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太平山東麓、太山寺観音堂横に建つ石碑「開運千手観世音記」 [石碑]

今回の「開運千手観世音記」と題した石碑は、太平山の東麓登り口近く、真言宗豊山派寺院「寳樹院太山寺」の観音堂横に建っています。
栃木市街地中心部より、県道太平山公園道を進む、一直線に太平山東麓の國學院大学栃木短期大学の前まで来ます、その先は真っ直ぐに登る六角堂方向には行かず、分岐を右に折れて太平山遊覧道路の長谷川平方向に入ると、直ぐ右手に目的の太山寺山門前駐車場入口に成ります。
太山寺山門.jpg
(太山寺山門)
山門の脇に「本堂・庫裡・山門落慶記念」の碑が建てられています。
本堂庫裡山門落慶記念.jpg
(「本堂・庫裡・山門落慶記念」の碑)
太山寺に関しては既に2014年11月27日付で紹介しましたので、ここでは省略させて頂きます。

山門を潜り、本堂の前に向かい参拝を済ませます。本堂前の栃木市指定天然記念物、樹齢約370年の「岩しだれ桜」は、花の季節も終わり、今は枝一杯に緑の葉で覆われています。
本堂前.jpg
(写真右手に緑の葉で覆われた「岩しだれ桜」、その後方に本堂、左手に細い石段)

今回巡る石碑は、本堂左手に有る急勾配の狭い石段を登った先、栃木県指定重要文化財「木造千手観世音立像」を祀った観音堂の左手奥に建てられています。
弘法大師像.jpg観音堂への石段.jpg
(石段登り口左横に建つ弘法大師像とお地蔵様)   (観音堂へ向かう108段の石段)

108段有る急勾配の石段を、手摺りに助けられて登り切ると、正面に観音堂が迎えてくれますので、ここでもまず参拝をすませます。
観音堂.jpg
(栃木県指定重要文化財の木造千手観音立像を祀った観音堂)

観音堂に向かって左手奥の山際に、宝篋印塔と並んで目的の石碑が建っています。
宝筺印塔と石碑.jpg
(今回巡る石碑が宝篋印塔の左横に建ています)

私は、この石碑を50年以上も前に写真に収めていました。1969年です。この石碑が建立されたのが昭和37年(1962)ですから、まだ7年しか経っていなかった事に成ります。その頃はまだ石碑には興味ありませんでしたが、無意識に撮影をしたものです。
太山寺石碑「開運千手観世音記」.jpg開運千手観世音記(碑文).jpg
(今から50年以上前に撮影しました)        (碑文を書き写しました)

碑文は、建立時期が戦後で新しいものですから、現在の文体で読みやすかったです。一部に現在では使われていない漢字が有りましたので、漢字変換出来ない字は現在の漢字に変えています。
碑文冒頭に「開運千手観世音記」とあります。撰した人物は、元栃木女子高等学校の教諭だった日向野徳久先生です。書は同じく元栃木女子高等学校教諭の関澤芳夫先生です。
碑文には、太山寺の由緒・変遷と観音堂に祀られた千手観世音像が今、文化財として日の目を見るように成った経緯等が記されています。

次に石碑上部の篆額部分に注目します。篆字体で書かれている内容は、「慈眼視衆生」という仏教経典の中に有る一句です。この五文字の篆字体を解読するのは簡単では有りませんでした。特に4番目の「衆」を紐解くのは時間を要しました。≪冠部に「目」が横に成っていて、その下に「入」に似た文字が3個並んだ形をしています。≫
「衆」の漢字について、「漢字源」の≪解字≫に、≪会意。「日(太陽)+人が三人(おおくの人)」で、太陽のもとで多くの人が集団労働をしているさま。上部は、のち誤って血と書かれた。≫と、説明されていました。

「慈眼視衆生(じげんししゅうじょう)」とは、≪観世音菩薩が慈悲の眼で一切衆生を平等に見る≫という意味になるとの説明が有りました。

篆額部分.jpg篆額の落款部分.jpg
(石碑上部篆額部分)              (篆額の左下の落款印部分拡大)

この篆額の字を揮毫した「鴇 昌清」という人物は、真言宗豊山派の第18代管長で、大僧正と言う僧階の最上位に登られた方です。
落款の文字についても調べてみました。右側は「大嘉」、左側は「豊山管長」と読みましたが、右側の「大嘉」については、「鴇 昌清」が用いた「号」なのか、自信が有りません。今、図書館等が閉館している為、これ以上調べる事が叶いません。

石碑の裏側、碑陰中央には縦に≪月輪坊太山寺中興三十世僧正徳純建之≫と、そして左下に≪石工 森戸清泉刻之≫と刻まれています。
この「徳純」と言う人物は、碑表の碑文中にもその名を見る事が出来ます。
≪・・・適々栃木市文化財保護委員長聖泉高田安平翁 同委員大浦倉藏翁 いづれも好古篤学の士なり、夙にその荒廃を憂へこれを世人に愬ふること歳あり、時恰も柴崎徳純僧正当山に来住し、寺門興隆堂宇すべて旧観を改む・・・≫と。

私が50年も以前に、無意識に撮影した石碑の写真。今回その石碑の内容を調べるうちに、実に多くの事を知ることが出来ました。改めて石碑の魅力に心ひかれた感じがしました。

参考資料:
 目で見る栃木市史(栃木市発行)、五體字類(法書会編)、広辞苑(岩波書店)、漢字源(学研)
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