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南柏倉から皆川城内町を貫流して永野川に合流する藤川に架かる橋を巡る [栃木市の橋梁]

今回は、柏倉町から皆川城内町の中央部を貫流する川に架けられた橋を、巡りたいと思います。
川の名前は「藤川」。その源流は柏倉町の西の端、佐野市(旧葛生町)との境界を成し、琴平神社が祀られている鞍掛山(標高338メートル)の南麓の沢水になります。
琴平神社参道登り口.jpg藤川上流端.jpg
(琴平神社参道登り口)             (県道の北側山中に消えてゆく藤川最上流)
丁度琴平神社の参道登り口から東方向の皆川城内町に向かう県道126号線に沿って、「藤川」も東に向かって流れています。
県道126号線標識.jpg県道126号線.jpg
(県道126号線の路線標識)        (県道の右手を流れる藤川)

参道登り口前より少し県道を70メートル程下がって行くと、道路右手に鞍掛山北麓の沢と南麓の沢から流れ出た二筋の水の流れが合流しているのが、確認できます。
そこから更に600メートル程行った所で、これまで南側の山裾を流れていた「藤川」が、県道と交差して、道の左側(北側)に流れを変えますが、この所に架けられた橋が「柏倉橋(かしわくらはし)」です。
柏倉橋.jpg柏倉橋銘板.jpg
(柏倉橋より西方鞍掛山を望む)               (柏倉橋の橋銘板)

橋は特別な高欄は無く、白いガードレールが設置されているだけです。当初はこのガードレール部分に、嬌名と河川名の銘板が取り付けられていたようですが、盗難にあったのか現在は見当たりません。幸い橋桁に取り付けられている銘板は残っておりましたので、「柏倉橋」の嬌名を確認することが出来ます。
柏倉橋から300メートル程下ると、道路右手奥の山懐から一直線に水路が迫ってくるのが見える、「滝の沢」
です。土石流危険渓流の注意標識が立てられています。この沢水が藤川に落ちる地点で、藤川が県道の北側から南側に流れを変えます。ここに架かる橋の高欄も白色のガードレールで、表示版は何も設置されていません。ただ橋詰めに「一級河川最上端」と刻した石柱が目に留まりました。
橋の北東側に立派な長屋門を構えたお屋敷が見えます。
無名の橋1.jpg一級河川上流端の標柱.jpg
(橋詰に「一級河川上流端」の石柱が立てられた名前の分からない橋)

次の橋は250メートル程下がると現れました。そしてその先にもう一つ橋が架かっています。その間僅か40メートル程です。この場所で藤川の流れは県道の南側から北側に、そしてそこでU字ターンして、すぐまた県道の南側に流れを戻しています。
無名橋が二つ.jpgU字蛇行.jpg
(二つの名前表示の無い橋が連続する)    (県道北側でU字状に流れる藤川)

昔の道路はこの藤川の流れの北側を迂回していましたが、現在は橋を二つ架けて直線道路に成った様子が覗えます。
ここから100メートル程先に、栃木市の「ふれあいバス・皆川樋ノ口線」の折り返し点「南柏倉公民館前」バス停が左手に有った。更に500メートル程緩やかな下り道を進むと、県道から右手に折れて南側の打越(おっこし)の南麓に抜ける市道14266号がS字状に進み、その途中に藤川に架かる橋の高欄が見える。
土橋橋.jpg
(県道から南側を望むと、S字状の道路上に橋の高欄が見える)

橋の元に向かうと、高欄の親柱に橋銘板が設置されているのを確認できます。
土橋橋銘板.jpg土橋橋銘板2.jpg
(藤川に架かる「土橋橋」の橋銘板)     (藤川なのに「柏倉川」と表示されている)

橋の名前は「土橋橋」、チョッと妙な感じのする名前ですが、恐らくこの名前はこの場所には以前は土橋が有って、地区の人達が「土橋」「土橋」と呼んでいた事で、新しく橋が架け替えられた時、そのまま命名したものと思われます。ちなみのこの周辺の小字名に「土橋」という名は確認出来ません。
もう一つ妙に感じたのは「橋銘板」にある川の名前です。「藤川」では無く「柏倉川」となっています。こちらも恐らく地元の人達はこの川は柏倉を流れている川であるから単純に、「柏倉の川」で「柏倉川」をそのまま使用したものと考えます。この藤川の支流で北柏倉地区を流れているのが「柏倉川」と呼ばれています。ですからそれを「北柏倉川」と、そしてこちらを「南柏倉川」と呼べばスッキリします。が、下流域で皆川城内町の流れはどう呼べば良いのか。基をただせば、なぜ「藤川」と呼ばれるようになったものか、それも疑問に思います。
一筋に流れる河川では、このように地域で名前が変わる例はいくつも有りますが。

ここから市道を進み次の橋を探します。次の橋は市道のすぐ左側の田んぼへ向かう場所に有りました。幅員が狭いので車では通行できません。この無名の橋を渡り、藤川の左岸の土手道を歩いていきます。
藤川の左岸を川沿いの土手道を進むと次の橋も無名橋、更にその次の橋も無名橋です。
無名橋Ⅰ.jpg無名橋Ⅲ.jpg
(藤川には地元の人達の農作業の便に寄与するため、小規模の橋が多く架けられています)

藤川の下流側の先に皆川城址の城山を望むことが出来ます。
この藤川はあの皆川城址の南側を流れています。先はまだ遠いです。
続く無名橋.jpg
(水田地帯の中を流れる藤川、下流奥に皆川城址の城山が望める)

県道126号線に戻り皆川城内町に入っていきます。次に藤川がこの県道と交差する所は、「醍醐橋」です。その間藤川にはいくつかの土橋が架けられていますが、農作業の便に寄与する程度の小さな「橋です。
一方この「醍醐橋」は高欄を備えたコンクリート桁橋ですが、残念ながら橋銘板などは見当たりません。
この橋の名前もどのような経緯で付けたものか興味があります。「醍醐」の意味を調べてみると、≪五味の中で最も美味い味、最も優れている≫と、なかなか立派な意味のようです。更に調べてみたいと思います。

次の橋は「伊勢屋橋」です。栃木市史民族編の中に「皆川宿」の絵図が掲載されています。「皆川小学校」の文字が見えますからいつごろの様子になるのでしょうか。この絵図の中心を右から左へ走る道路が現在の「主要地方道栃木佐野線」その北側の町屋の裏手を街道と並行して描かれているのが藤川です。
ここで現在の(有)日向野建設(絵地図では醤油醸造所・幸島本家)の前で北側に入る細い道路が有ります。
路地の左角には「造酒屋(幸島分家)」、右角には「いせや(旅籠)」、路地を進むと藤川に架かる橋が有り(現在の伊勢屋橋です)、橋を渡った左側に「うらいせや(旅籠)」が描かれています。
私が1982年1月に現地を巡った時撮影した写真が有ります。店の看板には「幸島商店」と見えます。
1982年1月撮影幸島商店.jpg元旅籠いせや跡.jpg
(伊勢屋橋に向かう路地西側角の家屋)    (同じく路地東側角に建っていた家屋)

なぜ「伊勢屋橋」と命名されたか理由は明快になりました。
1982年1月伊勢屋橋.jpg伊勢屋橋銘板.jpg
(かつての伊勢屋橋は今も変わりありません。左奥に金剛寺本堂が見えます)

次の橋は現在の皆川中学校の構内に架けられた「希望の橋」です。1988年3月に校舎側と川向こうのグランドとの間に架けられた歩道橋です。
希望の橋(1993年5月).jpg希望の橋銘板.jpg
(皆川中学校の校舎北側、グラウンドへ続く「希望の橋」 後方に皆川城址)

次の橋は皆川中学校の東側を北に抜ける道路に架けられています。「仲倉橋」です。現在の橋は1988年6月に架け替えられています。私が初めてこの地域の橋を撮影した橋の写真と並べてみます。
1982年1月仲倉橋.jpg2013年5月2日仲倉橋.jpg
(架け替え前の仲倉橋、皆川城址南麓に皆川中学校の校舎)(現在の仲倉橋)

次の橋は「落矢橋」で、現在の橋は2000年3月に架け替えられています。同様に以前の写真と並べてみます。
1982年1月落矢橋.jpg2013年落矢橋.jpg
(架け替え前の落矢橋)              (現在の落矢橋)

この橋の名前も興味があります。何か歴史的な物語がそこに有るのではと。
先ほどの仲倉橋ともの落矢橋との間で、北側から柏倉川が合流してきています。そして藤川はこの後大きく流れを南に変えて、県道に架かる「新皆橋」の下を抜けて南流していきます。
新皆橋3013年7月.jpg
(主要地方道栃木佐野線と藤川の交差点に架かる「新皆橋」、上流側から撮影)

主要地方道栃木佐野線を渡り藤川右岸沿いの道を歩きます。
新皆橋のすぐ下流側に橋名表示の無い小ぶりの橋が架けられています。現在の橋は他と同様白色のガードレールの有る形状ですが、私が初めて来た1982年1月の時はコンクリート製の高欄が有り、そこ橋の上で地元の子供たち数人が遊んでいる風景でした。最近は街中を歩いてもなかなか人の姿を見かける事が少なくなりました。
1982年1月新開橋下流の橋.jpg2013年7月新開橋下流の橋.jpg
(架け替え前の橋の様子)          (現在の橋、上を走るのは市道14254号線)

更に下流に向かって行きます。藤川はここで東北自動車道の下を抜けて、東にゆっくり流れを変えていきます。高速道路の両側には側道が設けられていますが、その側道もその西側で山にさえぎられて無くなるため、この側道を利用する人は多くないと思われます。私も高速道路のアンダーを抜けて南側の田園地帯に。藤川の左岸を進み、途中無名の橋を一つ過ぎて、藤川最下流に架かる「砂畑橋」に向かいます。
2013年5月2日砂畑橋上流橋.jpg2013年5月2日砂畑橋上流方向.jpg
(高速道路の南側、中央奥に写る建物は栃木特別支援学校)(砂畑橋より上流方向を望む)

「砂畑橋」は市道14232号線が通っています。まっすぐ北上すれば東宮神社の参道前に出ます。現在の橋は1981年2月に架け替えられています。橋の上から下流側を望むと、前方奥で北から流れてきた永野川の右岸に合流しているのが確認できます。
2013年5月2日砂畑橋より下流方向を.jpg
(砂畑橋の上より下流側、永野川との合流点を望む)

これで柏倉町から皆川城内町を横断するように流れてきた藤川の橋梁巡りを終了します。
最後に今回見て回った藤川流域の概略図を準備しました。文章では伝えられなかった姿を、別の角度から確認できればと思います。
藤川流域橋梁分布図.jpg
(藤川流域橋梁設置分布概略図。赤点が橋が架けられている場所を表しています)

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