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古い1枚の写真について [懐かしい写真]

私が写真撮影に興味を持ったのは子供の頃で、中学生の頃には今では見なくなったハーフサイズのカメラを使って友達の写真などを撮って遊んでいました。高校に入学と同時に写真部に入部、一眼レフカメラを入手しました。
高校一年の夏休みに、友達と自動二輪車の運転免許試験場に行き、免許証を取ることが出来ました。バイクに乗る様になって、私の写真撮影エリアーは大きく広がりました。
その頃はフィルムは24枚とか36枚撮りで、撮影も一ヶ所で数枚、時には1枚しか撮りません。ですから今その頃の写真を見ると、どこで撮影したものか全く記憶に無い写真も結構あります。

そんな写真の一枚が今回の内容です。
1968年万福寺.jpg

この写真、1968年に撮影されたもので、この写真の前後には栃木市泉町の「雲龍寺」、壬生町の「円宗寺」「壬生寺」「興光寺」「高雄神社」、そして栃木市に戻って「近龍寺」や「神明宮」「長清寺」「正覚寺」などの神社仏閣が写っています。他に、同様に場所が特定できない神社も混ざっています。

数年前に、近隣の寺院を「堂々巡り」と題して、このブログで紹介させて頂きました。その為現地を確認して歩いていますが、その中でも上の写真の建物を持つ寺院に巡り合っていませんでした。

ずうっと疑問に感じていましたが、先日たまたまインターネット上にて、栃木市旭町の「満福寺」の公式ホームページを閲覧した時です。その中に「昭和40年頃の当山」との説明書きの有る上空から撮影したと思われる写真を見ていると、建物の配置や形、電柱や木の状態が同じである事に気付いたのです。

私の記憶に残る「満福寺」と言うと、この建物のイメージだったのです。
1979年6月万福寺.jpg
(満福寺旧本堂、現在は「太子堂」)
この写真は1979年に撮影したものです。
ですから、全然想像もしていなかった寺院です。
栃木市旭町の満福寺の写真と分かっても、信じられない感情が強く残っています。
小学生の頃は、良く神明宮の周り、第二公園の瓢箪池の周りで遊んでいましたが、満福寺まではテリトリーに入っていませんでしたから。

念の為に、写真左奥に写るお堂の形を、現在満福寺の「太子堂(旧本堂)」に向かって左手側に建つ「観音堂」の外観と良く比較してみると、同じである事が分かります。
2013年万福寺観音堂.jpg
(2013年撮影、満福寺観音堂)

「満福寺」の事に関しては、2014年12月2日に「三鬼尊を祀るお寺」として、このブログ「巴波川日記」の中で紹介しておりますので、今回はこの何所か分からなかった、古い写真の寺院が、かつての「満福寺」だったと判明したうれしさで、書いています。

もう一つ、私の記憶に残る「満福寺」と言うと、やはり北側の築地塀の風景ですが、この風景も今はもう見る事が出来ません。
1974年12月万福寺北側.jpg 

現在の「満福寺」は、伽藍や周辺整備が進み、本堂も新しく江戸時代と同様に南向きに建てられました。
2014年万福寺本堂.jpg
(2011年新しく建てられた本堂「大毘盧遮那殿」)
2014年万福寺.jpg
(以前の本堂は「太子堂」として改修されています。)
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