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栃木市泉川町の稲荷神社 [栃木市の神社]

栃木の市街地から県道75号線(栃木佐野線)を西に向かい、錦着山の北西部にて赤津川に架かる「泉橋」を渡ると、その先に直ぐ信号機の有る交差点、そこを右折して北方向に進みます。
この道路は現在市道1021号線と言う1級幹線に成っていますが、明治の初期に発行された地形図には「従出流村至栃木町道」と、栃木町と寺尾・出流方面とを繋ぐ幹線道路でした。これは明治中期以降に鍋山の石灰を栃木町へ運ぶ為の「鍋山人車鉄道」の軌道が敷設される「鍋山新道」が出来る迄、まさに重要な道路で有りました。
コンビニの有る交差点から入って暫らくすると、道路左手前方の田んぼの先、木立の中に石の鳥居が見えて来ます。ここが今回紹介する、旧泉川村社の「稲荷神社」に成ります。
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(2018年7月撮影、市道1021号線より左奥の稲荷神社を望む)

「栃木県神社誌」を開くと、栃木市泉川町352番地 旧村社として、主祭神 稲荷神。配神 稲倉魂命。境内神社 鹿島神社・星宮神社・八坂神社と有ります。
稲荷神社2.jpg
(稲荷神社社殿を参道入口の鳥居手前より撮影)

神社の由緒沿革として、≪後花園天皇の頃、嘉吉2年(1442)伊勢内外より遷座し祀り、稲荷神社と称し奉り享徳年間(1452~1454)、檜村と称した事が有る。その当時檜の大樹が有って、幹中より清水が湧いたのでその後、泉川と変更した。≫と、そして≪本社に現存する大欅は、その大樹である檜を中心として、2本の欅を植付たものが、檜をかこんで、現在周囲が二丈四尺(7.27メートル)余となり、一本の様に見える程成長した。この大欅は享徳年間に植樹したといわれる。天保十二年(1841)の頃、本殿及び拝殿を改築して現在に至っている。≫と記されています。

私が2013年の秋に訪れた時には、この大欅は無くなっていました。
先ほどの神社の東側を南北に走る市道1021号線を更に北に進むと、新井町の旧村社「天満宮」の東脇を舐めるように通過していますが、この天満宮社殿の直ぐ手前左脇にドッシリと根を張る立派な大欅が聳えています。この大欅も近年大きく成りすぎた為上部を詰めてしまいましたが、栃木市が天然記念物に指定している「大欅」です。
一方、こちらの稲荷神社境内に聳えていた欅も、私がまだ若かった頃に見た時は大きく感じました。1979年の3月に遊び半分でその欅の根元に登り、大地に映った木の影を写真に収めました。その影を見ると確かに神社誌に記されたように幹が2本に分かれて写っていました。
1979年3月稲荷神社 欅1.jpg1979年3月稲荷神社 欅2.jpg
(1979年3月撮影、稲荷神社境内の大欅)(大地に伸びる大欅の影、同日撮影)

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