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栃木の盆踊り唄 あれこれ [懐かしい写真]

8月ももうすぐ終わり、新型コロナ感染症の蔓延で、栃木市も未だに緊急事態宣言下に居ます。
不要不急の外出は自粛、市内の多くの公共施設が閉鎖となっています。
毎年行われていた夏のイベントも、何もかも中止に成り、街中の人通りもまばらです。

例年の8月であれば、あちらこちらで、「夏祭り」だ、「盆踊り大会」だ、「納涼祭」だ、等として夏を満喫しているところなのにと思います。

そこで、今回はそんな夏の風物詩のひとつ、「盆踊り」についての私の幼いころからの思い出を辿ってみたいと思います。

まだ小学校に通う前だったろうか、両親に連れられて「盆踊り」に行った時の記憶です。
会場は、栃木神明宮の南隣、現在「第二公園」となっている所。現在広場の中央にはクスノキが、大きく枝を伸ばして真夏に良い木陰を作っています。
第二公園のクスノキ.jpg
(今や第二公園のシンボル的存在のクスノキ)
今は無くなっていますが、そのクスノキの横に螺旋の滑り台が有って子供達が元気に遊んでいました。
第二公園の遊具で遊ぶ子供たち.jpg
(クスノキの下に有った螺旋状の滑り台、いつの間にか無くなっていました)
そのクスノキが、かつてどうだったのかもちろん記憶は有りませんが、その広場に櫓が組まれ、櫓から四方に祭提灯が架けられ、櫓の上では賑やかに笛や太鼓や鐘によるお囃子が演奏され、しわがれた爺さんの声がスピーカーから流れていました。
(ここで歌われていたものが、昔からこの地方で唄い伝えられた「盆踊り唄・口説き節」であることは、ずっと後の大人になってから知りました。「栃木市史 民俗編」の中に、「盆踊りの音頭」として、沢山の歌詞が紹介されています。「鈴木主水(もんど)」とか、「お吉清左」「国定忠治」などなど、聞き覚えが有りました。)
会場は大勢の人だかりで、小さかった私は、会場の中の様子を見る事は出来ませんでした。
曲が変わり、女性の歌声と成り、それが幼かった私の耳にも心地よく聞こえていました。それが「栃木音頭」でした。

小さい頃に、家に40センチメートル四方の、木製の箱型の蓄音器が有りました。蓋を開けるとターンテーブルが有り、レコード盤をセットしてハンドルを回して作動させました。何枚か残っていたレコード盤の中に「栃木音頭」と記された音盤が有り、何度か聞いた記憶が有りましたが、どんな曲だったかは全く記憶していません。

「栃木音頭」の歌詞を、しっかりと意識して聞いたのは、二十歳を過ぎてからで、勤労者が集う「勤労青少年ホーム」を利用するようになって、そこでお囃子会のメンバーに入って、八木節とか日光和楽音頭などと共に練習をしたのが始まりでした。
大杉囃子を練習するのに、仲間たちと小山市の小薬や小宅方面に出かけて、お囃子の練習している所を探しては、カセットテープに録音をさせて貰いました。(そのテープは今も大切に保管しています。)
「栃木音頭」や「栃木小唄」は踊り方を、民謡会の踊りの先生に教えて貰いました。
昭和47年8月には、勤労青少年ホームのテニスコートに本格的な櫓を組んで頂き、初めて櫓の上でお囃子を演奏しました。演奏するのはやはり日光和楽音頭と八木節でした。
「栃木音頭」と「栃木小唄」は録音され曲を流して踊って楽しみました。
栃木青少年ホーム盆踊り大会.jpg
(栃木市勤労青少年ホームのテニスコートで行われた盆踊り大会)
その当時は、盆踊りが盛大に行われていたのは、日光市の古河電気工業や真岡市でした。近くでは壬生町で藤井の「かんぴょう音頭」が有り、お囃子仲間と見に行ってきました。
その頃、栃木市では各地域、自治会等で盆踊りが行われていましたが、栃木市でも大きな祭にしたいと、栃木青年会議所が提唱して、昭和48年8月のお盆に、「10万人栃木まつり」として開催されました。
東中校庭に出現した盆踊りの櫓.jpg
(東中学校の校庭に組まれた櫓)
祭の初日は「栃木ヤングフェスティバル」として若者達が中心となってとして企画されました。
10万人栃木祭ヤングフェッティバル1.jpg
(中高生をはじめ、多くの若者が会場いっぱいに溢れた)
10万人栃木祭ヤングフェッセィバル.jpg
(櫓の脇で、井桁に組まれた丸太に火を付け、フィナーレのキャンプファイヤを楽しむ)

此の時昔から盆踊りで歌われてきた口説き節をリニューアルして「栃木やぐら音頭」がお披露目されました。
私が幼い時聞いた盆踊り唄です。
「栃木やぐら音頭」は、八木節と同じ歌詞で、七・七調です。八木節との違いは、お囃子と唄とがワンフレーズ毎に交互に唄い演奏されます。

<栃木名物 読み上げまする
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ

 陸の松島 太平山よ
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ

 桜つつじの 錦着山よ
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ

 女人平家で あの有名な
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ

 吉屋信子の 学びしところ
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ>
 
こんな感じで、音頭取りと囃子が掛け合いながら、進んで行きます。
上記の歌詞は、私が思い出すまま書きましたから、順不同かもしれませんが。
  
又、櫓音頭では音頭取りが交代するたびに、次のような口上が唄われます。

 <前の先生は 関東一よ
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ
 
  関東どころか 日本で一よ
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ
 
  前の先生の 読んだるように
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ
 
  うまいわけには 読めないけれど
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ
 
  鈴木主水を 読みあげまする
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ>

 こうして本題に入って行きます。ただ多くの唄の歌詞が長い為、まず最後まで唄われる事は無いようです。
 そこで

<まあだ まだまだ 読みたいけれど
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ

 後に先生 やまなすほどに
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ
 
 後は頼むよ 大先生に
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ
 
 頼みまするよ 品よく頼む
 トンツク トコツク トン ツクツ ツ トンツク トコツク ツ>

 こうして、音頭取りが順番に交代して行きます。
音頭取りによって、スピードが遅くなったり、調子が変わったりしますが、それも愛嬌に成ります。
調子よければ、踊りの輪もドンドン広がって行きます。
 
 
東中の校庭に櫓を組んで行われた盆踊りは2年間で、昭和50年8月から踊りの会場は大通りに変わりました。
大通り会場の踊りの列.jpg

大通り会場の踊りの列2.jpgしなやかに踊る.jpg
演奏に熱が入る.jpg

盆踊り唄として、メインは「栃木櫓音頭」と成りましたが、まだその頃は、各地域自治会等で開催される盆踊りでは、ま「日光和楽踊り」や「栃木音頭」も踊られました。

私の好みとしては「栃木音頭」が一番です。唄うような調子で筆記してみました。

<手拍子揃えて 踊りゃんせ~ (トコスットン スットントン トコ トコスットン スットントン)

  はぁあ~ あ あ あ あ~ あ~え~
  晴れの栃ぃ木ぃい~に~   コリャセ
  春ぅ 風ぇ 吹けぇばぁ~~
  街は黄金ぇえ~の コリャセ 
  街は黄金ぇえ~のぉ 花ぁ吹雪~
 手拍子揃えて 踊りゃんせ~ (トコスットン スットントン トコ トコスットン スットントン)

  はぁあ~ あ あ あ あ~ あ~え~
  春は 絵巻~ぃ~の コリャセ
  錦~着~山ぁに~
  つづく 花ぁ笠 コリャセ
  つづく 花笠 人ぉ~の 波
 手拍子揃えて 踊りゃんせ~ (トコスットン スットントン トコ トコスットン スットントン)

  はぁあ~ あ あ あ あ~ あ~え~
  唄も~可愛~い~い コリャセ
  娘ぇは 見頃~
  麻は 刈り~頃 コリャセ
  麻は 刈り頃 使ぁ~い頃
 手拍子揃えて 踊りゃんせ~ (トコスットン スットントン トコ トコスットン スットントン)

  はぁあ~ あ あ あ あ~ あ~え~
  さあっさ 繰りぃ~出~せ コリャセ
  祭~りの 太鼓~
  ドンと 響くぅ~は コリャセ
  ドンと 響くぅは 寄せぇ~太鼓
 手拍子揃えて 踊りゃんせ~ (トコスットン スットントン トコ トコスットン スットントン)

  はぁあ~ あ あ あ あ~ あ~え~
  さあっさ 踊~ろ~よ コリャセ
  シャ シャ~ン~ガ~ シャン~ト~
  花の 栃ぃ木ぃい~に コリャセ
  花の 栃木に~ 陽がぁ~昇る
 手拍子揃えて 踊りゃんせ~ (トコスットン スットントン トコ トコスットン スットントン)>

 前出した「栃木市史 民俗編」の中には上記の「栃木音頭」は掲載されていません。タイトルが「栃木音頭」と同じ名前の唄が有りましたが、私はそちらは聞いた事が有りません。

「栃木小唄」と言うものも有りました。これも「栃木市史 民俗編」の中に、サトウハチロー作詞の歌詞が掲載されていますが、私が知っている「栃木小唄」は又別の曲で、これも掲載されていません。

<ハァ~ ア~ ア~
 春は 花から ほのぼの 明けてょ~
 桜 つつじの 錦着山も~
 呼べよ 栃木の 晴れ姿 晴れ姿
 やんれ 栃木は よい ところ~

 ハァ~ ア~ ア~
 夏は あの娘と ネオンの 街をょ~ 
 涼み がてらに 仲よ~く ぬ~け~て~
 嬉~し 巴波の 蛍~狩 蛍狩
 やんれ 栃木は よい ところ~

 ハァ~ ア~ ア~
 秋は 太平 絵のよに 映えてょ~
 紅葉 錦の 化粧~姿~
 霞む 筑波も はづか~しや はづかしや
 やんれ 栃木は よい ところ~

 ハァ~ ア~ ア~
 冬は 山脈 屏風~に すえてよ~
 雪も 風情の 栃木の 街は
 あつ~い 人情の 花の~郷 花の郷
 やんれ 栃木は よい ところ~

 ハァ~ ア~ ア~
 さあっさ 踊ろよ 仲良く まるくょ~
 踊りゃ お国も まんま~る なぁ~て
 栃~木 繁昌の 灯もお~どる 灯もおどる
 やんれ 栃木は よい ところ~>

 上の「栃木音頭」も「栃木小唄」も、元々は栃木の花柳界の、芸者さん達により、お座敷で披露されていたものだったのでしょうか。演奏も三味線や小太鼓だった記憶が有ります。(録音していたテープは紛失しました)

幼いころの盆踊りの夜 人混みの向こうから聞こえた耳触りの良いお姉さんたちが唄う、盆踊り唄の思い出です。
又、踊りたくなりますね。


 

  

  



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深津健治

私は小さい頃、第二公園の古い写真にある、穴の空いたコンクリートのお山で遊んだ思い出があります。第三小、東中、栃商とどっぷりうづまっこの私にとって、大通りの盆踊りで盛り上がった気持ちとあの日の街の賑わいは遠い記憶の大切な宝物です。
このブログで思い出しました。
ありがとうございます[exclamation]?
by 深津健治 (2021-09-21 22:07) 

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