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長沼川(栃木市)について [栃木市の河川と橋]

「長沼川」と聞いても、それが栃木市の何処を流れているか、御存じの方は殆ど居ないと思います。知っている方と言えば「市内の河川を管理されている専門の市職員」だけではないでしょうか。私もこの河川の名前を教えて頂いたのは「市役所の河川維持管理の窓口ですから。
「長沼川」は、現在の大町に有る「八幡宮」の西側60メートルの所、県道32号線を北から南に横断するように流れる水路です。
此の所には昔、「栃木の三名水」と称された「八幡水」が湧いていました。(他は杢冷川の水源「杢冷水」と、圓通寺境内の「独鈷水」。)
県道32号線として道路が拡張される以前は、この場所に「八幡橋」と言う橋が架けられていました。
1986年6月八幡橋.jpg
(以前の「八幡橋」、後方奥に写る煙突は「油伝味噌」に有った物、現在両方共無い)
以前はこの湧水池は縦に細長い形をしていた事からか、「長沼」と呼ばれていました。
「栃木市史」史料編近世や、「栃木郷土史」の巻頭写真に、天保七年、天保八年ころに作成された古地図が掲載されていますが、それらの古地図の中に「長沼」が描かれています。そして「長沼」から流出した水路が、現在の嘉右衛門町や小平町を流れ、最終的に巴波川に合流しています。
長沼川1.jpg
(天保8年の古地図を参考に「長沼」周辺の水路を表わしました)
古地図には「長沼」との記載は有りますが、水路には「長沼川」との記載は確認できません。この名称は昭和に成って河川管理を進める上で、管理上からその水路に名付けられたものと考えられます。
以前にも「長沼」に関しては、このブログにて書いていますが、その時には水路の名前はまだ確認出来ていませんでした。
今回「長沼川」として改めてその流路の風景を巡ってみましたので、紹介いたします。
長沼川2.jpg
(県道32号線より南側を望む。この辺がかって長沼の有った所に成ります。)
長沼川3.jpg長沼川4.jpg
(左の写真中央の道路は、栃三小と嘉右衛門町通りを繋ぐ道。正面奥の建物は油伝味噌店の石蔵等です。右側の写真は嘉右衛門町と小平町との境界を流れる「長沼川」)
長沼川5.jpg長沼川6.jpg
(上の左の写真は、以前有った小平保育園の北東部辺りを南流する「長沼川」。右の写真は妙唱寺の西側の墓地の中を貫流する「長沼川」です。)
長沼川7.jpg長沼川8.jpg
(上の左の写真は、妙唱寺墓地の南側「寺内歯科」の西側駐車場辺りを、暗渠化して南流し、住宅地の間を流れて行く「長沼川」。右側は巴波川左岸の翁島の北側のへりに沿って流れる「長沼川」。水路右岸は翁島の茶室に成ります。)
長沼川9.jpg
(最後の写真は、手前の巴波川に長沼川が落ち合う所に成ります。写真左側が翁島です。)
写真を撮っていると、巴波川からカルガモ2羽が、長沼川方向に泳いで行く姿が有りました。
今回辿った所は、長沼川の本流で水路もはっきりと確認が出来ましたが、先の天保七年の「小平柳村川東絵図」には、長沼の南端から水路は二方向に分かれています。今回確認しなかった流れは嘉右衛門町通り(旧日光例幣使街道)のひとつ西側を並行して走る道路に沿ってほぼ南流する様に描かれています。
現在も残るその裏通りには、暗渠化された水路が有り、翁島の東側で巴波川に合流する手前の先の本流にその落ち口を見る事が出来ます。
街の風景は大きく変わりましたが、栃木の街の中を流れる多くの水路は今も江戸の昔の流れを殆んどそのまま残しています。


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