月に私が撮影した、武徳殿の写真が有りました。そこには「青雲館道場」の扁額が写っています。
1978年6月青雲館道場 (5).jpg1978年6月青雲館道場 (4).jpg
道場では豆剣士たちが稽古に励んでいる様子が、垣間見られます。剣道や柔道などの武道は、「礼に始まり礼に終わる」と言います。躾がきちっとされている様子が、玄関先の下駄箱や土間に並んだ靴が整列されている所にも覗われる写真です。
「栃木青雲館」に関しては、ホームページが公開されていました。その中の説明を引用させて頂きます。
≪栃木青雲館創設は昭和28年にさかのぼります。戦後間もなく剣道が復興、繁栄し始めた頃、現在の栃木武徳殿に先生方が集まり稽古をする中で、子供の入門が少しずつ増えていくことがきっかけとなり初代館長石沢先生が栃木市内初の少年剣道場として、栃木青雲館が開かれました。≫
と、記されています。上の写真を撮影した当時は、「栃木青雲館」が武徳殿の道場を練習場としていたものでしょう。
栃木武徳殿のこの建物、栃木市剣道界のレガシーとして、保存と活用を続けて欲しいと思いました。
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