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那須塩原市、板室温泉神社境内に建つ常夜燈 [石碑]

北の大地、札幌から初雪のニュースが届けられました。記録上最も遅い初雪だそうです。
確かに私の住む栃木市でも、これまでのところ毎日本当に暖かい日が続いて来ていますが、それでも少しづつ朝夕の寒さは増して来ているのも感じられます。
我家でも今日、やっと炬燵を出しました。炬燵に入るとなかなか出るのが億劫になって来ます。

先週の事ですが、那須塩原市の板室温泉に紅葉を見に行って来ました。時期的には少し遅い感じでした。私はあまり混雑する処が苦手な方ですので、少し紅葉のピークを過ぎてから、残り少なくなった紅葉を楽しみました。
板室温泉は、那須温泉と塩原温泉との丁度間に位置する、こじんまりとした温泉地で、私は今回初めて訪問をしました。東北自動車道の黒磯板室インターチェンジで降り、その後県道369号黒磯田島線(板室街道)をひたすら山に向かって進んで行き、那珂川支流の木の俣川に架かる「木の俣橋」を通過する事、800メートル程分岐と成ります。
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(那珂川支流、木の俣川に架かる「木の俣橋」)
木の俣渓谷の紅葉1.jpg木の俣渓谷の紅葉2.jpg
(木の俣橋下流側は公園として整備され、木の俣渓谷に沿って散策出来ます)

手前の道路標識で、直進「那須湯本12km」「板室温泉1km」、左方向「深山5km」を確認。そのまま直進しますが、ここで道路は県道266号中塩原板室那須線(板室街道)と変わります。
直進する事1キロメートル、那珂川に架かる「幾世橋」を渡ると、板室温泉街へ。200メートル程進むと、道路右側に那須塩原市の公共駐車場(公衆トイレ完備)。ここに車を停めて街中を散策します。
駐車場から山方向に200メートル程歩いて行くと、右側に郵便局。そして左側には小川が流れ、朱色に塗られてコンクリート桁橋が架かっています。親柱には「大黒橋」の表示、下を流れるのは温泉街らしく「湯川」。
対岸に広がるのは、那珂川左岸に広い敷地を持つ温泉旅館「大黒屋」さんらしい。湯川沿いの木々はまだ紅葉が残って良い感じになっています。
大黒橋1.jpg大黒橋2.jpg
(那珂川支流、湯川に架かる「大国橋」)
そこを過ぎて300メートル程、細くなった温泉街の道を進むと左側に「内湯温泉・加登屋本館」さんの趣の有る建物が目を引きます。更にその先に「温泉神社参道入口」の案内板。加登屋本館さんの裏手を流れる湯川に架かる橋を渡ると、温泉神社への案内板。「神社まで200メートル」の言葉に引かれて参道を登ります。
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(趣の有る「加登屋本館」さんの建物)(湯川に架かる橋を渡り、右岸の温泉神社参道へ)
参道は良く整備されていて登り易くなっています。それでも登り坂は最近きつく感じる様になりました。紅葉した木々も大分散ってしまい、参道は落葉で埋もれる様です。
板室温泉神社参道1.jpg板室温泉神社参道2.jpg
(板室温泉神社への参道は落葉が一杯でしたが、歩きやすく整備されていました)

温泉神社の境内に到着、さっそく石の鳥居を潜り、拝殿に向かい参拝をします。
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(板室温泉神社の鳥居越しに拝殿を望む)
境内の案内板によると、≪神社の創建は寛文二年(1662)、本殿は文政十年(1827)に当時の神社世話人であった、柏谷治右衛門、大国屋利兵衛、江戸屋藤右衛門の三人による寄進で、再建されたと云われています。柱や壁面に松竹梅や孔雀・竜などの見事な彫刻が施されています。板室は江戸時代には黒羽藩領でしたが、拝殿入口近くには弘化三年(1846)に大田原城主が寄進した、一対の石灯籠が残っています。≫と記されています。
拝殿の前から境内を望むと、鳥居の先に一基の石灯籠がシルエットと成っていました。
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(温泉神社拝殿前より境内を望む、鳥居の先に一基の石灯籠が建つ)
その鳥居の前に建つ一基の石灯籠が気に成ったので、その周りをぐるりと回り、石に彫られた文字などを探ってみました。
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石灯籠の竿の部分、神社拝殿に向かった面、正面となるのでしょうか、「常夜燈」と大きく刻されています。右下隅に「好文軒」そして左下隅には「室竜水謹書」と見えます。左側側面には建立年か、「寛政十戊午年八月吉祥日」と刻されています。西暦1798年と言うと第11代徳川家斉の世、松平定信による寛政の改革が行われた後に成ります。そしてその日付の下側には、小さな文字で名前が刻されています。「室井新右衛門」「室井権兵衛」「室井長兵衛」「高根沢新八」間を開けて左隅に「高根沢☐ヱ門」の名前が連なっています。次に右側側面には「願主」として二人の名前が見えます。「江戸屋勝右衛門」そして「大国屋彦兵衛」。そして背面には「一金貮両 名主 室井新右衛門」「大山田村」、「石工 深澤治助知直」など。
更に竿と基礎石の間の石の周囲にも多くの寄付をした人達の名前や金額が刻されていますが、その中に下の写真に見られる「油料」を寄付した名前の中に「杤木」の文字を見付けました。
常夜燈3.jpg
まず「油料」の文字の次に、「杤木☐弓村 貮朱 川連定之丞」そして次に五人を置いて、「杤木中丁 一同 釜屋長七」と読めます。一人目の村名の一文字が読めませんが、人物名から現在の栃木市大平町真弓と思われます。又、栃木に付いては江戸時代は、木偏に万で「杤」と云う字を書いていました。一説には「十千木(とちぎ)」という処から「木」が「千」の「十」倍で「万」となるので「杤」としたとか。
「杤木中丁」というのは、現在の栃木市倭町に成ります。そこの「釜屋長七」とはどんな人物だったのか。
栃木から遠く離れたこの地に建つ石灯籠、そこに残る文字に興味は尽きません。
紅葉を見るには少し遅いと思ってきましたが、この温泉神社境内からの紅葉は、まるで燃え盛る炎の様に見えました。
板室温泉神社1.jpg
板室温泉の紅葉1.jpg板室温泉の紅葉2.jpg
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栃木県内各市で、新しいデザインのマンホール蓋を設置 [コレクション]

最近、全国的にマンホールカードの人気が高まり、多くのコレクターが各地を訪れています。
私もそのブームに乗って地元栃木県を中心に集めて、現在99枚。後1枚で100枚の大台に乗りますが、その1枚がなかなか。来月には新たに第9弾が発行されるので、栃木県内で発行されることを期待しています。
一方そんなマンホールカードの影響によるものか、デザインマンホール蓋への注目度も、これまで以上に上がって来ている様です。その証拠に、今年度栃木県内で新しいデザインによる、ご当地マンホール蓋の設置があちこちで行われています。それはマンホールカードと共に発表されるものと、将来的にカードの発行も予定されつつ、先行して新しいマンホール蓋のデザインを発表、設置するケースも少なくありません。
マンホールカードの発行はこれまで、4月・8月・12月の年3回の頻度で発行されて、1回の発行種類も制限が有る為、発行を希望する自治体が多ければ、順番待ちという事に成ります。自治体によっては既に2種類も3種類も出している所も有ります。
マンホールカードを発行することによって、コレクターが現地を訪れて来ますから、観光PRの一助にもなっています。
2018年、今年これまで栃木県内で、新しいデザインのマンホール蓋を設置したのは、私が確認している物で11種類も有ります。(幾つか紹介します。)
とちまるくん.jpgさのまる.jpg日光連山とSL大樹.jpg
(栃木県)               (佐野市)             (日光市)
彫刻屋台.jpgみるふぃ&キティ.jpg餃子通り.jpg
(鹿沼市)               (那須塩原市)          (宇都宮市)

私は、マンホールカードの第一弾が発行された、2016年4月の前から、デザインマンホール蓋の写真を撮影していました。そして2016年10月21日、このブログで栃木県内のマンホール蓋をほぼ全部収集してとしてまとめて掲載しました。しかし、その後もこうして新しいデザインのマンホール蓋が作られ設置されています。カラーマンホール蓋も多くなりました。
現時点で私が収集した栃木県内のデザインマンホール蓋の種類は80種、その中でカラーのマンホール蓋は40種と成っています。

又、撮り尽くしたはずと思っていましたが、見逃していた以前からのデザインマンホール蓋もまだ有る様で、これらを最近も偶然に見つけたりしています。
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(旧都賀町のデザインマンホール蓋) (今年見つけた都賀町集排のデザインマンホール蓋)
写真右は、今年7月に都賀ターゲットバードゴルフ赤津コース近くの道路で発見した、都賀町集落排水のデザインマンホール蓋です。図柄は旧都賀町章、町の花「キキョウ」、そして魚が泳ぐ川の流れなどが描かれています。川は地区内を流れる「赤津川」や「荒川用水」でしょうか。
写真左は、都賀町の通りで良く見るマンホール蓋です。図柄は旧都賀町章、町の花「キキョウ」、そして都賀町に三ヶ所文化財に指定されている、「獅子舞」に成ります。

国分寺町2.jpg国分寺集排.jpg国分寺集排(菊).jpg
(国分寺町集排、水車)    (国分寺町集排、ハト)    (国分寺町集排、キク)
上の3枚の写真は、全て旧国分寺町のデザインマンホール蓋です。
水車の絵柄は栃木市から小金井街道を進み、花見が丘から姿川辺りで良く目にするマンホール蓋ですが、ハトとキクの絵柄のマンホール蓋は今年に入って撮影した物です。中央の「ハト」の絵柄に付いては以前からインターネットにて存在を確認していましたが、これまで旧大字国分寺周辺を何度となく探索していましたが、どうしても発見できませんでした。ハトやキクの絵柄のマンホール蓋は旧大字国分寺を大きく離れた、JR小金井駅の東側、新国道4号線近くで、まさに遭遇しました。絵柄と成った「ハト」は旧国分寺町の鳥、「キク」は旧国分寺町の花でした。この辺りは昔は大字柴と云い、此処もまた旧国分寺町の範囲だった事を、この時知りました。旧国分寺町は予想以上に広い範囲にまたがっていました。

こうして見ると、栃木県内にも、まだまだ私が発見していないデザインマンホール蓋が有るのかも知れません。これからも気を付けて道路上をチェックして行きたいと思いました。
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私が撮り続けた、栃木秋祭りの思い出 [懐かしい写真]

今年、2018年は栃木市秋祭り、人形山車出御の年です。以前は5年間隔でしたが、2006年以降は2年に1度の出御に変更と成りましたので、祭り好きにとっては歓迎する所です。
「写真撮影が趣味」と言うより、運動するのが苦手で、人と交流する事もそんなに得意でなかったので、一人で楽しめる写真撮影が、その頃の私には打って付けだったのかも知れません。
今、秋祭りの日が近く成って来て、ふと、私がこれまで撮影して来た祭りの写真を見返してみました。
古いアルバムには、ピンボケした物や、色褪せてしまったカラー写真も多いですが、そんな写真を眺めていると、忘れてしまったその頃の風景が、断片的ですが蘇えって来るのでした。

私が初めて人形山車を撮影したのは、昭和41年(1966)でした。まだ白黒フィルムでしたし、高校生で金銭的余裕も無かったので、撮影した枚数はたったの6枚でした。それも何故か夜間で山車も小屋の中に入った状態での撮影でした。なぜ昼間の写真を撮らなかったのか、それは思い出せません。
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次が5年後の昭和46年(1971)です。この頃にはカラーフィルムも使い始めていました。撮影枚数は24枚でした。
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2枚の写真とも、倭町の大通りに有った歩道橋付近で撮影した物、1枚は歩道橋の上から人形山車を撮っています。歩道橋が設置して有った場所は、現在の「蔵の街第一駐車場」の前に成ります。その為万町一・二・三丁目の人形山車はこの歩道橋の下を潜る事が出来なかったので、ここでUターンして戻る事に成りました。又、通りを横断する電線等も多かった為、山車の巡行時は、山車の上層部や人形を下げていました。

5年後の昭和51年(1976)は、市制40周年に当たりました。この年私はカラーフィルム2本57枚、モノクロフィルム1本39枚の写真を撮りまくっています。
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写真は2枚とも秋祭り名物の「ぶっつけ」の様子を写しています。上記の歩道橋を挟んで倭町二丁目「神武天皇」の山車(左側)と、万町一丁目「天照大神」の山車(右側)とのぶっつけです。
そして右のモノクロ写真は、歩道橋を潜って万町側に巡行して来た室町「桃太郎」の山車(手前)と、それを迎える万町一丁目・ニ丁目の山車とのぶっつけの様子です。
この年見られたのは、倭一「獅子頭」、倭二「神武天皇」、倭三「静御前」、万一「天照大神」、万二「関羽雲長」、万三「素盞嗚尊」、泉「諌鼓鶏」でした。

昭和56年(1981)の秋祭りは、初めて第二小学校の校庭に勢揃いをした人形山車を見る事が出来ました。これまでは大通りでの巡行だけの撮影でしたが、この頃から勤めていた会社も土曜休日に変わった事で、広範囲での撮影が可能になりました。各町内から第二小学校へ向かう途中、常盤橋を渡る山車や、入舟町や湊町を巡行する山車の様子を撮影しました。
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この年、私は人形山車の巡行の写真を70枚撮りましたが、その中にこれまでずっと参加していた倭町三丁目の「静御前」の姿が写っていません。

昭和61年(1986)の秋祭りも、70枚の写真を撮っています。この年は祭りの期間中に、昭和58年から始められた「第4回とちぎ・太平山・蔵の街マラソン大会」が行われ、大通りを駆け抜けるランナーに声援を送る様に、山車の上からお囃子が打ち鳴らされていました。
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大町の人形山車「弁慶」が初めてお目見えしたのは、この年からです。又、この年は市制50周年のパレードに「日の出町青年部はやし連」が鎧武者姿の「源義経」を載せた車で参加をしています。もう1枚の写真は「ぶっつけ」ですが、これまで多くの「ぶっつけ」の様子を撮影して、何時もその時の祭りの雰囲気に呑まれて思うような写真を撮る事が出来ません。夜の「ぶっつけ」はストロボを使うと、手前が白く飛んでしまったり、影の無いフラットな写真で物足りません。この写真も色々工夫した1枚です。まだテクニック不足でした。

平成3年(1991)、時代は昭和から平成に移り、最初の秋祭りです。67枚の写真が残りました。
この年、栃木文化会館北側駐車場に勢揃いした人形山車を見に行きました。
この栃木文化会館駐車場に各町内の山車が一堂に揃うのは前回の昭和61年からで、それまでの会場だった第二小学校校庭は、蔵の街マラソン大会のスタート・ゴール会場と成っていた為、その前昭和58年に元栃木刑務所跡に完成した「栃木文化会館」の駐車場に変わっていました。
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人形山車が整列すると、北向きとなる為撮影するのに逆行気味と成り上手く撮れません。これも私の技量不足ですが。尚、この年は友好親善都市の北海道滝川市から、「しぶき祭」の行燈山車が秋祭りに参加して、祭会場を盛り上げていました。

平成8年(1996)の秋祭りは、人形山車が巡行するメイン会場の大通り無電柱化がなされた事で、巡行する時も人形を下げず豪華な山車の姿を見る事が出来ました。又この年、県立栃木高校が創立100周年の記念する年という事で、それを祝う為に万町一・二・三丁目の人形山車が、栃木高校の正門内まで巡行しています。
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平成12年は、西暦2000年という節目の年と成り、栃木市では多くの大きな事業が完成した年という事で、5年毎に開催していた秋祭りの人形山車巡行を、4年目のこの年特別に行っています。
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そして平成13年(2001)に、これまで5年毎に行っていた定期の人形山車巡行を開催しました。これは特別巡行した前年に続き2年連続、秋祭りに人形山車が繰り出すことに成ったのでした。
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祭期間中、天候に恵まれた事も有り、50万人お越える人出に成り、大通りは身動きが出来ないほどと成りました。

平成18年(2006)の秋祭りは、残念ながら私は仕事の関係で地元に居なかった為、見る事が出来ませんでした。この年も前回にもまして大勢の見物客が訪れたと聞いていました。
これがきっかけとなったのか、この後人形山車の出御が5年に1度から、2年に1度に変わっています。
そして2年後の平成20年(2008)も人形山車が出御したのですが、私はまだ地元に帰って来ていませんでしたので、この時もパスです。

平成22年(2010)の3月、私は4年ぶりに地元に戻りましたので、その年の秋祭りは久しぶりに見に行くことが出来ました。この頃は手持ちのカメラもデジタル式と成った為か、撮影枚数は150枚以上とまさに撮りまくっていました。この後、平成24年、平成26年、平成28年と毎回とちぎ秋祭りを楽しんでいます。
最後に、最近の祭りで撮影した各町内の人形山車等を紹介します。

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(室町 桃太郎)
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(倭町一丁目 獅子頭)
倭二.jpg倭三.jpg
(倭町二丁目 神武天皇)              (倭町三丁目 静御前)
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(万町一丁目 劉備玄徳)               (万町二丁目 関羽雲長)
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(万町三丁目 張飛翼徳)                (泉町 諌鼓鶏)
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(嘉右衛門町 仁徳天皇)                   (大町 弁慶)

今週末に向け、今秋祭りの準備が進んでいます。後はお天気次第です。私も又カメラをぶらさげて出かけたいと、今から楽しみにしています。
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巴波川の竹あかり [祭]

11月に入って、今年も栃木市街地の中央部を貫流する巴波川河畔に、竹あかりの柔らかな光が戻って来ました。
幸来橋と下流の巴波川橋との間、その左岸に続く「塚田歴史伝説館」の黒塀を背景に、今年は二筋の光りの列が現れました。
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(幸来橋の上から下流側巴波川左岸、竹あかりの光りが続く)

その竹あかりの光りは巴波川上流側にも続き、倭橋から更にその上の常盤橋橋詰まで伸びています。
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(倭橋の上から上流側巴波川左岸にほのかに続く竹あかり。)
巴波川の波立つ川面が、街頭の光りを反射しています。

竹あかりの上端部分斜めにカットされた部分に、その竹あかりのデザインを細工した製作者の名前が表示されていますが、そこには昨年同様に県立栃木工業高校の生徒さんの名前と、更に今年は市内の小学校・中学校の児童や生徒の皆さんの名前も沢山見られました。

常盤橋南西橋詰近くの、横山郷土館前には今年も竹あかりのほのかな光が輝いていました。
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(巴波川右岸、横山郷土館前を飾る竹あかり)

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(竹あかりのデザイン、色々なパターンで表現されています)

竹あかりを眺めながら、陽が暮れた栃木の街中を歩いて来ました。
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