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橋巡り「聖人見返り橋」 [橋梁]

今回巡る橋は、「聖人見返り橋」です。
この橋が有るのは、お隣の茨城県に成ります。栃木市から車で行けば1時間程、茨城県笠間市稲田の田圃の中にその橋は有りました。
聖人見返り橋1.jpg
(茨城県笠間市稲田の田圃の水路に架かる、「聖人見返り橋」)

ここで言われる「聖人」とは、親鸞聖人の事で、橋の脇に2基の石碑が建てられています。
聖人見返り橋3.jpg聖人見返り橋2.jpg
(「聖人見返り橋」の脇に建つ、二基の石碑)

右側(橋の近く)に建つ、小さめの石碑は正面に「聖人みかえりはし」とだけ刻されています。
言うなれば、橋の案内碑、極端に言えば橋の親柱代わり的な役目を果たしている様、これが無ければ水路に架かる湾曲して太鼓橋状に削り出された一枚の石の橋桁の仔細が分からない。

左側の石碑は、何やら和歌の様なものが、刻まれています。
石碑中央には、少し大きな文字で「親鸞聖人みかえりはし」 
右側には「和かれしを さのみなげくな 法のとも」 と上の句が、
左側には下の句の 「またあう國の ありと思えは

そして、橋の袂から北東の方を望むと、深い杉木立の山裾に沿って瓦屋根を載せた、上半分が白壁で下側が黒色の板張りの塀が連なっています。浄土真宗別格本山の西念寺です。木立の合間に本堂の大屋根が見え隠れしています。
西念寺1.jpg

この「聖人見返り橋」は、数多い親鸞聖人の伝承のひとつでしょう。現在のこの橋もその伝承のひとつのモニュメントと言えます。実際に伝承の元となる橋が有ったとしても、恐らく場所も橋そのものの形も違っているでしょう。現在の場所を見ると周りの状態は土地改良が行われ、畦道も水路も直線的で、在りし日の姿を留めてはいません。でも今この場所に立って、田園風景の真ん中から西念寺の杉木立を望むと、文暦2年(1235)春、20年近くを過ごした草庵を後に、京に戻る親鸞の姿と、見送る人達の情景が浮かんでくるような思いが過ぎって来るものです。橋の袂に建てられた石碑の、親鸞聖人の作と伝える和歌の内容を、もう一度かみしめます。
<念仏の友よ 別れをそのように嘆く事は無いですよ  また何時の日か阿弥陀様の元で 会う事が出来るのだから>
その年の9月元号は嘉禎に改められた。
 
ここで西念寺にお参りして行きます。
西念寺の正面参道の入り口は、上の写真の右方向、国道50号線の直ぐ脇に成ります。
聖橋1.jpg
(西念寺参道入口に架けられた「聖橋」。写真後方に国道50号線に架かる歩道橋)

聖橋を渡ると、民家の間に参道が真っ直ぐ伸びています。奥の木立の中が西念寺です。)
聖橋2.jpg
(国道50号線側から、聖橋とその奥に伸びる参道を望む)

真っ直ぐと天の突くように伸びた、何本もの杉の大木の間に伸びる参道を進むと、趣のある茅葺屋根を備えた山門の前に出ます。
西念寺山門.jpg
(茅葺き屋根の山門が、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。)

上層の軒下に山号の「稲田山」の扁額が掲げられています。左脇の石柱に「親鸞聖人教行信證御製作地」「浄土真宗別格本山」と大きく刻されています。
山門を潜ると、正面奥に大きな伽藍が迎えてきます。御本堂です。
西念寺本堂.jpg
(御本堂)

本堂内で参拝を済ませ、本堂右手の坂道を登り、親鸞聖人御頂骨堂や太子堂・鐘楼を巡り、戻っては山門入った時左手に見えた太鼓楼や県指定文化財の「お葉つきイチョウ」の大木などを見て回りました。
今度はこのイチョウの紅葉の時季に、また来ようと思いました。

鐘楼.jpg御頂骨堂.jpg
(鐘楼)(親鸞聖人御頂骨堂)
太子堂.jpg太鼓楼.jpg
(太子堂)(太鼓楼)
ハツキ銀杏.jpg
(お葉つきイチョウの大木)


今回参考にした資料:
・丹羽文雄著「親鸞」
・「日本の名著6 親鸞」 中央公論社発行

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