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栃木市箱森町の鷲宮神社 [栃木市の神社]

今回は、地元の鷲宮神社について調べてみました。
私の写真集の中に、今から50年程前に撮影をした、鷲宮神社の写真が一枚有ります。
その頃の私は、栃木市内の神社仏閣の写真を撮影して回っていましたので、その中に偶然ですが、この鷲宮神社の写真も有りました。
1968年6月撮影鷲宮神社.jpg
(私が昭和43年6月に撮影した、箱森町の鷲宮神社の写真です)

写真には改築されたばかりの新しい拝殿の姿が写っていました。そして、その写真の左端に石碑が写っていますが、その石碑を確認すると、「鷲宮神社拝殿改築記念碑」とあり、「昭和43年4月15日竣工」の日付けが碑陰に刻まれていました。
鷲宮神社(箱森町)石碑1.jpg鷲宮神社(箱森町)石碑2.jpg
(境内の西側塀際に建てられた「鷲宮神社拝殿改築記念碑」、表と裏)

栃木県神社誌(昭和39年2月発行)によると、この「鷲宮神社」について、旧村社、栃木市箱森町453番地、主祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)、由緒沿革については、天正年間の創立とのみわかり、由緒は不詳である、と記されています。
又、栃木市老人クラブ連合会の伝承活動昭和63年度「栃木市の社寺」には、「運営及び由来」に、≪中世期日向野四郎兵衛の祖先が、武州に戦い鷲神に祈り生還することを得、勧請し守護神とした。天明年間村の鎮守としたが、明治年間まで同家が奉幣していた。現在は自治会が運営している。・・・(後略)≫
他に、栃木県の地名(平凡社・1988年8月25日発行)には、「箱之森村」の解説の文中に、≪約一町四方の郭をもつ中世の御辺(ごへん)館跡は、江戸時代に名主日向野が祖の館として名付けたといい、今も当地一帯を御辺とよぶ。この北東に箱森小屋城があったとみられる。名主日向野が勧請したという鷲宮神社に隣接して松樹院があり、境内に長沼宗光が草庵を結んだと伝える阿弥陀堂があった。これを宗光の通称にちなんで悪五郎堂とよんだ。明治初年に松樹院は廃寺となり、同堂は南坪に移された。≫
これらの文献からも、この鷲宮神社の由緒はハッキリしないのが実態と考えます。

そもそも鷲宮神社の名称が有る神社は栃木県内には、先の栃木県神社誌に登載されているものは、7社しか有りません。良く目にする「星宮神社」は156社、「稲荷神社」が98社、「八幡宮」78社と数が多い神社です。ただ神社には地域性が強いものも有ります。例えば数的には79社と多い「温泉神社」ですが、栃木県南地域では、見る事は有りません、そのほとんどが県北の那須・塩谷地区です。
栃木県内の「鷲宮神社」7社の内2社が栃木市内に有ります。その一つがここ箱森町の「鷲宮神社」で、もう一つは都賀町家中の「鷲宮神社」になります。
鷲宮神社(都賀町)3.jpg鷲宮神社(都賀町)2.jpg
(都賀町家中の鷲宮神社、毎年11月23日の勤労感謝の日には、盛大に例大祭が行われます)

「鷲宮神社」で有名なのは、埼玉県久喜市鷲宮一丁目にある神社で、そのホームページを開くと、「関東最古の大社」「お酉さまの本社」と称しています。
同じ「鷲宮神社」と称していますが、主祭神を見ると、我が箱森町は先に記したとおり「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」、都賀町家中の鷲宮神社の主祭神は、同じ「天日鷲命」の外、「大己貴命(おおなむちのみこと)」「豊受姫命」「火産霊命」の四柱です。一方埼玉県の「鷲宮神社」の主祭神は、「天穂日命(あめのほひのみこと)」「武夷鳥命(たけひなとりのみこと)」「大己貴命」の三柱です。

私は普段神社に参拝する際(寺院の場合も)、そこに祀られている神様(仏様)について、ほとんど気にしていませんし理解していません。こうして改めて調べて行くと、神社と言うものが全く理解できなくなってしまいます。良く日本の神様は「八百万(やおよろず)の神」と称し、実に多くの神様の名前が出てきます。
旧栃木市内に有る神社に祭られている神様だけでも84柱も有ります。その中には、同じ神様でも呼び方や違う漢字で表す神様も居りますので、混乱して来ます。
例えば「大山祗命(おおやまつみのみこと)」を祀っている神社が6社有ります。「大山咋命(おおやまつみのみこと)」読みは同じですが漢字一字が異なっています、3社有りました。他に「大山津見命(おおやまつみのみこと)」の漢字を使っているのが1社。「大山祗神(おおやまつみのかみ)」「大山咋尊(おおやまつぎのみこと)」と書くところが各1社見られました。

「鷲宮神社」に戻ります。栃木県内に7社有ると書きましたが、その内5社が主祭神に「天日鷲命」を祀っています。後の2社は「武夷鳥命」を祀っていました。
鷲宮神社(真岡市)1.jpg鷲宮神社(真岡市)2.jpg
(真岡市鷲巣に鎮座する鷲宮神社、主祭神は「武夷鳥命」になります)
鷲宮神社(佐野市)1.jpg鷲宮神社(佐野市)2.jpg
(佐野市犬伏上町に鎮座する鷲宮神社、主祭神は「天日鷲命」、配神に「武夷鳥命」など)

それぞれの神社の成り立ちが、そこに秘められているのかもしれません。

我が箱森町の「鷲宮神社」は、旧村社と成っています。箱森町の中には他にも「十二社神社」や「雷電神社」の無格社、そして指定社の「錦着山護国神社」が、先の栃木県神社誌に登載されています。その他にも町内には「弦巻神社」や「長江八幡宮」も祀られています。他に無くなってしまったものか「熊野神社」や「小川八幡宮」などもかつては祀られていたようです。
明治4年(1871)の太政官布告に伴う「社格制度」、村社も「一村一社」と言う事で、「鷲宮神社」が選ばれたものと思われます。それも昭和21年(1946)に廃止されました。
現在、この「鷲宮神社」は箱森町西部自治会によって管理されています。 昭和24年度版栃木市勢要覧に有る、「町内別人口及世帯」では箱森町として441世帯・2,230人と記されていますが、その翌年の昭和25年度版では、箱森町西部193世帯958人、箱森町東部176世帯864人、箱森町一丁目99世帯465人、と三つの町内に分割されています。ちなみに現在は自治会は箱森町東部が更に二つに分かれ、「東部」「中央」「西部」そして「一丁目」の4自治会と成っています。但し栃木市の人口統計では分割されず箱森町2,311世帯5,537人(令和2年3月31日現在)と成っています。

冒頭に紹介した「鷲宮神社拝殿改築紀念碑」の碑陰に有る「寄附者芳名」には、寄附金額と名前が刻まれていますが、その中に「東京都」とか「越谷市」「鹿沼市」などの外に、「萬町」「泉町」「箱一」「錦町」などの住所が付記されています。住所の但し書きのない人達は、地元の箱森町西部に在住されている方達であると思われます。

箱森町の鷲宮神社の例祭は、毎年11月23日に行われていますが、かつての賑わいは無くなりました。
それでも地元のお囃子保存会の演奏披露やバザーなどが行われているようです。
私はこの日、神前に参拝した後、境内で販売している、藁苞(わらずと)に米粉を卵の形にこねて作った団子を入れたものを、買って帰ります。この団子を食べるとその年風邪をひかないと、子供の頃から大人たちに聞かされていました。
鷲宮神社(箱森町)幟旗.jpg鷲宮神社(箱森町)卵団子.jpg
(鷲宮神社例祭に掲げられる幟旗) (例祭に販売される卵型団子を入れた藁苞)

この藁苞に入れた卵型の団子については、先の真岡市鷲巣の鷲宮神社にも有り、地元では「つとっこ」と称して神前に供える古式の伝統が受け継がれています。
この神社の有る真岡市鷲巣は旧二宮町長沼の直ぐ南に位置していますが、二宮町長沼と言うと、下野国長沼淡路守宗政より七代、従五位駿河守宗光が正慶二年、由緒ある皆川庄筥森に来て如来堂(松樹院)を建て、念仏三昧に入り、この地で入寂したと言う話に、何か繋がりを感じるものが有ります。
箱森の成り立ち、鷲宮神社の由来等々、地元の事と言いながら、知らない事ばかりです。

※参考資料 栃木県神社誌(昭和39年2月11日、栃木県神社庁発行)
         私見皆川氏・長沼氏と栃木郷(平成15年11月吉日、岸慶蔵著)
         目で見る栃木市史(昭和53年3月31日、栃木市発行)
         栃木市の社寺(栃木市老人クラブ連合会、伝承活動昭和63年度)
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日向野 四郎

当家倒産以来総べて話すことなく父去り当地方の歴史不明の様です
by 日向野 四郎 (2021-04-28 23:46) 

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