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謎のとけない舟形構造の通り・・・鹿沼市 [地図]

先日、久しぶりに鹿沼市の市街地を歩いて来ました。
今回は「歴史と文化を歩く会-栃木-」の19名のメンバーと一緒に、鹿沼市の観光ボランティアガイドさんの案内で、鹿沼市の旧市街地、日光道中壬生通り(旧日光例幣使道)の鹿沼宿を巡り、昨年(2016年)11月30日ユネスコ無形文化遺産に登録となった「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」の見事な彫刻が施された屋台と歴史ある社寺等の説明を受けて来ました。
東武新鹿沼駅前で現地のガイドさん達と落ち合い、鹿沼の歴史と文化の旅が始まりました。
駅前から東へ伸びる道を歩く、150メートル程で南から北に鹿沼の市街地を縦貫する通りとの交差点の角に出ます。「新鹿沼駅前交差点」と信号機の上に表示されています。この交差点から北側方向は二股に道路が分かれる「五差路」となっています。北に向かって右方向の通りが「田町通り」、そして左方向が「内町通り」と云われたと、観光ガイドさんの説明が続きます。
分岐点.jpg
(駅前交差点角から北側を撮影。手前の通りが例幣使街道、向こう側が田町通り。)

今回の鹿沼宿を歩く企画に参加を決めた時、私の頭の中に昔から消えずに残っていた疑問がよみがえって来ました。そして今まさに観光ガイドさんがその事について説明をしています。私は聞き耳を立て、その言葉の一句一句を聞き漏らさぬよう耳を傾けますが、脇を走り抜ける自動車の音にかき消されて、断片的になっています。
鹿沼宿を縦貫する街道筋は、上記の通りこの地点で二筋に分かれ、次第に離れるものの、互いに北に進み、鹿沼宿の先で又合流しています。その街道筋が描く形が舟の形を呈している「舟形構造の通り」に成っています。
元々はこの鹿沼宿の通りは右側の「田町通り」の1本だけでその道幅も1間ほどの狭い通りだったと言われます。それが、元和二年(1616)徳川家康が死去して、その遺骨が久能山から日光山へ移される事に成り、時の代官「大河内金兵衛秀綱」が、「田町通り」の西側、お城の近い側に幅12間の道路を開鑿したのが、現在の「舟形構造の通り」となった由来の様です。
1980年10月10日、「(株)そしえて」より発行された「地図の風景、関東編Ⅱ、埼玉・栃木・群馬」と題する本の中に、まさにこのテーマを記した記事が載っています。今回のタイトルに書いた「謎のとけない舟形構造の通り」は、その記事のタイトルに有った言葉を使わせて頂きました。
残念ながら街を歩くだけでは、この二筋の通りが「舟形構造」に成っている状況を知る事は難しいですが、国土地理院発行の2万5千分1の「鹿沼」の地形図を確認すると一目瞭然です。丁度今年の4月1日に最新の「鹿沼」の地形図が発行されたばかりですが、そこには「舟形構造の通り」をハッキリと確認出来ます。
舟形構造の通り・鹿沼市.jpg
(鹿沼市街地の主要道路の様子、南北方向に二筋の通りが舟の形に成っています。)

本来は従来から有る「田町通り」を拡張する所なのでしょうが、急遽「徳川家康」の遺骨を日光へ移送する事と成った為、恐らく通り沿いの家屋を移すより、それまでの集落の裏手をバイパスさせる方が、早く街道を整備できるとの判断で、新たな12間幅の道路を通したものと思われます。
こうしたバイパス道は、交通渋滞が激しくなった通りではどこでも渋滞緩和策として行われています。しかしこの鹿沼市の様な綺麗な舟形の構造は、あまり見られません。私の住む栃木市内にも「栃木環状道路」・「富田バイパス道」・「藤岡バイパス道」など旧道の渋滞解消を目的に整備されていますが、どれも道路が複雑に曲りあって、この鹿沼市の様な構造には成っていません。

こうした道路が二股に分かれ、又合流する構造は幹線道路などで良く見かけます。それらは一般に元々有った旧道が曲がりくねって、その上道筋に家並みが密集している所で、その集落の始点と終点の二点間を直線的に結んだ、言わばショートカットされた新道との組み合わせです。こうした通りの構造を「舟形構造の通り」に対して私は「弓型構造の通り」に成っていると思っています。
栃木市内には、こうした「弓型構造の通り」はいたる所で見る事が出来ます。
例えば、県道2号線(宇都宮栃木線)にては、大宮町印役付近。そして県道3号線(宇都宮亀和田栃木線)の、都賀町家中下新田付近。これらは少し大きめの集落を通らずその脇を新しい道路が直線的に抜けています。
栃木市内では有りませんが、県道31号線(栃木小山線)での、小山市卒島や小山市立木の集落にも見られます。
大宮町印役付近.jpg
(栃木県道2号線、栃木市大宮町印役付近。南側の曲がりくねった道が旧道)

しかしここ鹿沼市に有る様なハッキリした「舟形構造の通り」はなかなかお目にかかれません。ところがその鹿沼市内で今又、新たにこの「舟形構造の通り」が出現して来ました。それは鹿沼市の東部を横断する県道4号線(宇都宮鹿沼線)、東部台地区の東町から菊沢地区の千渡の区間、現在の県道4号線の北側に滑らかな円弧を描く様に新しい道路が姿を現して来ています。
県道4号線鹿沼市千渡付近.jpg
(栃木県道4号線、鹿沼市千渡付近。北側の新しい道路で交通渋滞解消に。一部推定です。)

今も各地で道路工事が進められています。その中には以前から有る道路の拡張で有ったり、新たに計画された道路で有ったりと、その目的は色々です。地形図を見ているとそこに描かれている地形にまた新たな謎が生まれて来ます。


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