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新しい「橋カード」、集め始めました [コレクション]

今日、橋カード3種類をゲットして来ました。
東雲さくら橋(表).jpg東雲さくら橋(裏).jpg
(橋カード「東雲さくら橋」の表面)       (橋カード「東雲さくら橋」の裏面)

これらのカードは、この4月より新たに配布を開始した「とちぎ橋カード」で、昨年行われた栃木県のデスティネーションキャンペーンの一環で配布された「とちぎ橋カード」に続くものです。
昨年2018年にカードになった橋は、県北の那珂川に架かる「晩翠橋(ばんすいきょう)」など10橋梁でしたが、今年(2019年)は枚数が増えて、24橋梁がカードに成りました。
橋カード2018.jpg橋カード2019.jpg
(昨年配布された「橋カード」)          (今年配布されている「橋カード」)

明日から世間では10連休と言うことで、海外へ出かける人達や、故郷に帰る人達の大移動が始まります。我家ではこれといった予定も無く、遠出をして渋滞に巻き込まれるのもかなわないので、時間の余裕を見て栃木県内のこれらの「橋カード」を集めて回ろうかとも考えています。
今回の「橋カード」の多くが、県内各地域の道の駅が配布場所となっていますから、道の駅でその地域の物産を見たり食べたりするのも楽しみの一つです。





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栃木市細堀町の水田脇に建つ「大川鴻山先生碑」 [石碑]

栃木市内に建てられている石碑を探し求めて、日々市内を歩き回っています。太平山や錦着山をはじめ、第二公園内などは、多くの石碑が確認できます。その他市内の神社仏閣にも必ずと言っていいほど、石碑が建てられています。
これまでもこの「巴波川日記」の中で、幾つも紹介をしてきましたが、今回は細堀町の水田の脇に建てられた石碑です。細堀町は旧栃木市内吹上地区に有り、町の中央を赤津川が北から南に貫流、東側には東北自動車道がやはり南北に走り、東北側に北関東自動車道との栃木都賀ジャンクションが見える。西側には足尾山地の南東端となる、標高183メートルの鴻巣山(別称、富士山)を中心に150メートル程度の低い山々が連なっています。
鴻巣山遠望.jpg
(細堀町の水田から西方の山並みを望む。山頂に展望タワーが見えるところが鴻巣山。写真中央右側、水田の先に石碑が建てられているのが見えます。)

栃木の市街地から向かうと、東北自動車道の狭いアンダーを抜けるか、吹上町から赤津川沿いの道を北上するルートと成る為、赤津川沿いを歩く事以外、私個人では滅多にこの地に踏み入れることは無い場所でした。
その細堀町を地形図で確認をしていたところ、田んぼの道路脇に石碑の地図記号を発見、さっそく現地確認をして写真に収めました。
大川鴻山先生碑1.jpg
(綺麗に整えられた石碑廻り)
石碑の正面上部に、「大川鴻山先生碑」の文字が陽刻されています。
大川鴻山先生碑2.jpg
(顕額の文字は侍従長海軍大将正三位勲一等功三級の鈴木貫太郎による)

碑文.jpg碑陰.jpg
(石碑正面、碑文)             (碑陰には多くの氏名がびっしりと刻されています)

碑文は海軍主計中将従四位勲二等刑部齊の撰並びに書と記されています。
「大川鴻山先生」とはどんな人物なのか、碑文にはその人の生い立ちから、慶応元年(1865)野州吹上村(現在の栃木市細堀町)に生まれる。名は元太郎。少年時代より武道を志し、明治28年(1895)鹿島神伝心影流相伝の免許を受け、秘奥皆伝を許され、第17代を承継しました。武道家として大成、明治31年(1898)に自邸に附設した道場「練武館」を設けています。又、栃木武徳会支部の創立や剣道の中等学校正科編入・剣道型の普及等に力を尽くし、大正6年(1917)武徳会本部大会に際して総裁 久邇宮殿下より精錬證を拝受、大正12年(1923)摂政宮殿下(後の昭和天皇)の拝謁を賜る。身老齢に達しても常に野に在り、地元青年育成に尽くしたこと等、記されています。
大川鴻山先生碑文.jpg
(碑文を書き写しました。ただしカタカナはひらがなに変えています。)

栃木市史(通史編)の「近代教育制度の発足」の項に、この「練武館」の事が記されています。
≪所在 吹上村大字細堀、 師範 大川元太郎、 大川元太郎は鴻山と号した。慶応元年生、明治28年鹿島神伝神影流の免許皆伝をうけ、同31年自邸に道場練武館を設け、剣道を教えた。 その門下の有段者は五十余人にのぼった。≫

碑陰に刻された「門人」を見ると、地元吹上96名を含む200名程の名前が連ねています。その上部には「後援団」として120名(その筆頭に代議士松村光三氏の名前も見られます)
多くの賛同者を得てこの碑が建てられました。碑文の最後の日付けは昭和6年(1931)11月3日と成っています。

大川元太郎が「鴻山」と号したのは、生まれ育った細堀の地から望む「鴻巣山」から採ったのではないかと、これは私の勝手な想像に過ぎませんが。

ちなみに、「大川」という姓は2003年~2004年版の電話帳を見ると61軒、その内細堀町が17軒で一番多くなっています。次に多いのが神田町7軒、3番目が今泉町で5軒となります。
尚、細堀町で特徴的な苗字は「玉田」姓になり、8軒です。少ないですが栃木市全体でも20軒しか見られませんから、4割が細堀町に集中していることに成ります。
昭和33年8月15日近藤兼利氏が著した「皆川廣照伝」の付録「皆川譜代家臣録」を見ると、「大川」姓が3名見えるが、全て細堀村でした。又、「玉田」姓は15名見えますが、その内9名が細堀村に名を連ねていました。

田んぼ沿いに建てられた1基の石碑から、栃木市の一つの歴史に触れることが出来ました。





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ポケットチェンジして来ました

「ポケットチェンジ」という、余った外貨を電子マネーに交換出来る便利な物が有ることを、最近知りました。
我家にも僅かですが外貨が眠っていました。田舎町では簡単に両替してくれる金融機関がないので、いつか又行く機会が有れば、その時にでも利用しようと考え、そのまま手元に残ったままになっていました。が、今の状態ではもう海外へ出かける事も考えられなくなって来ているので、思い切って交換しようと東京まで出かけてきました。
関東地方で「ポケットチェンジ」が設置されているのは、成田や羽田の空港以外でも都内に何カ所か確認できたので、東京駅近くの設置施設向かいました。
持ち込んだ外貨は、米ドルと中国元の紙幣とコイン、そしてタイバーツ(紙幣のみ対応)の3種類、紙幣・硬貨合わせて約32,000円。
首尾よく交換出来れば、帰りに美味しいものでも食べてこようと。
「ポケットチェンジ」の操作は、簡単な物でしたが、初めて利用するので、思わぬ失敗を繰り返してしまいました。
紙幣投入口から紙幣5・6枚をまとめて差し込んだところ、機械は一度飲み込んだ後吐き出してきました。紙幣がバラバラと床に落ちたので慌てて拾い集めました。周りに誰も見ている人が居なかったので、良かったです。紙幣は1枚づつ挿入すれば問題なかったのです。
中国元はスムースに交換出来ました。タイバーツは2枚、旧紙幣が投入しても戻ってきてしまいました。最後に一番交換レートの高い「アメリカドル」、1ドル約108円、1枚づつ差し込んだのですが、どうしても戻ってきてしまい、両替不可となってしまいました。(原因は旧紙幣で機械が対応していない為でした)
米ドル紙幣は、私が37年前に初めて海外に出かけた時の記念で、$1・$2・$5・$10・$20・$50のピン札をとって置いたもので、改めて現在流通の紙幣のデザインと異なっていました。
当時のレートは1ドル約250円の時代でしたから、現在は半分以下に成っているのに、更に交換出来ないとなると少しショックです。
一方、アメリカの硬貨は交換出来ましたが、ペニー(1セント)が60個ほど有りましたが、一回の投入が20個までと言うので、全部処理しても60円ほどなので止めました。5セント・10セント・25セント・50セントは交換しました。
1ドル硬貨が2枚有りましたが、大きくて投入口に入らず持ち帰りました。
米ドル.jpg
(交換が出来なかった旧ドル紙幣と1ドル硬貨)

結果として交換できたのは約18,000円、期待した金額までいかなかった。やはり米ドルの紙幣が旧札で機械が対応していなかった影響が大きかった。それと「ポケットチェンジ」、操作が簡単で何の手続きも必要が無いので便利な分少し交換率が低かったかな。それでも交換出来なければただの紙切れ同然ですから、少しでも交換出来て良かった。又、いい経験をさせて貰いました。

交換所の近くで、日本銀行本店の建物や、最近発表された日本の新しい1万円札のデザインの顔となる人物「渋沢栄一」氏の銅像を見る事が出来ました。偶然ですがどれもお金に関係していました。
日本銀行本店.jpg渋沢栄一の銅像.jpg
(日本銀行本店の建物)               (常盤橋近くに建つ渋沢栄一の銅像)



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カイドウが満開になりました [草花]

我家の猫の額、いや、ネズミの額ほどの庭の隅に有るハナカイドウが満開になりました。
園芸にはほとんど興味が無く、庭の草木の手入れもしていませんが、春になると自然と目を出してきて、色々と花を咲かせてきています。
今、一番鮮やかなピンクの花を付けているのがハナカイドウです。
ハナカイドウ1.jpg
ハナカイドウ2.jpg
そして今、ナツツバキには新芽が育ってきて、黄緑色が目立って来ています。これらの木々は肥料も何もやらないのにドンドン育ってしまい、毎年伸びた枝木を切るのが大変になってきています。
ナツツバキ.jpg
何時かは処分しなければと考えていますが、今はまだ殺風景な我家の庭に彩りを添えてくれているので、今しばらくは、面倒を見ていこうかとも思っています。
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栃木市内の桜巡り [自然の恵み]

今日は栃木県議会議員選挙の投票日、昨日まで栃木市内を6名の候補者が選挙カーで、遊説していました。今日は風も無く朝から穏やかな陽気に包まれています。私も昼過ぎに自転車で近くの投票所へ向かいました。
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(満開になった小平橋の桜)
途中の小平橋袂で満開の桜を写真に収め、投票を済ませた後、市内の桜を求めて自転車のペダルを踏みました。巴波川右岸の道を幸来橋から巴波川橋方向に走らせ、瀬戸ヶ原公園へ。
この界隈は栃木市観光の中心の為か、今日も沢山の観光客が来ていました。
瀬戸ヶ原公園の桜.jpg
(瀬戸ヶ原公園の桜、手前が九十九曲り用水)
更に南に下ると栃木カトリック教会にも桜の木が有りました。
栃木カトリック教会の桜.jpg
(栃木カトリック教会の桜)
次は少し市街地から西に走って芝塚山へ向かいました。
芝塚山の桜.jpg
(芝塚山の桜)
芝塚山には数本の桜の木が有り満開になっていました。芝塚山西側の栃木商業高校でも、正門付近の桜が満開になっていました。ここから栃木バイパスを通って錦着山へ。
錦着山麓の桜.jpg
(錦着山南麓駐車場の桜)
錦着山南麓の駐車場は満車状態です。今日はまさにお花見日和になりました。
錦着山の西方を流れる永野川の緑地公園の桜も、薄ピンクの幕を張ったようです。
永野川緑地公園の桜.jpg
(永野川右岸、緑地公園の桜)
一昨日まで季節外れの寒さで、桜も開花を渋っていましたが、昨日今日の陽気で一斉に開花をしたようです。春はやっぱり桜、どこも綺麗に花を付けていました。

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栃木市街地でも桜が満開に [自然の恵み]

今朝も冷え込みがきつかったですが、昼過ぎになると一変して、暖かい空気を感じるようになりました。
そこで、さっそくカメラをぶらさげて栃木の街中に有る桜スポットを巡ってみました。
一昨日、車で大平町の桜通りを通過したのですが、一足早く満開になって、見事な桜のトンネルが見られましたので、栃木の街中も見頃になっているはず。
まずは我家の近く、巴波川・小平橋の桜です。
小平橋の桜1.jpg
(小平橋脇の桜、だいぶ開花してきています。今週末が見頃)
小平橋は私の街中ウォーキングのコースで、必ず渡る橋ですから、この時期は桜の開花状態を見るのが、一つの楽しみです。
妙唱寺境内の枝垂桜も満開になっていました。
次は旧栃木市役所別館東側、元県庁堀沿いの枝垂桜。こちらも満開です。
旧栃木市役所別館の桜.jpg
(元県庁堀の水面に満開に咲いた枝を垂らしています。)
今年度からいよいよ後方に建っている「旧栃木市別館」の建物の改修工事が開始される様です。そして新しく「文学館(仮称)」として整備されます。この際建物南東部に増築された部分が解体撤去されて、建築当時の形に復原されるようですので、その工事の都合上この枝垂桜が残されるのかどうか気になります。残されることを信じています。
定願寺墓地南側の1本の桜の木もピンクの花びらを満開に付けていました。
栃木第四小学校校庭の桜ももうすぐ満開です。
栃四小の桜.jpg
(春休みで児童の姿が見えない校庭の桜)
栃木文化会館駐車場の桜は、開花が遅れているのか、満開はもう少し後になりそうです。
次は第二公園の桜です。公園中央の噴水池脇の桜はほぼ満開、大きく育った柳の新芽が緑色に光っていました。池の周りは小さい子を連れたカップルの姿や、走り回る子供達がいました。
第二公園の桜.jpg
(噴水池の水面近くまで伸ばした枝にも、満開の桜の花が)
公園北側に祀られた栃木町の総鎮守「神明宮」の、本殿脇の桜の木も満開で、後方の本殿もすっかり隠れてしまっています。僅かに上方に千木と鰹木とがのぞいて見えます。
神明宮の桜.jpg
(神明宮の本殿前南側、本殿を隠すように咲く桜)
巴波川は今年も、川に渡したロープに多くの小さな鯉幟が付けられ、風に吹かれて川面を元気に泳いでいるようです。倭橋を渡り川の西側に。かって「いりふね保育園」だった跡地に残された桜の老木も満開に花を付けていました。
旧いりふね保育園跡の桜.jpg
(保育園の建屋も解体撤去され、更地となり園児の姿も消えさびしそうな桜木)
栃木の町の中を桜の花を求めて歩き回ること3時間、14,597歩の花見ウォーキングでした。
最後に又小平橋を渡り、我が家に戻ります。
小平橋の桜2.jpg
(往きに見た時より開花が進んだ様に見える小平橋の桜)
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枝垂桜三昧 [自然の恵み]

4月に入り、昨日は新元号「令和」が発表されました。平成も今月限りになります。
その平成最後の桜を求めて近くの桜の名所を巡ってきましたが、東京では満開と言われるソメイヨシノは、ここ数日肌寒い日が続いている為か、栃木周辺ではもう少し先になりそう、今は枝垂桜が見頃になっていました。
最初は小山市飯塚の琵琶塚古墳脇の枝垂桜です。
古墳の脇を走る道路沿いには八重桜の並木になっていますが、こちらはまだまだ開花は先のようです。ただ1本有る枝垂桜が丁度見頃になっていましたので、写真に収めてきました。
天地を桜の花のピンクと菜の花のイエロウとでサンドイッチ状態になっているのが、琵琶塚古墳です。
「6世紀前葉に築かれた栃木県最大級(墳丘長124.8メートル)の前方後円墳です。大正15年に国史跡に指定されました。」<国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館資料より抜粋>
ここ数年古墳の発掘調査が行われていましたが、調査は完了したのか綺麗に整備されて、二つのピークを持つなだらかな稜線が左右に広がっています。
琵琶塚古墳と枝垂れ桜.jpg
(琵琶塚古墳と枝垂桜)
次のポイントを求めて栃木市の北の端「西方町へ」
西方城址の南東側山裾に有るお屋敷の門の脇に見事な枝振りの枝垂桜が、まだ山陰に入る前で太陽の光を浴びて輝いて見えました。
「この枝垂桜は、栃木県名木100選の一つ、室町時代に植えられたようである。樹齢推定約560年、樹高約8メートル」<栃木市文化財マップより抜粋>
西方町の枝垂れ桜.jpg
(西方町本城の枝垂桜)
更に次のポイントに移動します。次は都賀町富張にある長福寺の枝垂桜です。
寺の東側には北から南に赤津川が南流しています。
こちらのお寺の境内には樹齢が350年や250年の枝垂桜が、今まさに満開となって枝一杯に花を付け、その重さで枝が地面まで垂れ下がっているようです。
都賀町長福寺の枝垂れ桜.jpg
(都賀町富張、長福寺の枝垂桜)
青空の下見事に咲いた枝垂桜を堪能することが出来ました。


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