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三杉川の橋巡り④ [栃木市の河川と橋]

三杉川の橋巡りも、今回で4回目。
前回は頑張って、9カ所の橋を巡って来ました。前回は下岡に架かる「下岡橋」まで見て来ました。
下岡を抜けるといよいよ栃木市岩舟町の西端「古江」の集落に流れて行きます。
「下岡橋」から南流する事500メートル余りで、下岡と古江の境界に至ります。
三杉川はそこで90度流れを東方向に変えます。
樋の口橋南側より.jpg
(右側の橋が「樋の口橋」、中央の流れが三杉川。奥左の小丘が上岡、右が下岡)

川の左岸に沿って走る道路はそこで三杉川と交差する形と成り、橋が架けられます。「樋の口橋」です。
樋の口橋1.jpg樋の口橋橋名板.jpg
鉄筋コンクリート製桁橋で、橋桁中央部にこれまたコンクリート製のガッチリとした橋脚が橋桁を支えています。親柱はガッチリとした直方体のコンクリート製で、その一ヶ所に竣工年月を記した銘板が埋め込まれています。「昭和三十一年二月竣功」となっています。橋の南東側橋詰に「堤塘擴張工事記念碑」「大正十一年五月」「大字古江」と刻した石碑が建てられています。他に「小野寺経栃木町二里半」側面に「御成婚記念」と刻した道標も建てられています。
樋の口橋西側より.jpg樋の口橋2.jpg

三杉川はこの「樋の口橋」の下流で直角に折れるように再び南流をします。そしてその曲がった先に橋の幅員が1.5メートル程の人道橋が架かっています。橋桁には木製の丸太が使われており、まさに土橋の造りになっています。
番場橋1.jpg番場橋2.jpg
橋名は「番場橋」、大字古江の字名に番場という地名が有り、その地名から命名されたものと思われます。

この後、三杉川は大字古江と東隣りの大字新里との境界線として田圃の中を南流して行きますが、古江の集落の東端で東西に横断のする、市道1052号線の三杉川に架かる「東川橋」のしたを潜り、南に望む三毳山に向かって流れて行きます。
東川橋1.jpg東川橋橋名板.jpg
東川橋2.jpg
(東川橋より下流方向、三毳山を望む。最高峰は229メートルの青龍ヶ岳)

写真に写る三毳山の左側山裾にこんもりとした小丘(標高55メートル)が見える。「天狗山」と言います。
明治32年11月に当時の栃木町を中心に栃木第二中学校(現在の県立栃木高等学校)を行在所として実施された、近衛師団小機動演習の演習場の一ヶ所で、この天狗山の山頂を御野立に三杉川流域を中心に繰り広げられた演習をご覧になられています。
この件に関しては、この巴波川日記2018年5月22日の「草むらに埋もれる石碑の残骸」にて記しています。

三杉川はこの後三毳山に向かって流れ、三毳山北麓を東西に走るJR両毛線の手前で西南西に流れを変え、そこから両毛線の線路と平行して、西隣の佐野市へと流れて行きます。
此の流れを変えた場所で、東側から三杉川左岸に小河川が合流しています。これは三杉川の支流のひとつ「谷田川」です。
谷田川の上流は岩舟総合運動公園の北方の山の中に至ります。この谷田川には公園内を縦貫する間、多くの橋が架けられました。上流側から紹介すると「希望橋」「桜橋」「コスモス橋」「かたらい橋」そして「出会橋」です。
希望の橋1.jpg希望橋2.jpg
桜橋1.jpg桜橋2.jpg
こすもす橋.jpgこすもす橋2.jpg
かたらい橋1.jpgかたらい橋2.jpg
出会い橋1.jpg出会い橋2.jpg
谷田川を合わせた後、西南西に260メートル程流れた所に、小野寺地区での最後の橋「三杉橋」が有ります。
三杉橋3.jpg三杉橋4.jpg
(左側道路の先に新しい「三杉橋」、右側道路は前の橋の取り付け道だった。旧橋は撤去済)

この橋は三杉川に架かっている橋の中では、一番新しい橋(2016年2月竣工)に成ります。
三杉橋1.jpg
(小野寺地区を流れる三杉川に架けられた最後の橋「三杉橋」奥に岩舟山を望む)
三杉橋2.jpg
(三杉川の下流方向を望む。右岸側は栃木市岩舟町古江、左岸側佐野市町谷町です。)

今回巡った三杉川に架かる橋、4ヶ所の位置を又頑張って模式図に表してみました。参考に見て下さい。
三杉川古江付近の模式図.jpg

三杉川はここで一旦栃木市から離れ、佐野市内を流れることに成ります。
何時か佐野市内を流れる三杉川についても、巡ってみたいと思います。


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