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塩谷崎灯台 いわき市マンホールカード [マンホールカード]

今日、福島県いわき市のマンホールカードをゲットしました。
マンホール蓋のデザインは、太平洋に面した塩谷岬の崖の上に建つ白亜の灯台、そしてその前で乱舞する多くのカモメ達。カモメはいわき市の鳥に指定されています。崖の上に描かれている木は、いわき市の木「くろまつ」とのこと。
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(いわき市のマンホールカード)    (カードを配布している「いわき・ら・ら・ミュウ」)
カードを配布している小名浜港の「いわき市観光物産センター いわき・ら・ら・ミュウ」でカードを貰い、港の見えるレストランで遅い昼食を食べた後物産店を見て廻る。
買い物をした後マンホールカードに描かれている塩谷崎灯台へ向かう。
車のナビ画面を見ると途中の道路に何カ所も通行止めのマークが付いている。2011年3月11日に発生した「東日本大震災」で海岸線一帯が甚大な被害を被ったものが今もまだ復旧の中に有る事が分かる。
しかし、塩谷崎灯台へ導く表示がしっかりされていて、工事中の道路を抜けながらも目的地に着くことが出来た。
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(塩谷崎岬の上に建つ白亜の灯台)
駐車場に車を停め灯台へ向かう、入口の表示を見ると閉館時間が迫っている。ここまで来たからには是非灯台に昇って太平洋を望みたい。
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(灯台への入口、「灯台まであと約190m」との案内も出ている)
必死に灯台への階段を走って登る。何とか受付窓口をパスして灯台へ。
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(塩谷崎灯台の参観受付所)
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(灯台入口の上に取り付けられたプレート、明治32年12月15日初点灯と有る)
灯台の螺旋階段を上がる。これが意外と厳しい、中々上に出ない。息を切りつつ何とか階段の上に、360度の眺望が開ける。水平線が広がる。穏やかな海が広がっています。大きなタンカーか?ゆっくりと航行している。
北の海岸線に目を向けると、真新しい道路が北に曲線を描いて伸びる。そしてその道路を守るための長い堤防が砂浜と道路の間に造られています。まだまだ復興工事は続いています。
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(北方向に広がる海岸線、いまだ復興中の様子を垣間見る)
西の空は茜色に染まり始めています。もう閉館時間です。
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(青い空が西の端から色を変えて来ています。もう直ぐ陽が沈みます)
灯台を後にして駐車場に戻ります。駐車場付近に幾つかの記念碑が建てられていました。
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(登り口に建つ記念碑、「喜びも悲しみも幾歳月」の歌詞が刻まれている)
記念碑の台座の説明文によると、≪この記念碑は 海を守る燈台守の妻として幾多の苦難の道を乗り越えた田中きよさん(小名浜在住)の手記が昭和31年の婦人雑誌に載った「海を守る夫と共に20年」に心うたれた木下恵介監督により「喜びも悲しみも幾歳月」と題して映画化されたものを記念して建てられたものです≫と記されています。もちろん私もこの映画を見ていますし、碑に刻された歌詞を自然とメロディーにのせて歌っていました。
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(雲雀乃苑と呼ばれる灯台の見える場所に立つ記念碑)
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(碑面には美空ひばりさんの歌「みだれ髪」の3番の歌詞が刻まれています)
昭和の歌姫、美空ひばりさんは私が育った時代の代表的な歌手でした。私も多くのひばりさんの歌を良く口ずさんできました。若かりし頃のひばりさんの映画も良く見に行きました。
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(美空ひばりさんの遺影の碑の前に立つと、ひばりさんが歌う「みだれ髪」の曲が流れる)
ひばりさんの遺影の前で聞く、ひばりさんの歌声。大病を患った後の復帰第一作となった「みだれ髪」。我が郷土「栃木」の大作曲家「船村徹」さんのメロディー、星野哲郎さんの作詞と言う素晴らしい作品。
既に太陽も西の山に隠れ塩谷崎岬も今、色を失っていきます。岬の上に建つ白亜の灯台の上に三日月が姿を見せ始めていました。
塩谷崎灯台11jpg.jpg
(塩谷崎灯台の上には、三日月が顔を出していました)
今日も色々な思いに浸った一日となりました。帰りの車の中何故か繰り返し「みだれ髪」を口ずさんでいました。
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