SSブログ

幸来橋と開運橋と、その親柱に付いて [栃木市の河川と橋]

栃木市内を歩いていると、時に思わぬものを発見する事が有ります。
「え、こんな所にどうして、このような物が!?」と。
栃木市民であれば、巴波川に掛かる「幸来橋」と「開運橋」の名前を知らない人はいないと思います。
どちらも縁起の良い言葉が付られているので、郷土のお酒にもこれらの名前を付けたお酒が有るのか、市内の酒屋さんの看板に「幸来橋」「開運橋」の名前を見る事が有ります。
酒店の看板1.jpg
(栃木市内のお酒屋さんで、見かけた看板)
これらの橋は当然の様にこれまで何度か架け替えられています。
現在の橋は、「幸来橋」(こうらいばし)が平成4年11月(1992)に竣功しています。そしてそれまでの橋は大正14年7月(1925)の竣功でした。それ以前の橋は私が生まれる前の事ですから写真で見ただけですが木橋が架けられていました。
2000年幸来橋.jpg
(現在の「幸来橋」、平成12年撮影)
旧幸来橋親柱2.jpg
(架け替え前の「幸来橋」、平成3年6月撮影)
一方「開運橋」(かいうんばし)は少し新しく平成12年6月(2000)の竣功で、以前の橋は昭和12年4月(1937)の竣功でした。
開運橋.jpg
(現在の「開運橋」、平成25年6月撮影)
1980年頃開運橋.jpg
(架け替え前の「開運橋」、昭和55年撮影。後方に栃木セントラル劇場やウズマコーポが写る)

ところが、これらの架け替え前の橋の親柱が、市内の一般家庭の庭先に、庭石や石灯籠の様な感じで飾られていました。どうしてなのかは私が知る由も有りません。
でも偶然に見つけた時はその姿を、懐かしく感じました。
旧幸来橋親柱1.jpg旧開運橋親柱1.jpg
(旧幸来橋の親柱)                  (旧開運橋の親柱)

こうした架け替え前の親柱を記念に残している所も有ります。私が見つけたものでは、栃木県内では思川に架かる小山市の「観晃橋」の旧親柱のひとつが、祇園城跡公園の南側、現在の橋の北東側橋詰ポケットパークに展示されています。
観晃橋3.jpg旧観晃橋親柱1.jpg
(思川に架かる現在の「観晃橋」)          (橋詰に残る「旧観晃橋」の親柱)
観晃橋1.jpg観晃橋2.jpg
(現在の「観晃橋」の親柱。竣工は平成4年7月)

もう一つ、下野市と真岡市との境、鬼怒川に架かっていた「旧大道泉橋」の親柱のひとつが、今は解体撤去された旧大道泉橋が架かっていた東側橋詰近くに祀られている「石尊神社」境内に、残されています。
旧大道泉橋親柱1.jpg
(旧大道泉橋の親柱が、旧の「大道泉橋架設記念碑」と共に残されています。)

残念な事に最近新しく架けられる橋には、この親柱を持たないものが多くなっています。2007年5月竣工した新しい「大道泉橋」もその例に洩れず、親柱が有りません。親柱は橋のシンボルであると思っているのですが。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。