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太平山あじさい坂駐車場入口脇に建つ「射撃場建設記念」の碑 [石碑]

栃木市の中心から太平山へ一直線に登る県道269号(太平山公園線)。その終点、あじさい坂登り口の手前右手にある「あじさい坂駐車場」。この駐車場の入口右脇に1基の石碑が建てられています。
「市営あじさい坂駐車場」は無料休憩所や公衆トイレもあり良く整備されていてます。あじさい祭開催期間中は有料になりますが、通常は無料で利用できます。駐車場に車を止めて石碑を見学します。
1太平山六角堂前駐車場.jpg県道269号標識.jpg
(県道269号の終点、あじさい坂登り口付近、お食事処「福松家」さんの先に駐車場)

太平山麓射撃場建設記念1.jpg
(あじさい坂駐車場入口右脇、石垣の上に建つ石碑)

駐車場入口脇、石垣の上に建つ石碑、下側部分は雑草で隠れて読むことが出来ません。碑陰に回り込んでみると、小さな文字で大勢の方の名前が並んで彫られています。
その右端に少し大きな字で「栃木懸猟友會下都賀支部」でしょうか、下の方がやはり雑草に隠れてしまっています。
石碑正面全体.jpg碑陰.jpg
(石碑正面、下側が雑草で隠れて読めません) (碑陰には大勢の人の名前が並んでいます)

石碑正面上部の篆額に篆書体文字で「太平山麓」と陽刻されています。その下石碑右側に「昭和三十年」まで読めます。その下には「十一月」とまで写った写真が私のアルバムに残っていました。
そして石碑の中央には、「射撃場建設記念」と力強い文字が陰刻されています。
篆額部分.jpg石碑正面.jpg
(篆額部分、「太平山麓」と陽刻されています)(石碑正面中央に、「射撃場建設記念」)

左側には「第七代栃木市長」の文字下側は雑木に隠れて見えません。
栃木市役所のホームページで歴代市長を調べてみると、「7代 栃木理一」で就任1951年(昭和26年)4月24日、退任1955年(昭和30年)1月25日と記されています。
石碑の日付けは昭和30年11月と成っていますから、すでに退任されていることに。
昭和55年(昭和30年)3月16日付で、大島定吉氏が第8代栃木市長に就任をしています。石碑の建立に向けて多少の時間的ずれが生じていたようです。

碑陰に並んでいる人達の名前を確認できる範囲で書き写してみました。やはり石碑下部が下草に隠れて見えませんでしたので。
射撃場建設記念碑(碑陰表示内容書き写し).jpg
(碑陰に刻されている文字を書き写しました)

栃木市地区・寺尾地区・吹上地区を始め、壬生地区・小野寺地区・豊田地区・寒川地区など、かつての下都賀郡内各地区ごとの猟友会会員や役員の名前がぎっしりと記されています。

昭和46年8月25日発行の「栃木市政だより」の記事の中に、「昭和46年度狩猟者(初心者向)講習会のお知らせと言うものが載っています。その記事の中に、実技の場所として「栃木市平井町697の4、狩猟会下都賀支部射撃場」と記載されていました。

私がまだ子供の頃、太平山に遊びに行ったとき、この射撃場から聞こえる銃声に引かれて、射撃場内を覗いた経験が有ります。猟銃を持った大人の人達が、銃を構え、合図をするとどこからか的が飛び出して行く。その的を見事に撃ち落とすのを目撃したのです。

射撃場と言えば猟銃が必要ですが、かつて栃木市には「オリン晃電社」と言う猟銃の製造会社が有りました。私が中学生の頃栃木市街地を撮影した写真の中に、その当時5階建のビルがまだ珍しい昭和40年・41年の晃電社ビルが写っているものが有りました。
1965年3月大通り1.jpg元晃電社ビル(1966年4月).jpg
(昭和40年3月撮影、大通り奥の高いビルが晃電社)(昭和41年4月撮影、第一銀行奥が晃電社)

1986年度版のゼンリン住宅地図でビルの建っている場所を確認すると、表記には≪NIKKOゴルフ銃砲 (株)晃電社 5F≫と成っていました。
私が上の写真を撮影した1965年頃、近所に晃電社で通訳の仕事をしているという人が、引っ越してきました。通訳と言う言葉に子供心にすごい人が来たと思った記憶が有ります。
その当時オリン晃電社は、日本屈指の銃器製造メーカーだったと言います。20歳代の頃にはオリン晃電社に勤めている友人もおりました。
もちろん現在は「オリン晃電社」も「晃電社ビル」も有りません。このビルの跡地は現在「万町ポケットパーク」と成っています。

そして、太平山麓の射撃場も、いつの間にか姿を消し、その射撃場跡も今は駐車場となり、昔の面影は全く残っておりません。

では、射撃場はどうなったのでしょうか、今、栃木市尻内町から国道293号を通って都賀町大柿方面に進むと、都賀カンツリー倶楽部の手前に、「NIKKO SHOOTING RANGE」と記した大きな看板が建っています。和訳すれば「ニッコー射撃場」となります。そこで国道から北側に入る坂道を登って行くと、突然銃声音が飛び込んできました。そのまま進んでいくと、広い駐車場に多くの車が止まっていて、多くの猟銃を持った人達が、崖に向かって飛んでゆく的を撃ち落としている風景が広がっていました。
ニッコー射撃場1.jpg
ニッコー射撃場2.jpg
(ニッコー射撃場では休日、多くの方が射撃の訓練をしていました)

私の子供の頃は、街中で空気銃を打っている人を見かけましたが、今は規制が厳しくなりました。それでも私が勤務していた会社では狩猟を趣味にしていた人が結構居て、「解禁になったぞ」など話しているのを耳にしていました。リタイヤーした現在はそうした外の情報が入らなくなってしまいました。
それでも、最近テレビニュースなどで、クマやイノシシが出没して被害が発生、地元の猟友会の方が出動したなどと、良く聞く様になりました。

1基の石碑を調べているうちに、昔の記憶が色々と思い出されたり、現在の射撃場の様子を知ることが出来ました。
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