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栃木市太平山のあじさい坂で色とりどりのアジサイの花を見てきました。 [草花]

今年も6月の後半に入りましたが、栃木市はまだ梅雨入りの発表は出されていません。
先週の金曜日から、太平山あじさい坂にて、「とちぎあじさいまつり」が始まりました。そして今日、まつり期間に入って初めての雨の日を迎えました。
早速、あじさい坂に行ってきました。会場手前の市営駐車場に車を止め、傘をさして会場の「あじさい坂」に向かいます。平日で雨ふりで、しかもすでに午後4時に成らんというタイミング、駐車場は数台の車。ゆっくりとアジサイの花を堪能できそうです。
あじさい坂登り口.jpg
駐車場を出て、太平山神社の参道を登ります。
太平山あじさい坂石標.jpg雨に濡れるアジサイ4.jpg
参道の両側には、色とりどりのアジサイの花が咲いています。「あじさい坂」と記したの案内板の辺り、左手に分岐する道が有ります。あじさい坂登り口左手の六角堂正面入り口前に出ます。
六角堂.jpg
まず、こちらで参拝をします。六角堂はその建物の形から呼ばれたもので、正式には「太平山連祥院」という天台宗の寺院に成ります。本尊は「虚空蔵菩薩」 もとは太平山の神事や仏事を取り仕切る別当寺院でしたが、明治期の神仏分離令により山上より降ろされ、明治38年(1905)に京都の六角堂を模して現在地に建立されました。
六角堂とアジサイ1.jpg六角堂とアジサイ2.jpg
太平山神社の参道(あじさい坂)に戻ります。石畳の参道は山上の太平山神社に真っ直ぐ続いています。久しぶりのあじさい坂です。いつ頃設置されたのか、坂道の中央にステンレス製でしょうか、手摺が出来ていました。
雨で濡れた石畳、足元に注意しながら登ります。
雨に濡れるあじさい坂1.jpg雨に濡れるあじさい坂2.jpg
坂の両側に続くアジサイの木に咲く色んな色や形のアジサイを鑑賞しつつ、写真に収めていきます。雨に洗われ緑色に輝くアジサイの葉もきれいです。時折アジサイを見つつ昇ってくる人たちもいます。
雨に濡れるアジサイ3.jpg
雨に濡れるアジサイ1.jpg青いアジサイ.jpg
水玉のついたアジサイの花びら、雨の中だから見ることが出来る、生き生きとしたアジサイの花。

白のアジサイ.jpg淡いアジサイ.jpg
坂を戻るとき、坂道の中央に設置された手摺のありがたさを感じました。高齢者には濡れた石畳を下るのは結構しんどかったのです。
六角堂境内のアジサイ.jpg六角堂境内のアジサイ2.jpg
再度、六角堂の境内迄下りてきました。境内にも多くのアジサイの種類が有るようで、ここでも写真に収めました。
雨に濡れるアジサイ5.jpg
雨に濡れるアジサイの花、とてもきれいに感じました。
アジサイの花もこれから本番を迎えるのでしょうか。

今回参考にした資料:
・「慈覚大師円仁ゆかり とちぎの天台の寺めぐり」天台宗栃木教区宗務所編集 下野新聞社発行
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アジサイの花を探して、栃木の市街地を歩く [歩く]

前回は、巴波川沿いを歩いて、アジサイの花を見て歩きましたが、今日は栃木の市街地を歩いて、アジサイの花が咲く風景を見て廻りました。
最初は境町の栃木カトリック教会の庭に咲く、白のアジサイです。そこから教会裏手、西側の中洲親水公園に咲くアジサイです。
カトリック教会とアジサイ.jpg中洲親水公園とアジサイ.jpg

次は市街地のど真ん中、倭町は大通り沿いに咲く、鮮やかな赤紫のアジサイです。
大通りのアジサイ.jpg

そして倭町交差点の角、スターバックスコーヒー店脇に咲く、紫のアジサイ。通行する人達もチョッと立ち止まって、そのアジサイの花を見ていました。
そこから大通りを北上して万町へ。山車会館の入口右手に建つ「前田雀郎句碑」の脇にもアジサイの花が咲いていました。
スターバックスとアジサイ.jpg前田雀郎句碑とアジサイ.jpg
(前田雀郎は栃木県は宇都宮市の出身、明治30年3月27日生れ、宇都宮商業を卒業。講談社や都新聞社に勤務。昭和11年「せんりゅう」を創刊。昭和16年日本川柳協会委員長。昭和35年1月27日死去。山車会館脇の句碑は、《この町に 西日を戻す 山車の丈》 これは、栃木の秋祭りの様子を詠んだ句です。町の通りはすでに太陽は西に傾き、街並みは暗く陰ってしまっていますが、高々とせり上げられた山車の人形は、まだ西日を受けて明るく輝いている。そんな状況を詠んでいます。
栃木市にはもう一か所、太平山遊覧道路の大曲にも、《太平の 曲ればここも 花吹雪》という雀郎句碑が建てられています。栃木市に有る「不二見川柳社」が主催して、前田雀郎を中心に全国川柳大会を太平山で開催した後、同吟社の肝いりで、1954年に市の観光協会が建てたもので、前田雀郎の生前に建てられた唯一の句碑です。太平山遊覧道路の桜のトンネルに、桜吹雪が舞っているさまを、読んだ句です。)

そして、山車会館の裏手にもアジサイの花が咲いていました。後方のどっしりとした三連の土蔵は、以前は「藏の街美術館」でしたが、「栃木市立美術館」が開館した後は「藏の街市民ギャラリー」として、一般の方の作品の発表の場として利用されています。
市民ギャラリーとアジサイ.jpg神明宮のアジサイ.jpg
きれいな赤紫に咲いているアジサイは、神明宮の社殿裏手に咲くアジサイです。後方に神明宮本殿の屋根の一部が覗いています。
私が子供の頃は、この辺りは滑り台や左右にスイングする長手のブランコのような遊具が有り、脇に売店が有って、店先でもんじゃ焼もできました。今は参道の脇に移設されてしまった稲荷神社も、ここに祀られていて、その周りで良く駆けずり回って遊んだものです。

大通りに戻って、更に北上して歩いて行くと、ささやかですが、以前「とちぎ歌麿館」として利用されていた建物の前にもアジサイの花が咲いていました。
元歌麿館前のアジサイ.jpg栃木病院とアジサイ.jpg

最後は万町交差点から西に曲がり、大通りの一本西側の通りから、見える栃木病院の手前にもアジサイの花が咲いていました。
栃木の駅前からずっと、日光例幣使街道に沿って、途中脇道にも入り込んだりして、アジサイの花の咲いている風景を求めて、歩き回ってきました。今日の総歩数は9,651歩(約5.7km)も歩きました。
明日から「太平山とちぎあじさいまつり」が始まります。まだ栃木県は梅雨に入りませんが、今度の休みには是非「あじさい坂」を登ってみたいと思っています。

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巴波川沿いのアジサイの花が見頃になっています。 [自然の恵み]

日本気象協会の予報によると、「今年の関東甲信の梅雨入りは、あと一週間後の6月16日頃か。」との事。丁度それに合わせる様に、14日(金)から栃木市太平山のあじさい祭が始まります。
栃木市の今日の天気は、良く晴れました。
それでも、蔵の街中を流れる巴波川沿いの、あじさいの花は見頃を迎えています。
今日、ぶらぶらと巴波川の川沿いを歩いて、色鮮やかに咲いているアジサイの花を写真に収めてきましたので、ここで紹介させて頂きます。
巴波川沿いのアジサイが見頃に1.jpg
湊町のアジサイ。バックの「塚田歴史伝説館」さんの、黒塀と白壁の土蔵と対比して、手前のアジサイの赤紫の花が、一段と艶やかに感じられます。

巴波川沿いのアジサイが見頃に2.jpg
下河岸のアジサイ。後方に写る橋は、昭和9年(1934)12月竣工の「巴波川橋」に成ります。アジサイの花も、多くの品種が有るので、どれが何という品種か、私のはとても分かりませんが、このアジサイが一番なじみが有る花の形をしていますね。

巴波川沿いのアジサイが見頃に3.jpg
入舟町のアジサイ。対岸の黒板塀は、相当年季が入っている感じです。

巴波川沿いのアジサイが見頃に6.jpg巴波川沿いのアジサイが見頃に5.jpg
この2枚とも入舟町のアジサイです。白いアジサイもすっきりとした感じですね。後方の蔵造りの店舗は、「茶房藏や」さんです。

巴波川沿いのアジサイが見頃に4.jpg
最後も入舟町のアジサイです。丁度「横山郷土館」の前あたりに咲いていました。

巴波川沿いを、アジサイの花を見ながら歩くのも、楽しいかも。そして、お腹が空いたら、近くのお店で何か美味しいものを食べれば、身も心もリフレッシュ出来そうです。
ジャガイモ入り焼ぞば.jpg
(今日、私は「好古壱番館」さんの、ジャガイモ入り焼きそばを頂きました。満足です。)
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もう一つの名古屋のシンボル [建物]

先月に成りますが、名古屋市の市街地に宿泊をしました。
名古屋に泊まったのは、70年の私の人生で2度目です。それも最初に泊まったのは、私が社会人になったばかり、19歳に成ったころで、職場の上司と一緒に急遽出張した時で、乗った新幹線ひかりは満席で、名古屋までずっとデッキで過ごしました。
名古屋駅に着いたのは夜も更けて、その当時駅の西口は真っ暗で、上司から「女性から声を掛けられても無視しろ」と注意されました。駅から歩いて駅前の旅館に直行しました。
旅館の部屋に入ると、すでに布団が2式並んですいて有りました。ブルーとピンクの掛布団が、妙に気になった事を、今も覚えています。
それから50年以上の歳月が流れました。名古屋はずっと通過駅でした。今回宿泊した名古屋市中区で、まさに市街地のど真ん中。ホテルに荷物を置いて、夕暮れの街に夕食を食べる店を探しに出かけました。
夕暮れの名古屋の街は、人と車で溢れていました。少し歩くと広い通りに出ました。見ると東京タワーに似たタワーが建っています。シルバーの鉄骨がシックで落ち着いた感じです。
中部電力MIRAI TOWER1.jpg中部電力MIRAI TOWER2.jpg

近くに寄っていくと「中部電力MIRAITOWER」の名前を読むことが出来ました。
私が今まで見たことが有るのは、「東京タワー」と「札幌テレビ塔」ぐらいですが、後で知ったのですが、この名古屋テレビ塔が、一番古いタワーであることを知りました。「中部電力MIRAI TOWER」のリーフレットによると、このタワーは、塔の高さが180m有り、昭和29年(1954)に完成しました。当時は「名古屋テレビ塔」という名前でした。設計者は早稲田大学教授の内藤多仲工学博士という人物で、後に「さっぽろテレビ塔」や「東京タワー」も、設計しています。

近くの天婦羅のお店で夕飯を済まして表に出ると、陽はすっかり落ちて、先ほど見た街並みは一変していました。
中部電力MIRAI TOWER3.jpg中部電力MIRAI TOWER4.jpg
タワーはライトアップされ、夜空に向かって突き出ています。シルバーのタワーは派手さは有りませんが、とても紳士的な出で立ちに感じます。
近くに建つ宇宙船のような建築物「オアシス21」が花を添える様に照明を緑色や、白色、紫色と変えています。
中部電力MIRAI TOWER5.jpg中部電力MIRAI TOWER6.jpg

この「オアシス21」は、公園やバスターミナルなどの公共施設と商業施設との複合施設とのこと。楕円形の大屋根の上には、エレベーターで昇ることが出来ます。建造物の中央部には水が流れていて、その周囲を歩いて周る事が出来ます。
オアシス21上面1.jpgオアシス21上面2.jpg

とてもお洒落な空間です。

翌日、もう一度昨夜訪れた公園周辺へ出かけてみました。
朝は朝で、又違った景色に出会いました。
中部電力MIRAI TOWERI朝.jpg中部電力MIRAI TOWERI朝2.jpg

「中部電力 MIRAI TOWER」の建つ通りは、札幌の大通公園と同じように、南北に走る100メートル道路の「久屋大通り」で、中央分離帯は久屋大通り公園となっています。

オアシス21とMIRAITOWER.jpg

この「中部電力 MIRAI TOWER」は、まさしく名古屋のシンボルと言えます。
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