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初めて巡る、愛媛・高知 [橋梁]

先日の連休を利用して、初めて四国の西側半分、愛媛県と高知県を訪れました。
香川県の金毘羅神社や栗林公園には、高校の修学旅行で行っていましたから。
今回は2泊3日の予定で、レンタカーを使って、少し気になる橋梁を中心に、観光しましたが結構ハードスケジュールでした。初日・2日と天候に恵まれなかったことも有り、思うように見て周れませんでした。

先ずは松山港にカーフェリーに乗って上陸。そこからレンタカーを駆使して進むことに。と言っても、私自身は助手席で、車窓の移り変わる風景を撮影したり、睡魔と闘ったりしていたのですが。
1.松山港上陸.jpg
<松山港に到着後、車で下船する。前の車のテールランプに続いて四国上陸>

先ずは愛媛県松山といえば道後温泉と言う事で、目的地に向かいます、30分程で市街地に入ってきましたが、道後温泉本館周辺の道路が狭く、駐車場を探すのに同じ道をグルグルと走る羽目に。やっとコインパーキングに止めて、歩いて道後温泉本館前へ出て来ました。建物は現在保存のための改修工事が行われている為、建物全体を覆うテントが設置されていて、明治27年(1894)最初に建てられた、神の湯本館棟のシンボル、屋上に有る宝形造りの塔屋(振鷺閣)は見られず、建屋南面の様子を写真に収めました。。
2.道後温泉本館.jpg

最近は何処に行っても必ず改修工事中になっている時に出くわします。2020年1月に岩国の錦帯橋を訪れ達時も、丁度数年に1度という改修工事中でした。今年4月、比叡山延暦寺を訪れた時も、根本中堂は改修工事の真っただ中で、建物は完全に覆屋に隠れていました。
29.岩国錦帯橋.jpg30.比叡山根本中堂.jpg

次に、道後温泉駅と坊ちゃん列車を見る為、アーケードの商店街を抜け道後温泉駅前へ
3.道後温泉駅と坊ちゃん電車.jpg

この場所には、正岡子規の像や坊ちゃんカラクリ時計、足湯「放生園」等々が有りますが、のんびり見ていられません、いよいよ雨が降ってきてしまいました。車で松山城下近くの駐車場に移動、途中車中から松山城を撮影しました。4.松山城遠望.jpg
<勝山山頂の天守は、慶長7年(1602)から26年の歳月をかけて築城され、現在国の重要文化財>

城山の南山麓に建つ純フランス風洋館「萬翠荘」は、旧松山藩主の子孫、久松定謨(さだこと)伯爵が、大正11年(1922)に建てた別荘で、見事な建物です。
5.晩翠奏荘.jpg

雨が、本格的に降ってきたので観光を諦めて、まずは四国の西に出っ張る、佐田岬半島の付け根、八幡浜方向に、車を進めていきます。途中是非寄りたい街が、「大洲」です。旅行ガイド本には、<清流肱川沿いに開けた小京都>と出ている街です。
肱川(ひじかわ)の流れに突き出た小丘上に、現在天守閣が復元されて建っています。
6.肱川橋.jpg
<岸辺に屋形船が並ぶ川が、肱川。手前に架かる橋は「肱川橋」。その先、川の流れの中に突き出た小丘の上に天守が見えます。>
天守閣部分をズームアップして、写真に収めます。
7.大洲城.jpg
<復元された大洲城天守閣です。>
私がこの地を選んだのは、肱川対岸の河原、この大洲城天守閣を望む緑地公園に建つ、松根東洋城の句碑を見てみたかったからです。
栃木市の太平山謙信平にも、松根東洋城の句碑が建ています。2020年4月24日に書いたブログ「太平山謙信平に建つ石碑を巡る」の中で、紹介しました。
松根東洋城は、父親が大洲裁判所の判事だったため、明治25年に大洲小学校を卒業しています。
残念ながら雨が強くなってきたので、河原に下りるのを断念しました。
上掲の肱川の写真にて、左側石垣の様な堤防の内側には、かつての大洲城の城下町が形成されています。ここに、「おはなはん通り」と呼ばれる通りが有ります。
1966年の4月から、NHK朝の連続テレビ小説第6作「おはなはん」のロケ地になった街並みです。
8.おはなはん通り.jpg
この通りは、明治・大正の面影を残しています。

ここからは、進路を海岸線から山中に方向を変え、四国の清流「四万十川」を目指す事に。四万十川には、川の増水時に水面下に沈む「沈下橋」が多数渡されています。支流を含めてその数は47とも48とも言われます。
今回はその中で観光するのに車が駐車出来て、河原に下りやすい「勝間沈下橋」を見てきました。
9.勝間沈下橋.jpg
勝間沈下橋は全長171.4メートル、幅員4.4メートル。架橋年は昭和40年。橋は水中に沈下した際、川の流れを妨げない様欄干が有りません。見ている時に自動車が対岸から渡ってきましたが、見ている私の方がハラハラしてしまいました。
勝間沈下橋を後に、ここから四万十川に沿って下流に進み1日目の宿の有る、四万十市中村に架かる「四万十川橋」通称「赤鉄橋」を望むホテルに。部屋の窓から四万十川の流れと、右手に赤褐色に塗装された9径間、橋長507.2メートル、幅員5.5メートルの鋼トラス橋が見えます。
10.四万十川橋.jpg
左手奥には、雨に霞んで、「四万十くろしおラインの宿毛線」の橋梁が見えました。

旅行2日目の朝、やはり今日も雨、本日最初の目的地は、四国最南端足摺岬展望台。
四万十川を下り、途中から国道321号、足摺サニーロードを南進。県道27号線で中浜・足摺岬方面へ。
11.足摺岬.jpg
足摺岬展望台から、雨天の為前方に広がる太平洋と空との境が、モノトーンに繋がっています。手前には岩間に波しぶきを上げ、渦を巻く海面。断崖絶壁の上に建つ白亜の灯台。荒々しくも何故か静寂に包まれた世界が広がる感じがしました。

なかなか止まない雨に急かされる様に、足摺岬を後にします。先程通ってきた道を戻るように、四万十川に向います。高知方面に進むには必ず四万十川を渡らなければ。
最も河口に近い「四万十大橋」渡ります。
12.四万十大橋.jpg
四万十大橋は、橋長687メートル。PC連続8径間有ヒンジラーメン箱桁橋。幅員は8.75メートル(歩道含む)
橋の写真を撮るため、左岸橋詰の公園に車を止めて、橋の親柱のモニュメントを、強風に傘を取られながらやっとの思いで撮影してきました。天気が良ければ橋の中央辺りまで行って、四万十川を真正面から撮りたかったのですが。
13.四万十大橋親柱のあかめ.jpg
親柱に付いた巨大な魚のモニュメント。四万十川の下流域で成長する「アカメ」という魚だそうで、目の部分が赤くなっています。大型になると全長1.3メートル、体重は30kgを越えるそうです。

四万十川の川面を吹き抜ける風はとても冷たく、逃げるように四万十川を後にしました。

次の目的地は一気に高知市・南国市を通過して東側の香南市長須町手結港へ、この港に有る可動橋を見に行きます。
14.可動橋1.jpg15.可動橋2.jpg
手結港の可動橋は、おおむね1時間の間隔で開閉する様で、私が到着した時は橋は大きく上がった状態でした。私たち以外にも見学に訪れた人たちで、駐車場には結構車が止まっていました。ここで可動橋が下がるのを待って、通行が再開した風景を収めて来ました。

2日目の宿泊地、高知駅近くのホテルに到着。部屋に荷物を置いて、今日の最後の目的地へ。
土佐の高知と言えば、ペギー葉山さんが歌う「南国土佐を後にして」に歌われ、一躍全国区になった「はりまや橋」です。四国高知に来たら、ここは外せません。
いつの間にか雨も止んで、夕暮れとなった高知の街に出かけます。
JR高知駅南口より、路面電車が走るはりまや通りを、800メートル程歩くと、通りの右手脇に鮮やかな朱色に塗られた橋が見えてきました。
16.はりまや橋.jpg
「はりまや橋」はかつての堀川に架けられた橋。堀川は1960年代下流部を除いて、大半が埋め立てられて現在は、「はりまや橋公園」として整備され、この朱塗りの橋は平成10年(1998)に、江戸時代から明治末期までかかっていた木造橋を再現したものです。
手前に建てられているモニュメントは「純信お馬像」。よさこい節で、<土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい>と、歌われる純信とお馬さん、恋物語の主人公二人を、高知市出身の漫画家「横山隆一」氏がデザインしたものです。

又、通りの反対側にはペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」の歌声が1時間おきに流れる歌碑や歌に合わせて潮吹きをする親子鯨のモニュメント、そして明治の末に架けられ、昭和初期の路面電車開通と共に撤去された、鋳鉄製の「はりまや橋」も有ります。
32.大正期のはりまや橋.jpg31.現在のはりまや橋.jpg
そしてもう一枚の写真は、現在のはりまや橋通りに建つ、御影石の重厚な欄干になります。

ホテルに帰る途中、江ノ口川に架かる「高知橋」から眺めた西の空、夕焼けが川面に映り、川岸のヤシの街路樹がシルエットに写し出されています。明日はやっと晴れ間が見られそうです。
17.高知市街地夕景.jpg

3日目、今回の旅も最終日、本土に向けて出発。先ずは車窓から高知城の雄姿を狙います。やっと青空を見る事が出来ました。
18.高知城.jpg
高知城は、初代土佐藩主山内一豊が築いた城で、重要文化財に指定されています。土佐二十四万石、本丸内の建造物が当時のまま全て残る全国唯一の城だそうですが、今回はゆっくり見られません、出来れば今度は四国の城郭巡りを計画したいと思いました。

土佐の高知を後にして、一気に四国の中央を縦断して、瀬戸内海側に出て、本土に渡るため今回は、橋梁巡りの最後、しまなみ海道の橋梁郡を堪能しながら、渡って行きます。
しまなみ海道の四国側の起点は、今治市です。そこでせっかくなので、今治城の姿を一目見て行く事にしました。
19.今治城.jpg
今治城は、城を囲むお堀の幅が広く、瀬戸内海の直ぐ脇に築城され、お堀には海水が引かれ、船入も備えられた海城。
お堀の脇の道路に車を停車させ、記念の写真を撮りました。

いよいよ、瀬戸内海を渡る「しまなみ海道」へ、と気持ちが前のめりになるのを抑えて、先ずは最初に渡る「来島海峡大橋」全体が見渡せる展望台を目指す事に。
20.来島海峡大橋.jpg
写真は来島海峡大橋の今治側橋詰近くにある展望台から撮影。
<来島海峡大橋は、大島と今治の間約4kmの来島海峡に架かる、総延長4.1kmの3つの吊橋の総称になります。
上空を飛ぶ飛行機から撮影した来島海峡大橋の写真が有ります。昨年7月に撮ったものです。
21.上空からの来島海峡大橋.jpg
飛行機の窓越しに精一杯ズームアップした写真で、少し見難いですが、三つの吊橋が一直線に繋がっている様子が分かります。写真右側が今治で、左側が大島になります。

展望台からの吊橋の美しさと、そのスケールの大きさを実感して、いよいよ高速道路に入り、しまなみ海道の、色々形式の異なる橋梁を走り抜けていきます。
展望台から見た、来島海峡大橋を渡ります。橋梁の側道をサイクリングする人がいます。
33.来島海峡大橋を渡る.jpg

次の橋は、伯方・大島大橋で、伯方橋(橋長325m、箱桁橋)と大島大橋(橋長840m、吊橋)の2橋の総称です。
22.伯方大島大橋.jpg

次に渡るのが、大三島橋(橋長328m、アーチ橋)
23.大三島橋.jpg

次は多々羅大橋になりますが、その前に大三島ICで一度高速道路から降りて、トイレ休憩を兼ね、多々羅大橋が見える、道の駅今治市多々羅しまなみ公園に立ち寄りました。
24.多々羅大橋.jpg
写真を見ればわかるように、この橋は斜張橋になっています。
この橋は中央支間長890mで、1999年完成時は世界最長の斜張橋です。
この道の駅には、「サイクリストの聖地」の碑が建てられ、その碑と橋をバックに多くのサイクリストが愛用の自転車と一緒に、記念写真を撮っていました。

多々羅大橋を渡ります。
多々羅大橋は橋長1480m、塔の高さは226mも有ります。
その塔の形がスラッとそびえていて、とても美しく感じました。
次の生口橋も同様に斜張橋です。こちらは、少し小ぶりで、橋長が790m、塔の高さは127mです。
25.多々羅大橋主塔.jpg26.生口橋.jpg

次は、因島大橋です。橋長1270m、吊橋です。
27.因島大橋.jpg
この因島大橋が、本州四国連絡橋の最初の吊橋として1983年に完成しました。

そしていいよしまなみ海道の一番本州側に架かる、新尾道大橋を渡ります。この橋も斜張橋です。橋長546m、塔の髙さは77mです。
28.新尾道大橋.jpg
そして、写真右側に見える橋は、尾道と向島を結ぶ尾道大橋になります。昭和43年(1968)3月に開通した、尾道水道(幅約200m)を渡る橋になります。

これで、瀬戸内海を渡り本州に上陸しました。最終日は天候にも恵まれ、色んな形式・形状の橋を見て・渡って、素敵なドライブが出来ました。又出来れば四国を訪れたいと思います。

今回参考にさせてもらった資料は
・本州四国連絡高速道路㈱ホームページ「しまなみ海道」
その他、現地にて収集した観光パンフレット。

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門司港駅見てあるき [建物]

1年ぶりに北九州市小倉駅に着いた。大きな荷物をコインロッカーに入れ、門司港行き電車に乗り換えました。電車で門司港駅に向かうのは初めて、在来線の改札を入ったものの、目的のホームが分からず、通りかかりの青年に尋ねた。
彼も分からなかったのか、直ぐ携帯を操作をして、今度の発車が8番線ホームであると教えてくれた。
私は反対方向に来ていたのでした。8番線ホームに降りると丁度「門司港行」の電車がホームに入ってきた。とりあえず門司港行の電車に乗ることが出来、一安心。
小倉駅8番ホーム.jpg

門司港駅は、小倉駅から3駅目、約15分程度で終点の門司港駅の2番ホームに到着しました。
門司港駅到着.jpg

鉄道レールはここで切れています。突き当りに白と黒の風車の様な図柄の「車止め標識」が設置されています。
ホーム反対側、1番線の付け根部分に「0哩(マイル)ポスト」が立てられています。
0哩ポスト.jpg0哩記念碑.jpg
2番線ホームと4番線ホームとの間に、昭和47年10月14日、鉄道開業100周年を記念して新たに「0哩」標が建立されました。揮毫した人物は、当時北九州市長を務めていた「谷 伍平」氏。この人、谷伍平氏は東京帝国大学卒業後鉄道省に入省。ご当地日本国有鉄道門司鉄道管理局長も務められた、門司港駅にとてもゆかりの有る人物です。

門司港駅は、鹿児島本線の起点駅です。関門トンネルが出来るまでは、本州と結ぶ九州の玄関口で、対岸の下関駅との間に就航した「関門連絡船」との連絡中継駅として賑わっていました。
最初の駅舎は、明治24年(1891)に開設されましたが、現在の場所より東南東200メートル程の場所で、現在は九州鉄道記念館ミニ鉄道公園辺りに成ります。
現在の駅舎は、大正2年3月16日に起工し、大正3年(1914)1月15日に竣工しています。
平成24年(2012)より、駅舎保存修理工事を開始、平成31年(2019)3月10日、駅正面玄関口に昭和4年(1929)設置した上屋(ひさし)を撤去して、開業当初の姿に復元されました。
門司港駅舎正面.jpg

よく観光パンフレットなどで目にする、ホームの写真をカメラに収め、改札を出ました。
門司港駅ホーム.jpg

門司港駅の駅舎は、国の重要文化財に指定されていて、見どころ満載です。もっと駅舎内を見て回りたいと思います。改札を出た東口方向に向かうと、現在はタクシーやバスの乗り場のロータリーに出ますが、その途中に昔ながらの洗面所やトイレが有ります。

帰り水の蛇口.jpg
最近、テレビのクイズ番組を見ていたら、上の水道蛇口の写真を見て、どこの駅かあてる問題が出ていました。鉄道ファンには有名らしく、すぐに正解が出されていました。
この水道蛇口は、門司港駅の洗面所前に有る水道の物でした。
洗面所前の水道設備.jpg
近くに掲示された説明文によると、<この水道(水呑處)は、駅が開設(大正3=1914年)された頃に設置されたもので、以来、旅行者に門司の「おいしい水」を供給し続けています。
とくに、戦前の海外旅行帰国者をはじめ終戦後の復員や引揚の人達が、門司に上陸して安堵の思いで喉を潤したところから、(誰言うとなく)「帰り水」と呼ばれる様になりました。>と、しるされています。
蛇口本体は緑青色に錆びつき、ノブの部分は絶えず人の手に触れている為か、真鍮色に光っています。
下の一枚目の写真は、旧洗面所の流しの部分です。昭和4年(1929)に洗面専用に新設されたものを老朽化に伴い一部だけ残させたと解説が出ていました。
又、二枚目の写真はトイレ内に設置された手水鉢を写したものです。
洗面所.jpg手水鉢.jpg
「手水鉢」の上に掲示された解説文を読むと、<幸運の手水鉢 大正3年の建設当時からあり、戦時中の貴金属供出からもまぬがれ現在も鋳造時の形のまま、長寿を誇っております。>と、記されています。どのように使われていた物か、水鉢には脇から一ヶ所1本の細い銅パイプが、先端を水中内に突っ込んでいます。想像するに、そのパイプを通して水鉢には絶えず水が供給されていて、オーバーフローした水が、水鉢の周囲の縁の低くなっている部分から流れ出ていて、その流れ出た水で手を洗っていたと思われます。(現在は流れ出ていませんが)

今度は反対方向、改札口を出て左方向(西口)に行ってみます。突き当りに階段が有り下に少し下がっています。その先は塞がれていて、どん詰まりになっていて、その壁面に船の写真が貼られています。
その入口の上部に「関門連絡船通路跡」の表示が掛かっています。
関門連絡船通路跡.jpg

かつて、ここに有った通路は、駅から桟橋までの約100メートルを結ぶ連絡路で、明治34年(1901)5月27日に発足した関門連絡船の為に設置された。その通路の入口横のコンクリートの壁に小さな長方形の穴が、奥が小さくなる形で空いています。脇の解説文によると、<旧監視孔 詳細は不明ですが、ここは戦争末期、軍の命令で設置された渡航者の監視所跡です。門司港は、外国航路寄港地n為、関門連絡船の通路は、戦時下の不審者を監視する絶好の場所でした。(後略)>と、説明されています。
関門連絡船通路跡の監視窓.jpg

外にも、「誇りの鏡」とか「旧正面上家」など見所がまだありますが、ここは一度駅舎の外に出て行きたいと思います。
丁度駅前の噴水広場の噴水が、水を拭き出していたので、止まる前に急いで写真に収めました。
門司港駅前噴水.jpg
この噴水は1時間おきに15分程度出るそうで、タイミング良く撮影できました。
この噴水広場の東側塀際に1本の石柱が建っています。「バナナの叩き売り発祥の地」の文字が刻まれています。「バナナの叩き売り」なつかしいです。私が子供の頃栃木の街中で、大勢の人だかりの中にその小気味よいバナナを売る男の口上を、夢中で聞いていた記憶がよみがえります。ここ門司港が発祥なのか。
バナナの叩き売り発祥の地碑.jpg

門司港駅舎はルネッサンス様式で、左右が対称になっていて、照明が付いた日没後も魅力的です。
夜の門司港駅舎.jpg

ここ門司港地区は、この駅舎だけではなく、「旧門司税関」や「旧大阪商船」「大連友好記念館」等、レトロな建物も多く、いくら時間が有ってもとても全て見て回ることが出来ません。
又、機会が有ったら是非訪れたいと思います。
夜の門司港駅ホーム.jpg





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