SSブログ

栃木市野中町、永宮橋が新しくなりました。 [栃木市の橋梁]

栃木市野中町の北側から西側へと流れる赤津川に、最近新しい橋が開通いたしました。
この新しい橋は、野中町から吹上町に向かう、市道2042号線が赤津川を渡る箇所に成ります。
橋の名前は「永宮橋」です。
永宮橋1.jpg永宮橋2.jpg
(この3月新しい姿を現した「永宮橋」)         (橋桁に取り付けられた橋銘板)

この辺は、ウォーキングでたまに歩いて来る所で、2年前に来た時に赤津川左岸に沿った道路に迂回路が作られ、川の土手で護岸工事らしき光景が目に留まりました。その時考えた事は、どんな内容の工事をしているのか。新しい橋を架けているのかとも考えましたが、直ぐ上流に橋は架かっているし、工事個所の川の右岸の先には東北自動車道が走って、橋を作っても取り付け道路のルートが思い描けませんでした。
永宮橋8.jpg
(赤津川左岸沿いの道路に作られた迂回道路と工事用スーパーハウス)

今年の3月に出掛けた時にその疑問は解けました。そこには既に橋桁が掛かっていました。しかし、まだ取り付け道路がどうなるのかは、見られませんでした。 
永宮橋9.jpg 
(新しい橋桁が架けられています。手前は旧永宮橋の高欄)

4月に確認した時は、橋桁を覆っていた足場も外されて、高欄が取り付けられて、橋自体は完成している様でしたが、まだ取り付け道路は出来ていません。
橋桁の横には既に橋の銘板が取り付けられていました。橋梁名は「永宮橋」、その下側の日付は「2018年3月」が架橋年月。
永宮橋3.jpg
(新しい「永宮橋」より上流側を望む。古い「永宮橋」とその後方の小丘「米山」が見える)
新しい「永宮橋」への取り付け道路は、左岸側は直ぐ川に沿っている以前の道路に接続。又右岸側は橋詰から大きく円弧を描いて、上流側の旧橋の橋詰の所で、これまでの道路に接続して、東北自動車道のアンダー方向に進みます。私の期待は新しい橋から新しいルートの新道が作られるのではと、例えば橋の左岸側は橋から真直ぐ東方向に抜けて、栃木市総合運動公園北側の道路につなげるのではなどと、勝手に想像をしていたのです。

尚、新しい「永宮橋」の約60メートル上流側に架かっている古い橋も、橋名は同じ「永宮橋」です。
この古くなった橋が架けられたのは、昭和26年(1951)です。既に架橋後67年間にもなり、以前からその寿命が懸念されていて、架け替えか補強補修か検討されていた時、あの、今から3年前の9月9日から10日にかけての豪雨に伴い、橋の通行が危険となって通行止めの処置が取られていたのです。
永宮橋4.jpg
(2015年9月10日以降通行止めとなった「永宮橋」)
この時に、この赤津川の下流に架かっていた、「田原橋」と「鹿嶋森橋」が橋脚の損壊や流失の被害を受けてその後取り壊し処理され「廃橋」となっています。
田原橋.jpg鹿嶋森橋.jpg
(2015年9月10日の豪雨の被害で廃橋となった、「田原橋」と「鹿嶋森橋」の被災状況)

ただ、「永宮橋」はその後応急的な補強がされて、再び通行が可能になっていました。その時私は、補強する事で新しい橋への架け替えは無いのだと考えました。でも今、見事に新しい橋が架けられ安心して通行する事が可能になったのです。

この「永宮橋」の橋名の由来はなんなのか、その一つとして、橋の上流右岸、東北自動車道のアンダーを抜けた先、野中町と吹上町の境界が山の頂上を通る「米山」と言う、標高82メートル程の小丘の南端に石の鳥居が建てられています。
永宮橋5.jpg
(東北自動車道のアンダーを抜けた先に現れる石の鳥居の有る小丘「米山」)

この「米山」の野中町側の山の中腹に祀られている神社が、「長宮神社」と言う野中町の旧村社に成ります。
永宮橋6.jpg永宮橋7.jpg
ただ、橋名は「永宮」の漢字ですが、神社名は「長宮」となっています。この相違は何なのか、私にはまだ回答を見付けられておりません。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。