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日光田母沢御用邸記念公園から二荒山神社・東照宮を巡る [歩く]

一昨日、「歴史と文化を歩く会-栃木-」9月例会で日光市を訪れ、田母沢御用邸記念公園から二荒山神社そして東照宮などを歩いて巡りました。
東武日光線の電車で日光を訪れるのは5年ぶりに成ります。いつもは車で奥日光へ行く為に、日光の市街地は素通りする事が多くなっています。
まずは、駅前のバス乗り場から「中禅寺温泉行」のバスに乗って、田母沢御用邸記念公園へ。バスの中は外国人観光客の人達で結構混雑をしていました。さすがにユネスコ世界文化遺産の日光です。
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(東武日光駅前バスターミナルから)     (田母沢御用邸のお車寄から建物内に入る)

田母沢御用邸記念公園(平成15年に国の重要文化財に指定されています)を訪れるのは私は今回初めてです。前から来たかった所です。65歳以上は入園料が無料との事、徳をした感じになりました。建物の入口で背負っているリュックを預け、カメラと案内パンフレットだけを持って見学開始です。
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(御用邸の中庭)                 (御玉突所)
この御用邸には部屋数が106室も有ると言います。全てが公開されているわけで有りませんが、それでも一部屋一部屋をジックリ見学していたら、時間がいくら有っても足りません。
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(謁見所 玉座が据えられています)    (御学問所の丸窓)

絨毯の柄、照明器具のデザイン、襖や杉戸に描かれている絵、そして「釘隠し」や「襖引手」などの錺金物の細工など時間を忘れて見入ってしまいます。
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(御用邸の周囲は緑が溢れていて、心が静まる思いです)

後の予定も有り1時間ほど見学して、御用邸記念公園を出て、道路を渡った先に有る「釈迦堂」を見学することに。釈迦堂への参道入口脇に「殉死之墓」と刻した標柱が建てられています。
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(釈迦堂表門にて)           (釈迦堂 素朴な味わいが感じられます)

参道を進むと表門の手前に「釈迦堂」の説明板が有りました。冒頭部分を抜粋します。
≪釈迦堂【栃木県指定有形文化財】 この釈迦堂はもと「妙道院」の本堂で、以前は境内に数多くの建造物が有りました。元来、妙道院は天海大僧正が寛永5年(1628)に仏岩谷に創建し山内の菩提寺としていたものを寛永17年(1640)、現在地に移建したものです。妙道院自体は明治の神仏分離の際に途絶えました。≫

釈迦堂に向かって左手横を回りこんで奥に進むと、苔むした多くの石仏と、大きな卵塔が数多く並んでいます。更にその奥へ進んでいくと石造りの柵に囲まれた中に、高さが3メートルを超し、厚さが30センチメートル程有る巨大な墓碑が幾つも並んで建てられています。
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(釈迦堂本堂西側には苔むした石仏が)  (徳川家光の殉死者の墓碑が並ぶ)

「史跡 釈迦堂殉死の墓及び譜代家臣の墓」と刻した標柱が建てられていました。これらの墓碑は、徳川三代将軍家光の殉死者5名と、初代家康及び二代将軍秀忠の譜代家臣19名のものです。
釈迦堂の境内の中は、何か時間が止まっている様な静寂感が有りました。

釈迦堂を後にして次に向かった所は、田母沢御用邸記念公園の東側に広がる古い街並みを歩きました。
ここは、西町地区と称する地域で、本町・匠町・安川町・花石町・久次良町が含まれます。今回散策した通りは「御用邸前通り」と称する道を中心に歩きました。
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(連子格子の家)                 (道路拡張の為に庇切りされた家)

この通りは、田母沢御用邸の正門に通ずる通りで有った。御用邸が整備された時に、この西町地区も整備が行われ、碁盤の目の様に街並みが出来上がっています。時には京都の街を歩いている様な雰囲気も感じられました。西から東に下り坂と成っている町を、下ったり登ったり、通りを変えて歩き浄光寺に。
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(浄光寺入口、手洗盥の龍)          (推定樹齢550年の檜)

日限地蔵尊の信仰篤い「還源山 妙覺院 淨光寺」は≪古くは日光一山の香華院(菩提寺)で仏岩にあった往生院と、光明院座主(現在の輪王寺の前身)延応2年(1240)創立の淨光坊が、寛永17年(1640)に合併して現在の地に移転し、淨光寺と号するようになった。≫(「とちぎの天台の寺めぐり」天台宗栃木教区宗務所編 下野新聞社発行を参考抜粋させて頂きました。)
境内には「日光山最古の梵鐘」など多くの寺宝や文化財が有り、もっと時間をかけて見学をさせて頂きたく思いました。

浄光寺を出て目の前の道を真っ直ぐ東に有る「磐裂神社」まで歩きます。この通りに沿って流れる水路の脇に、丸い石升の簡易水道が設置されています。水源は上流に有る湧水で、蛇口からは冷たい水が噴き出していました。
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(石升の簡易水道が有る通りを歩く) (石升の吐出口の栓を抜くと冷たい水が噴き出す)

次に向かったのは、下野国一之宮「日光二荒山(ふたらさん)神社」です。
「御鎮座由緒」について、神社社務所発行の「ふたらさん」より抜粋させて頂くと、≪二荒山神社は男体山(古く二荒山という)を御神体山として奈良時代に奉祠されたお社です。「奥宮」は天応二年(782)に創建され、その二年後に「中宮祠」が中禅寺湖畔に創建されました。≫という、由緒深い神社に成ります。

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(社号標柱)                      (大鳥居)
こちらも見どころが多すぎて、時間がいくら有っても足りそうも有りませんが、神社の方に案内して貰い、説明を聞くことが出来ました。現在本殿(八棟造り)世界文化遺産は修復工事の真っ最中との事で、工事の様子も少し見学することが出来ました。

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(日光二荒山神社拝殿:重要文化財)
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(二荒霊泉)                      (遥拝所)

昼食もそこそこににして、東照宮に向かいました。
境内には外国人観光客や修学旅行でしょうか、黄色い帽子を被った小学生の団体が何組も、案内人の説明をメモしたり、陽明門をバックにクラス毎に記念写真を撮ったりしていました。
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(石鳥居:重要文化財)                (五重塔:重要文化財)

東照宮を訪れたのは、今から50年以上も前の事です。
石鳥居(1968年).jpg東照宮にて(1968年5月).jpg
(50年以上前に撮影した日光東照宮の風景)

陽明門や神厩舎など最近修復が完了したところなので、復活した極彩色の姿を堪能する事が出来ました。かつて訪れた際は、モノクロフィルム36枚撮りを1本使うことも無かったのに、今回東照宮だけでシャッターを200回以上押しました。ともかく修復された東照宮は見るものすべてが、まぶしく輝いていました。

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(神厩舎・三猿:重要文化財)            (陽明門:国宝)
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(眠り猫:国宝)                        (徳川家康公の墓所:重要文化財)

奥宮(祭神、徳川家康公の墓所)への石段は登りは疲れて休み休みでした、改めて体の衰えを思い知らされましたし。そんな石段を駆け下りて行く小学生を見ていて、足を踏み外したら下まで転がり落ちて大怪我をしてしまうのにと、心配になりました。身軽な子供たちはそれでも石段を飛び下りるように、私の横をすり抜けて行きました。

しばらくすると少し雲行きが怪しくなって来たので、急いで東武日光駅に戻って行きました。
今回は世界文化遺産の有る町、日光を歩き、国宝や重要文化財を生で鑑賞し、改めて日光の素晴らしさを感じた一日となりました。
今回の総歩数は19,400歩でした。
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