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境内に石造りの牛像が祀られている、栃木市大平町牛久の牛来寺 [堂々巡り]

今日、2021年(令和三年)の新しい年が明けました。我家はこの年末年始は喪中の為、正月飾りもせず毎年恒例の家族そろっての初詣も、年賀状の楽しみも有りません。新型コロナの感染拡大は収まる気配も無く、昨日はこれまでの数値を大幅に上回り、日本全国で4,519人の感染者が確認されたと読売新聞一面に載っていました。。
遠くにいる息子には、帰省させませんでした。そんな訳で正月の団欒も無いので、この冬は居間の炬燵も造りませんでした。今日は一日中、テレビを見、新聞を読んで、外出する事も無く静かに一日を過ごしました。
そんな中、目を通していた「よみうりタイムス・栃木南部版」の1面に<今年は丑年 朝日森天満宮「なで牛」>の記事が出ていました。
朝日森天満宮は、栃木市の西隣、佐野市に祀られている神社です。私も昨年の梅の咲く時期に参拝をして、記事に載っていた「なで牛」を撫でて来ました。
朝日森天満宮社殿.jpg朝日森天満宮なで牛.jpg
(佐野市・朝日森天満宮社殿)           (朝日森天満宮境内にある「なで牛」)

我が栃木市における丑年に関わるものが無いかと、思いを巡らすと、牛の石造を境内にお祀りしている寺院が浮かんできました。大平町牛久の「牛来寺」です。
この「牛来寺」に関しては、すでに2015年6月4日に、このブログ「巴波川日記」に書きましたが、何故か海外からわけのわからない文字でコメントが入ってきてしまうので、公開を遮断していました。
今回丑年と言う事で、その後の話題も追加して、ここに再度公開をする事にしました。

1年半ぶりに牛来寺を参拝して来ました。
「牛来寺」(ごらいじ)は栃木市大平町牛久、県道153号線(南小林栃木線)、栃木市沼和田町から南に進み大平町牛久に入ると、道路右側に雷電神社のこんもりとした森が見えてきます。牛来寺はそのすぐ先です。道路左側に駐車場が有ります。車を停めて中に進みますとお寺の入口正面に出ます。こちらにも駐車場が有ります。本堂の鮮やかな朱色が目に飛び込んできます。
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入口左側に建つ石柱正面に「栃木県指定文化財 薬師如来」、石柱右側面には「慈覚大師霊跡」そして左側面には、牛来寺の由緒が刻まれております。
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右側には、大きく「薬師瑠璃光如来」と刻まれた石碑が建っております。1969年に撮影をした私の写真にも、薬師堂の手前にこの石碑が写っております。
牛来寺(1969年撮影).jpg
(1969年に私が撮影した牛来寺薬師堂)

石碑の後ろに石に掘られた牛が座ってくつろいでおります。横の説明板に「御法の牛」と有って「自分のからだの悪い所をなでてから、牛の同じところをなでると病がよくなり、じゃけんな心も消えて豊かな暮らしが出来るようになると云われています」と、記されています。 私も最近動きの悪くなった右肩をなでさせてもらいました。
牛来寺の御法の牛.jpg
(栃木市大平町牛久、牛来寺の「御法の牛」)

本堂(薬師堂)にて参拝を済ませ、境内の中を散策させてもらいました。
牛来寺は正式には、「医王山光明院牛来寺」と号する、天台宗の寺院です。
私のブログにても2014年10月14日に「都賀三十三薬師霊場巡礼③」の中で紹介をしていますが、第十一番札所となっております。
ご詠歌を記した立札が有りました。「願えただ我もじゃけんの角折りて 牛さえ法に引かれくる身を」
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先ほどの御法の牛の説明文、そしてこのご詠歌の中にも出ている言葉「じゃけん」とは、どのような意味なのでしょうか、調べてみました。仏教用語≪五見・十惑の一、因果の理法を否定する誤った考え≫と有り、更に分からなくなりました。一般的には、正しくない見解、よこしまな考え。で何とか納得しました。
牛来寺の由緒は、≪嘉祥三年庚午(850)、聖の慈覚大師さま蓮華まだらの牛に乗り、諸国巡行のその折りに、九十九曲りや牛の跡、その頃この地で悪病が、流行忌く人数知れず、嘆き悲しむ人多く、さながら地獄の様のごと、大師沐浴咒穣すれば、衆病あまねく痊愉せり、薬師如来のお加護ぞと、邑人こぞって信奉す、梵想のお告げで大師さま、この地に一寺を建立し、薬師如来を安置して、衆生済度を誓願す、三界衆生のともがらは、万病除きて楽を得る、日光闇を照らさるる、月光煩悩掃わるる、後の仏の御世までも、慈悲の守りをたれ給う。≫牛来寺の資料より抜粋し掲載。七五調の文で読みやすくなっています。

本堂に向かって左側に、二つの擬宝珠が置かれています。小さい方は明治二十一年に倒壊して再建されなかった観音堂の屋根に有った物と言う。ここ牛来寺は「都賀三十三観音霊場・第二十三番札所」でも有ったのです。本尊の聖観世音菩薩は、現在本堂に合祀されています。
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大きい方の擬宝珠は、旧本堂の屋根に有った物で平成十二年の増改修で新しい屋根に葺き替えた時、外され保存されています。1969年撮影の薬師堂の屋根は向拝が有りません。平成の改修の際に向拝が加えられ、又旧堂宇の両側にそれぞれ一間分が増築されているのが分かります、元の堂宇の柱は円柱の部分になります。
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牛来寺鐘楼の梵鐘には、天台宗の寺院に行くと、必ずと言っていいほど目にするお言葉「一隅を照らす これすなわち国宝なり」の文字が陽鋳されています。
牛来寺鐘楼.jpg牛来寺梵鐘1.jpg
(牛来寺の鐘楼)                  (梵鐘縦帯に「照千一隅此則国宝」の文字)
このお言葉の由来について、令和3年の「天台こよみ」の「一隅を照らす -本当の宝物ー」の記事の中に載っておりましたので、抜粋し紹介をさせて頂きます。
<この天台宗のシンボルともいえる「一隅を照らす」という言葉は、宗祖大師が比叡山(山家)における僧侶(学生)の育成方針を示した「山家学生式」のお言葉、  国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり・・・・・・ 径寸(大きな宝石)十枚 これは国宝にあらず 一隅を照らす これすなわち国宝なり  に由来します。>

本堂裏手に6基の石仏が並んでいます。一番右側は「念佛百万遍供養塔」で、享保六年(1721)の建立。他は十九夜供養塔になります。紀念銘を見ると、享保十三年(1728)や天明七年(1787)など、江戸時代中期の物が多いです。
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境内は説明の立札も多く、見ていて良く理解する事が出来ました。

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