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私が撮り続けた、栃木秋祭りの思い出 [懐かしい写真]

今年、2018年は栃木市秋祭り、人形山車出御の年です。以前は5年間隔でしたが、2006年以降は2年に1度の出御に変更と成りましたので、祭り好きにとっては歓迎する所です。
「写真撮影が趣味」と言うより、運動するのが苦手で、人と交流する事もそんなに得意でなかったので、一人で楽しめる写真撮影が、その頃の私には打って付けだったのかも知れません。
今、秋祭りの日が近く成って来て、ふと、私がこれまで撮影して来た祭りの写真を見返してみました。
古いアルバムには、ピンボケした物や、色褪せてしまったカラー写真も多いですが、そんな写真を眺めていると、忘れてしまったその頃の風景が、断片的ですが蘇えって来るのでした。

私が初めて人形山車を撮影したのは、昭和41年(1966)でした。まだ白黒フィルムでしたし、高校生で金銭的余裕も無かったので、撮影した枚数はたったの6枚でした。それも何故か夜間で山車も小屋の中に入った状態での撮影でした。なぜ昼間の写真を撮らなかったのか、それは思い出せません。
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次が5年後の昭和46年(1971)です。この頃にはカラーフィルムも使い始めていました。撮影枚数は24枚でした。
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2枚の写真とも、倭町の大通りに有った歩道橋付近で撮影した物、1枚は歩道橋の上から人形山車を撮っています。歩道橋が設置して有った場所は、現在の「蔵の街第一駐車場」の前に成ります。その為万町一・二・三丁目の人形山車はこの歩道橋の下を潜る事が出来なかったので、ここでUターンして戻る事に成りました。又、通りを横断する電線等も多かった為、山車の巡行時は、山車の上層部や人形を下げていました。

5年後の昭和51年(1976)は、市制40周年に当たりました。この年私はカラーフィルム2本57枚、モノクロフィルム1本39枚の写真を撮りまくっています。
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写真は2枚とも秋祭り名物の「ぶっつけ」の様子を写しています。上記の歩道橋を挟んで倭町二丁目「神武天皇」の山車(左側)と、万町一丁目「天照大神」の山車(右側)とのぶっつけです。
そして右のモノクロ写真は、歩道橋を潜って万町側に巡行して来た室町「桃太郎」の山車(手前)と、それを迎える万町一丁目・ニ丁目の山車とのぶっつけの様子です。
この年見られたのは、倭一「獅子頭」、倭二「神武天皇」、倭三「静御前」、万一「天照大神」、万二「関羽雲長」、万三「素盞嗚尊」、泉「諌鼓鶏」でした。

昭和56年(1981)の秋祭りは、初めて第二小学校の校庭に勢揃いをした人形山車を見る事が出来ました。これまでは大通りでの巡行だけの撮影でしたが、この頃から勤めていた会社も土曜休日に変わった事で、広範囲での撮影が可能になりました。各町内から第二小学校へ向かう途中、常盤橋を渡る山車や、入舟町や湊町を巡行する山車の様子を撮影しました。
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この年、私は人形山車の巡行の写真を70枚撮りましたが、その中にこれまでずっと参加していた倭町三丁目の「静御前」の姿が写っていません。

昭和61年(1986)の秋祭りも、70枚の写真を撮っています。この年は祭りの期間中に、昭和58年から始められた「第4回とちぎ・太平山・蔵の街マラソン大会」が行われ、大通りを駆け抜けるランナーに声援を送る様に、山車の上からお囃子が打ち鳴らされていました。
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大町の人形山車「弁慶」が初めてお目見えしたのは、この年からです。又、この年は市制50周年のパレードに「日の出町青年部はやし連」が鎧武者姿の「源義経」を載せた車で参加をしています。もう1枚の写真は「ぶっつけ」ですが、これまで多くの「ぶっつけ」の様子を撮影して、何時もその時の祭りの雰囲気に呑まれて思うような写真を撮る事が出来ません。夜の「ぶっつけ」はストロボを使うと、手前が白く飛んでしまったり、影の無いフラットな写真で物足りません。この写真も色々工夫した1枚です。まだテクニック不足でした。

平成3年(1991)、時代は昭和から平成に移り、最初の秋祭りです。67枚の写真が残りました。
この年、栃木文化会館北側駐車場に勢揃いした人形山車を見に行きました。
この栃木文化会館駐車場に各町内の山車が一堂に揃うのは前回の昭和61年からで、それまでの会場だった第二小学校校庭は、蔵の街マラソン大会のスタート・ゴール会場と成っていた為、その前昭和58年に元栃木刑務所跡に完成した「栃木文化会館」の駐車場に変わっていました。
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人形山車が整列すると、北向きとなる為撮影するのに逆行気味と成り上手く撮れません。これも私の技量不足ですが。尚、この年は友好親善都市の北海道滝川市から、「しぶき祭」の行燈山車が秋祭りに参加して、祭会場を盛り上げていました。

平成8年(1996)の秋祭りは、人形山車が巡行するメイン会場の大通り無電柱化がなされた事で、巡行する時も人形を下げず豪華な山車の姿を見る事が出来ました。又この年、県立栃木高校が創立100周年の記念する年という事で、それを祝う為に万町一・二・三丁目の人形山車が、栃木高校の正門内まで巡行しています。
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平成12年は、西暦2000年という節目の年と成り、栃木市では多くの大きな事業が完成した年という事で、5年毎に開催していた秋祭りの人形山車巡行を、4年目のこの年特別に行っています。
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そして平成13年(2001)に、これまで5年毎に行っていた定期の人形山車巡行を開催しました。これは特別巡行した前年に続き2年連続、秋祭りに人形山車が繰り出すことに成ったのでした。
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祭期間中、天候に恵まれた事も有り、50万人お越える人出に成り、大通りは身動きが出来ないほどと成りました。

平成18年(2006)の秋祭りは、残念ながら私は仕事の関係で地元に居なかった為、見る事が出来ませんでした。この年も前回にもまして大勢の見物客が訪れたと聞いていました。
これがきっかけとなったのか、この後人形山車の出御が5年に1度から、2年に1度に変わっています。
そして2年後の平成20年(2008)も人形山車が出御したのですが、私はまだ地元に帰って来ていませんでしたので、この時もパスです。

平成22年(2010)の3月、私は4年ぶりに地元に戻りましたので、その年の秋祭りは久しぶりに見に行くことが出来ました。この頃は手持ちのカメラもデジタル式と成った為か、撮影枚数は150枚以上とまさに撮りまくっていました。この後、平成24年、平成26年、平成28年と毎回とちぎ秋祭りを楽しんでいます。
最後に、最近の祭りで撮影した各町内の人形山車等を紹介します。

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(室町 桃太郎)
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(倭町一丁目 獅子頭)
倭二.jpg倭三.jpg
(倭町二丁目 神武天皇)              (倭町三丁目 静御前)
萬一.jpg萬二.jpg
(万町一丁目 劉備玄徳)               (万町二丁目 関羽雲長)
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(万町三丁目 張飛翼徳)                (泉町 諌鼓鶏)
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(嘉右衛門町 仁徳天皇)                   (大町 弁慶)

今週末に向け、今秋祭りの準備が進んでいます。後はお天気次第です。私も又カメラをぶらさげて出かけたいと、今から楽しみにしています。
秋祭り前1.jpg秋祭り前12.jpg
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