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箱森町源流の清水川流域を巡る(その2) [栃木市の河川と橋]

二年連続の新型コロナウイルス感染拡大の中のゴールデンウイークも終盤に入ります。
人流を抑える為不要不急の外出の自粛が叫ばれ、それでも自粛疲れも有ってか、少し郊外で英気を養いたいと、自然を求める人達が多くなっているとテレビニュースで報じていました。

私も今はひたすら我慢、ステイホームの毎日です。
ぼーっとして時間が有り余ると、不思議なものでブログを書く気力も減退するのか、暫らく更新をしていませんでした。書きたいテーマは幾つか有るのですが、筆が進みませんでした。

でも、そろそろ連休も終わるので、重い腰を上げます。清水川の話第二段です。
前回は源流側を遡って行きましたが、今回は流れに沿って下って行きます。起点は前回同様、河川の名前から命名された「清水川橋」から下流に向かいます。
1980年清水川橋2.jpg

「清水川橋」から下ると、150メートル程で、堰の様な構造物が有り、河道が二方向に分かれます。本流は右方向、南に流れて行きますが、一方左方向は南東方向へ河道が曲がって行きます。
清水川橋下流の堰.jpg
(上の写真は上流側から、川の分岐点を写したもので、清水川本流は右方向、コンクリートの護岸が有る方です。写真奥中央右寄りに建つ二階家の先に黒く杉木立が覗いていますが、日限富士浅間神社
この辺りは子供の頃家からも近かったので友達と良く水遊びに来ていました。春には川の土手で「ノノヒロ」を採って味噌を付けて食べていた記憶が有ります。その頃は周りは一面の田圃でしたが、今は周りに住宅が迫って、南東方向に分岐した河道は、もうハッキリしませんが、こちらの流れは「元県庁堀」に繋がっています。(大正6年7月30日大日本帝国陸地測量部発行「栃木」の2万5千分1の地形図には、清水川のこの分岐と河道が良く描かれています。)

ここは本流を下ります。分岐点から150メートル程で「日限冨士浅間神社の西側に出ます。ここも子供の頃は良く遊びに来ていました。正月三箇日や四月一日の春の大祭には大勢の参拝者が行列を作っていました。境内には露店も出て賑やかだった記憶が有ります。
日限冨士浅間神社拝殿.jpg
日限冨士浅間神社春の大祭.jpg
(昔程では有りませんが今も正月や春の大祭は参拝者が訪れています)

清水川の左岸に沿って150メートル程の参道が一直線に伸び、そこには百基以上の白木の鳥居がトンネル状に建てられていました。
日限富士浅間参道鳥居郡.jpg
その頃は子供心に何本有るのか、友達と一緒に必死で数えた思い出が有ります。が、現在は残念ながら古くなって朽ちた鳥居が撤去され、新しく寄進されるものも少なくなってしまった為、かつての様な鳥居のトンネルは無くなってしまいました。
寂しくなった鳥居の参道.jpg

この参道の入口、一の鳥居の建つ場所は、栃木の市街地と皆川とを結ぶ「皆川街道」(現在は主要地方道栃木佐野線)の脇で、清水川はこの街道に架かる「浅間橋」の下を潜っています。
2021年浅間橋.jpg
この「浅間橋」の北西側橋詰に、「日限屋」と言う店舗が有りましたが、最近更地に変わってしまっていました。
1980年浅間橋.jpg

参道の途中にもう一ヶ所橋が架かっています。先ほどの皆川街道と平行に北側を走る、市道11134号線が参道を横切っています。そこに架かる橋は「藤宮橋」で、現在の橋は昭和11年1月に竣工しました。
藤宮橋.jpg
藤宮橋親柱.jpg
(斜めに傾いた親柱に「藤宮橋」の文字がはっきりと確認出来ます。

皆川街道の「浅間橋」を潜った清水川は、その先で「く」の字に方向を変えて、南南東の方向に一直線に進み、「県道太平公園線」まで流れて行きます。現在のドミノ・ピザ栃木湊町店さんの前辺りで県道を斜めに抜けて行きます。ここは橋の形跡は無く、暗渠化されて道路の下を潜っています。

この間、清水川を3筋の市道が横切っていますが、そこに架かる橋の名前は確認できません。
この3本の市道は北側から、市道11164号線・市道11169号線・市道11175号線に成ります。元々これらの道路は薗部村が明治38年3月から明治40年にかけて行った耕地整理事業によって碁盤の目の様に整然とした平行・直交の姿を呈しています。ですからこれらの道路は全て県道太平山公園線と平行に作られました。
3本の中でも一番早く地形図上に描かれた道路は一番北側の市道11164号線で大正6年発行の地形図に表れています。残りの2本も次に発行された昭和7年発行の地形図には碁盤の目がかなり広がって出来て来ています。
それでは北側から見ていきます。
市道11164号線.jpg
上の写真が市道11164号線です。まっすぐに太平山方向の向かって伸びています。手前の橋が清水川に架かる無名橋です。私は中学生の時この橋を、この道路を通って、西中学校に歩いて通学をしていました。懐かしい道路です。
市道11164号線に架かる橋1.jpg
清水川に架かる橋を下流側から撮影しました。橋の奥は木々がこんもりしていますが、右に曲がった先に「浅間橋」が有ります。

私が1965年10月にこの市道11164号線から北側男体山方向を撮影した写真が有ります。
1965年10月撮影柳橋町の西部.jpg
写真中央奥に薄っすらと男体山、左手電柱の先に鍋山も写っています。左手電柱の建つ道路は、かつてトロッコの軌道が敷設されていた、市道2051号線です。柳橋町の西部域は一面の田圃風景でした。

次の道路市道11169号線です。
市道11169号線.jpg
やはり太平山に向かって真っすぐに伸びています。
市道11169号線に架かる橋1.jpg
清水川に架かる無名橋です。清水川の奥に写っている橋が先ほどの市道11164号線に架かる橋に成ります。

3本目市道11175号線の道路の写真は有りませんでした。橋は上流側から写した写真が有りました。次の白いパイプガードが見える橋が市道11175号線に架かる橋です。
市道11175号線.jpg市道11175号線の橋から上流側を写す.jpg
もう一枚の写真は市道11175号線に架かる橋から上流側を写したもので、これまで紹介した2本の橋が確認出来ます。

先へ進みます。県道太平山公園線を斜めに抜けた清水川は、ここから湊町に入り東方向に流れ、白旗山勝泉院裏手の墓地の北側を回り込んで、そこから巴波川に流れ落ちています。

県道太平山公園線の南側の流れ.jpg
県道太平山公園線の下を抜け、南側湊町を流れる清水川。奥に白旗山勝泉院の墓地が見えます。清水川は墓地の北側を回って更に東へ向かいます。

白旗橋.jpg
巴波川沿いの道路の一つ西側の通りです。手前の橋は「白旗橋」。
橋の下流側の赤い屋根の建物は、毎年8月上旬に巴波川で行われる「百八燈流し」の際、お目見えする「二荒山神社御神船」の保管場所に成ります。
百八燈流しの風景.jpg
毎年8月上旬に行われる巴波川の「百八燈流し」の様子

湊橋上流側.jpg
いよいよ清水川に架かる最後の橋「湊橋」の上にやって来ました。川の上流側奥に先程の御神船の保管場所が見えています。

湊橋.jpg
清水川も「湊橋」の下を抜けると、巴波川に合流することに成ります。

清水川とそこに架かる橋を巡る散歩におつきあい頂きありがとうございました。
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